見出し画像

わたしという、ものがたり


初めまして、”日々を生きる人”です。

長いので、適当に心の中で省略してお呼びください。


わたしは1992年生まれの29歳、女です。

自由奔放な母のもとに生まれ、母子家庭で育ち、

半分血の繋がらない10歳下の妹がいます。

奔放な母を恨むこと20年以上。

母に似ていく妹を嫌うこと15年以上。

決して心根の真っすぐな生き方をしてきたとは言えない人生です。

震災の影響で大学を中退し、フリーターになり、

20を超えて地元を離れ、初めて自分の人生が始まった気がしました。

(なぜ震災の影響で大学中退なのかは、いずれ書きたいと思います。)


母子家庭でいつも立ち塞がった”お金の問題”。

独り立ちした私の中に、それは根深く住み着いていました。

お金が無いことが一番の不安。

アルバイトは、働けば働くだけお金になる。

だから私は、社畜アルバイターになりました。


朝10時から薬局のバイト、夕方から居酒屋のバイト、

夜から朝までガールズバーでバイト。

働くことが生きがいでした。

こんなに働いても、お金を貯める事が出来なかったのは、

育ちのせいか、生来の性格なのかはわかりませんが。

薬局やガールズバーを辞めても、常に掛け持ちでバイトを続けました。

働いていないと気が狂うかのように働いていました。

休みの日は死んだように寝るだけ。

後は稼いだお金で飼ったペットの爬虫類の世話。


母に似たのでしょうか、彼氏に困ったことはありませんでした。

男運は悪いので、いつも問題を抱えた人ばかりでしたけど。


4年、働き続けた居酒屋がありました。

私はそこで、心を壊しました。

最初にかかった心療内科の診断は、”身体症状症”と”うつ病”でした。

病気についてはまたどこかで詳しく。


心を壊して、地元へ戻りました。

母のもとへは帰りたくなかったので、伯母へ相談し、

伯母家族以外には内緒で伯母の家へ居候として戻りました。

症状は、良くなったり悪くなったり。

いつも一進一退でした。

仕事も始めるも続かず、いつも発狂したように辞めました。


生きる意味が分からず、

かといって死ぬ勇気もなく。

こそこそと過量の薬を服用したり、血を抜いたり、

自傷行為にのめり込みました。


そんな私が、少しづつ回復していく過程や、

過去の忘れられない話を

取り留めもなく綴るために、ここを作りました。


もしもいま、

同じように苦しんでいる人や、

周りに苦しんでいる人がいる方、

すでに克服されて生きている方、

こういったことに縁のない方、

どんな方でもいいです。

いま、この瞬間、

私のこの文字列が目に留まった方が居れば、

今少しだけ、お時間賜れますと幸いです。


わたしという、ものがたり

少しづつ、始まります。


2021.04.11 日々を生きる人。


サポートして頂くと、私の生きる価値が上がります。頂いたお気持ちの行先はたまにどこかでご報告させて頂きます。 ありがとうございます。