見出し画像

大学卒業後、海外に行ってみることにした①


※5コラムに渡って私が大学卒業後に一般的な就職ルートを辞めて海外で生活することにした過程を日記調に綴りました。何かのお役に立てますように。


大学4年の1月、卒業目前。

やっと卒業論文提出できた12月。あと、1月の口頭試問(卒業論文論文について教授に言及される会議)で大学生活に終わりが見えてきた頃。

大学卒業後の進路が白紙になった。
スタートラインに戻らされたような。

大学卒業後、カナダの専門学校でコープ留学をする予定だった。(この過程に至るまでの葛藤や覚悟は長くなるのでほかのに書こうかな、)

バタバタな大学生活の合間を縫って留学準備をしていた。時々、留学後のこととか費用のこととか周りの友だちと自分を比較とか色々考えては不安になった。

不安すぎては泣きそうになって苦しいーってなって。

でも行かないと気が済まなくて。

でも母と姉がいつも寄り添って最後まで考えよう、自分の気持ちに正直にねって。そんなこんなで進めてきた留学計画。

2023年12月。VISAの申請に必要な書類一覧を見た時に行けないと思った。
心の隅にあった費用面の不安が現実となった。大学4年間でコツコツと貯めてきた留学費。
それでも残高証明書に必要な費用があまりにも手の届かないもので、、焦って他の留学方法探しまくった、、一旦落ち着きたくて、心の拠り所となる他の方法を見つけたくて、でもどの方法もピンと来なかった。

申請期日が迫ってることもあって母に打ち明けた。案の定、母も動揺していた。

留学出来ない。

落ち込む間もなく、次の進路を探し始めた。

めっちゃ悩みしいで優柔不断な私だけど、来年が来るまでには次の進路を考えなければ、、

焦り、焦り、焦り、不安、怒り、動揺、怒り

次々沸き起こる感情。

これって決めても次の日には気持ちが変わってしまう、、あー何も決まらない、誰にも相談出来ない、家族にも会いたくない、、って。

なぜかって、私は誰にもカナダ留学のことを言ってなかった。

一言でいうと周りの目を気にしていたから。怖かったから。あと、少しばぁちゃん譲りの秘密主義が邪魔をして、、。

でもその日からみんなに正直に話すようにした。
会う人にはそのまま伝えた。
みんな、それぞれ違う意見をくれた。

家族、特に母は自分のせいで留学出来なくしてしまったと強く後悔していた。

自分の新たな進路を見つけるので必死だし、母に気にしないでと伝える余裕も無かった。
なんかムカついていたし。

近づく年始。

決まらない進路。

31日。一旦あれから連絡を取っていなかった家族と連絡を取った。実は姉が心配して香川の実家から車で私のお家(兵庫)まで来てくれたことがあった。夜だし、泊めてあげるべきだが、会えばきっと傷つけてしまう、本気で本気で会いたくないと思い、会わずに、帰してしまったこともある。勇気を出して母に電話した。このモヤモヤは2023に置いていこうと。

全部話した。自分の思い、辛さ、葛藤、現実問題。
全てが全てスッキリするわけではないけれど。
留学への思い、今の方向性、現実、感情をぶつけてみた。

そして一旦実家に帰ってみることにした。

いいなと思ったら応援しよう!