柔軟な発想で道筋を切り開いたアルゴリズムの探究者/エドガー・ダイクストラ Edsger Wybe Dijkstra (1930-2002)
ダイクストラというフレーズはその有名なアルゴリズムで覚えている。そのアルゴリズムを作ったのがエドガー・ダイクストラである。それ以外にも排他制御で有名なセマフォを考案している。そして「構造化プログラミング」を提案し、それにまつわるgoto文除去運動で知られる。
プログラミングを始めたときには既にgoto文は使われなくなっていたが、少し前の有名な技術書を開けばすぐgoto文の撲滅について書かれていた。まあそんなものかと思っていたのだが、それもまた彼が作ったムーブメントなのだと感慨深かった。
幼少期と学生時代
1930年にオランダのロッテルダムで生まれる。幼少のころから数学的思考に興味を抱き、パズルや実験を通じて論理に対する感覚を深めた。大学では理論物理を専攻したが、同時に数学にも大きな関心を持ち、当時まだ新しい領域だった計算機科学へ足を踏み入れた。
最短経路アルゴリズムの確立
大学卒業後、オランダの数学研究所(当時はMathematisch Centrum)で研究を続け、最短経路アルゴリズムとして有名な「ダイクストラ法」を開発した。これはルーティングやネットワーク、グラフ理論など幅広い分野で基盤となる手法であり、後の情報技術の発展を支える大きな柱となった。
「構造化」とプログラミングの姿勢
オランダでの研究を経て、英米の大学にも招かれながら教育や研究活動に携わった。プログラミングを数学的・論理的に捉え、「正しさ」と「シンプルさ」を同時に追求することを提唱した。特に「Go To Statement Considered Harmful」(Communications of the ACM, 1968)という論文で示した考え方は、構造化プログラミングの重要性を広く知らしめ、多くのエンジニアに衝撃を与えた。
たとえば「Computer science is no more about computers than astronomy is about telescopes(コンピュータサイエンスがコンピュータを扱うからといって、コンピュータサイエンスという名前になるわけではない)」という彼の有名な言葉(出典「The Humble Programmer」Communications of the ACM, 1972)は、ハードウェアの物理的構造よりも問題解決や論理設計に焦点を当てるべきだという理念を端的に示している。
晩年と思想の継承
1972年にチューリング賞を受賞し、以降もアメリカやヨーロッパ各国の大学で指導や研究を続けた。論文やエッセイでは常に明快さと厳密さを重視し、文章の長さではなく質を追求する姿勢を貫いた。2002年にこの世を去ったが、アルゴリズム設計とプログラムの正しさを重んじる考え方は今なお計算機科学の根幹を支え続けている。
その人柄と影響
厳密な論理を重んじつつ、議論では独特のウィットを交えて話すこともあったと伝えられている。時には妥協せず厳しい指摘を行い、周囲を驚かせることもあったが、それは科学的厳密性を追い求める真摯な姿勢からくるものだった。結果として数学とプログラミングの融合を進め、ソフトウェアの品質向上やアルゴリズム研究の進展に大きく貢献した。
プログラムを「記述する」だけでなく、論証し、証明するという考え方を前面に押し出したことが、現在の形式的手法やソフトウェア工学の確立にも影響を与えている。アルゴリズムの世界を飛躍的に発展させた革新的な足跡は、今後も計算機科学の歴史の中で語り継がれていく。