C言語とUNIXを創り上げた革新者/デニス・リッチー Dennis MacAlistair Ritchie (1941-2011)
デニス・リッチーはC言語やUNIXはもちろん、Hello Worldを創った男としても有名である。プログラミングの勉強を始めて、最初にやることは「Hello, World!」を表示させること。すべてのプログラマーは彼のフォロワーかもしれない。
その影響の大きさに比して、彼のことを詳しく知らなかった。その一方、彼の足跡は技術の中だけでなく、ITエンジニアとしての基本的精神や行動慣習の中に確かに宿っているのだとも感じられる。
生い立ち
デニス・リッチーは、1941年にアメリカ・ニューヨーク州のブロンクスビルで生まれた。父親はベル研究所で働く科学者で、幼い頃から数学やコンピュータに触れる環境に恵まれていたと言われる。ハイスクールを卒業後、ハーバード大学へ進学し、物理学と応用数学を学んだ。学生時代には、まだ黎明期であったコンピュータの世界に強く興味を抱き、プログラミングの可能性を探究するようになる。
キャリアの始まり
大学院を修了した後の1960年代後半、リッチーはベル研究所に入所し、当初はMulticsの開発プロジェクトに参加していた。Multicsは大型コンピュータ向けの先進的なOSだったが、プロジェクトの運営方針や規模拡大などから、共同開発先のGEやMITなどと折り合いがうまくいかず、最終的にはベル研究所が撤退するに至る。リッチーはこの経験を通じ、より小規模かつ柔軟なシステムが必要だと痛感したという。
C言語とUNIX
Multicsの撤退後、リッチーはケン・トンプソンと共に新しいOSの開発を始める。それが後にUNIXと呼ばれることになる画期的なシステムだった。UNIXは小型コンピュータ上で動作し、シンプルな構造を持ちながら拡張性と安定性を兼ね備えていた。リッチーはこのUNIXを効率的に記述するためのプログラミング言語としてC言語を生み出す。C言語はアセンブリ言語レベルの処理を可能としながら、構造化プログラミングを実現する高い可読性を併せ持ち、幅広い分野で採用される大きなきっかけとなった。
C言語の特徴がまとめられた『The C Programming Language』は1978年に初版が出版され、Brian W. Kernighanとの共著として現在まで多くのプログラマに読み継がれている。この本の序文には「C is not a big language, and it is not well-suited to every problem, but its generality, combined with the widespread availability of compilers, makes it useful for many sorts of programming tasks.」(引用元:『The C Programming Language』Brian W. Kernighan, Dennis M. Ritchie)とあるように、C言語があらゆる用途に万能ではないものの、幅広い応用可能性とコンパイラの普及が相まって強力な地位を築いたことが示唆されている。
また、UNIXの哲学やプログラミング手法をまとめた『The UNIX Programming Environment』(Brian W. Kernighan, Rob Pike)にも度々リッチーの思想が言及されており、小さい部品を組み合わせることで大きな仕事を成し遂げるという理念は、その後のソフトウェア設計に多大な影響を与えた。
人柄とエピソード
リッチーは物静かな人柄だったと伝えられているが、内面には豊かなユーモアと探究心を秘めていた。ベル研究所の同僚によれば、リッチーは複雑な課題を驚くほどシンプルに解決する天性の才能を持ちながら、常に周囲と連携しながら技術を育てていく姿勢を大切にしていたという。UNIX開発の初期段階では、限られたコンピューティング資源を最大限に活用し、仲間と分担しながら実装を進めるチームプレイヤーだったというエピソードも残されている。
C言語の歴史的名著とされる『The C Programming Language』の冒頭に掲載された“Hello, World!”プログラムはあまりにも有名だが、リッチー自身はこのシンプルな一文を気に入っており、「プログラムを書き始めるときの最初の一歩として、ちょうど良いシンボルだ」と冗談交じりに語っていたという(引用元:『The C Programming Language』Brian W. Kernighan, Dennis M. Ritchie)。
晩年と遺産
リッチーは2007年にベル研究所を退職し、晩年までコンピュータの研究や後進の育成に力を注いだ。2011年に逝去した際、同時期に世界的に有名な企業家が亡くなっていたこともあって、マスコミ報道ではそれほど大きく取り上げられなかった。しかしソフトウェア技術者や研究者の間では、リッチーの死は計り知れない損失であると深く悼まれた。
現在のIT業界を支えるOSやプログラミング言語の多くは、C言語とUNIXの設計思想に深い影響を受けており、その遺産は計り知れない。スマートフォンからスーパーコンピュータまで、多様な分野でC言語の子孫や亜種が用いられている事実は、リッチーがいかに現代のコンピューティングの礎を築いたかを雄弁に物語っている。
彼の人生を振り返ると、革新的なアイデアを実装へと落とし込む粘り強さ、そして仲間と協力しながら「シンプルだが強力」なシステムを創り上げる姿勢が強く印象に残る。リッチーの功績は、多くのソフトウェアエンジニアやプログラマにとって、今なお尊敬と憧れの対象である。
ヘッダ画像:Denise Panyik-Dale, CC BY 2.0 https://creativecommons.org/licenses/by/2.0, ウィキメディア・コモンズ経由で