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VisiCalc:電子表計算を生み出した革新者/ボブ・フランクストン (1949-)

オフィスにLLMが浸透する世間の様子を見ながら、パーソナルコンピュータと表計算ソフトが導入されていったときのオフィスの様子を想像する。1979年にApple Ⅱ向けにVisiCalcという表計算ソフトウェアをダン・ブリックリンとともに生み出したのがボブ・フランクストンである。

じきLotus 1-2-3のリリースによりシェアを奪われることになるものの、パーソナルコンピュータの可能性を大きく知らしめた革新的ソフトウェアであったことは間違いない。


生い立ちと学びの始まり

1949年、アメリカのニューヨーク州ブルックリンに生まれる。幼少期から機械いじりに熱中し、分解と組み立てを繰り返しながら動作原理を直感的に把握した。高校時代は数学クラブで独創的なアイデアを磨き、マサチューセッツ工科大学(MIT)では電気工学と計算機科学を専攻。そこでの研究仲間や教授たちとの交流が、後の画期的なソフトウェア開発の原動力となる基盤を形成した。

表計算ソフト「VisiCalc」の誕生

1970年代後半、個人向けコンピュータが徐々に普及し始める中で、ダン・ブリックリンと共に取り組んだプロジェクトが歴史を塗り替える表計算ソフトウェア「VisiCalc」である。1979年にApple II用としてリリースされると、会計や経営管理を画期的に効率化できる点が広く注目され、企業だけでなく個人事業主、大学、研究機関などに急速に普及した。
「パーソナルコンピュータはホビーだけでなく実務にも活用できる」という認識を広め、ソフトウェア産業の活況を後押ししたのがこの製品の大きな功績だ。後に開発されるロータス1-2-3やExcelなど、多くの表計算ソフトの礎となったことは疑いようがない。

さらなる発展とネットワークへの関心

「VisiCalc」の大成功後、フランクストンはSoftware Artsなどを通じて新たなアイデアの創出に意欲を示し続けた。表計算の枠を超え、ネットワークや通信技術を活用した情報共有にも早い段階から注目。相互接続性やユーザ主体の情報交換が可能になる仕組みづくりに深く関わり、様々なプロジェクトや企業、業界団体の顧問として助言を行った。
フランクストンはよく「Connectivity is a resource, not a service」という言葉を使うとされる。これは「ネットワーク環境は単なるサービスではなく、誰もが活用し発展させられる資源である」という考え方に基づく(参考:frankston.com掲載のエッセイ「Connectivity as a Resource」Robert M. Frankston)。

人柄と影響

幼少期から続く好奇心と観察力を武器に、問題へ直に手を動かして対処するスタイルは周囲のエンジニアを大いに刺激した。プログラミングのみならずハードウェアの面にも踏み込み、多角的な視点からシステム全体を捉える点が特徴的だった。
「VisiCalc」の登場は、企業の業務効率化だけでなく、個人がパソコンを実用的に使う時代を切り開いた象徴的な出来事でもある。IT史上で「表計算」という概念が確立された背景には、フランクストンとブリックリンの先見の明と行動力が大きく寄与した。

近年の活動とレガシー

フランクストンはネットワーク社会の進化に伴い、自由闊達な情報流通と誰もが参入できる基盤の必要性を強く訴え続けている。特許や規制が技術発展の障害になる可能性を警告し、オープンでイノベーティブな環境を促す主張を続けてきた。
表計算ソフトの発明者としての功績はもちろん、インターネット時代における「接続性の民主化」を早期から提唱してきた点も評価されており、現代のIT業界においては欠かせない存在である。多くの技術者や起業家がフランクストンを手本とし、その創造的かつ行動力ある姿勢から多大な影響を受けているといえる。


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参照

SelfPedia, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons


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