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Java:新しいプログラミングの夜明け/ジェームズ・ゴスリン James Arthur Gosling (1955-)

Javaはいまでもよく使われているプログラミング言語の一つ。そんなJavaの生みの親がジェームズ・ゴスリンだ。

Javaは1995年頃に初回リリースが行われた。スローガンは"write once, run anywhere"。仮想マシンで動作する仕組みとすることで、さまざまな環境において同一コードを動作させられることが特徴。この可搬性の高さが特にエンタープライズ開発におけるJavaの地位を築いているだろう。


幼少期と大学時代

1955年、カナダのカルガリー近郊に生まれる。幼いころから工作や電子機器に強い関心を持ち、自宅のガレージで電子回路の実験を繰り返していた。アルバイト代を貯めて手に入れたコンピュータキットに夢中になり、ソフトウェアとハードウェアの両面からシステムを探究する姿が周囲にもよく知られていた。

大学は地元のカルガリー大学に進学し、コンピュータサイエンスを専攻した。演習用のミニコンピュータに向かい合い、同じ研究室の仲間とプログラムを作っては試行錯誤を繰り返す日々だった。並行してアルゴリズムやコンパイラ技術への興味を深め、より効率的で表現力のあるプログラミング言語を模索し始めたという。

Carnegie Mellon大学での研究

学部卒業後、Carnegie Mellon大学に進学し博士号を取得する。ここでの研究は複雑な分散システムと言語処理系を焦点にしていた。当時はまだインターネットが普及する前夜の時代であり、離れた地点にあるコンピュータ同士の通信をいかに円滑化するかが研究テーマの一つとなっていた。博士課程在籍中に自作のコンパイラやツール群を開発し、教員や同僚研究者に高い評価を受ける。

Sun Microsystemsにおける挑戦

大学を終えた後、Sun Microsystemsに加わる。当時のSunはワークステーション分野やUNIXオペレーティングシステムで知られ、先端技術に対して積極的に投資する企業文化を持っていた。彼はここで大きなプロジェクトに次々と参加し、特に分散環境でも動作するオブジェクト指向言語の可能性を探っていた。インタラクティブテレビ向けに新しいソフトウェアを作ろうとしていた研究チームに所属し、そこから後のJavaへと続くアイデアが生まれる。

Java誕生の衝撃

1990年代初頭、彼を中心とした少数チームで「OAK」というコードネームを持つ言語を開発していたが、商標の都合などから後に「Java」という名称を採用した。大きな特徴は、プラットフォームに依存せずに同じバイトコードが動作する「Write Once, Run Anywhere」のコンセプトで、プログラミング言語として画期的な方向性を示した。Javaが正式にリリースされた1995年は、インターネットの急激な普及と重なり、Webアプリケーションの開発においてJavaは瞬く間に主役級の言語となった。

Java Virtual Machineとクラスライブラリの設計は、C++のような低レベルのポインタ操作を排除し、より安全でガーベジコレクションを標準とする仕組みが特徴的だった。企業の基幹システムから個人開発のアプリまで広く採用されることとなり、コンピューティングの世界に大きな影響を与えた。

コーヒーをこよなく愛するチームメンバーの意見が反映され、言語名がJavaになったエピソードはしばしば語られる。実際にはネーミング候補として他にも複数のアイデアがあったが、結局このシンプルな名前が支持を得た(引用元: 『Inside the Java Virtual Machine』Bill Venners)。

Oracle買収後の動き

Sun MicrosystemsがOracleに買収された後、彼はSunを離れた。新しい環境下での経営方針やプロジェクトの進め方に違和感を持ち、自身の創造性をより発揮できる場所を求めたのが理由だとされる。その後、Googleに短期間籍を置いたり、海洋観測機器を手掛けるLiquid Roboticsでクラウド技術とロボット制御を組み合わせるプロジェクトに参加したりと、多彩な分野で活動を続けている。近年はAmazon Web Servicesに合流し、クラウド上でのソフトウェア開発の未来を見据えている。

人柄とエピソード

表舞台に立つことは多くないが、講演会などで語られる内容はユーモアに富み、周囲を和ませる才があると評される。Javaの成功後、「プログラミング言語は人の思考を拡張する道具」という趣旨のコメントを残しているが、それは計算機科学の本質を鋭く突いていると多くのエンジニアに影響を与えた(引用元: 『Just Java 2』Peter van der Linden)。

大学時代からの友人によれば、徹夜でプログラムのデバッグをしながらディスカッションを盛り上げるタイプで、集中するととにかく食事や睡眠を忘れるほど没頭していたという。Sunでのプロジェクトでも同様に、問題解決のために寝袋持参でオフィスに籠り、逆境を乗り切る姿勢を見せ続けた。

IT技術史への貢献

彼の最大の功績として挙げられるのは、Javaを通じて「オブジェクト指向言語の簡潔さと安全性」を広く普及させた点だと言える。プラットフォームの垣根を超える言語設計によって、分散システムやWebアプリケーションが飛躍的に発展した。多くの企業システムやAndroidの基礎にもJavaが使われ、今なおソフトウェアエンジニアにとって欠かせない存在である。

先人たちの研究や思想を引き継ぎながら新しい価値を生み出したことで、IT技術史に大きな足跡を残した。後進を積極的に育成することにも関心を示し、カンファレンスなどでは若手の質問に丁寧に応じる姿が目撃されている。彼が体現する「オープンで革新的な精神」は、Javaコミュニティだけでなく、広くソフトウェア開発全体に受け継がれている。


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参照

Peter Campbell, CC BY-SA 4.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0, via Wikimedia Commons


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