検索エンジン革命を切り拓いた先駆者/ラリー・ペイジ Lawrence Edward "Larry" Page (1973-)
いまのところ企業史は意図的に避けているのだが、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンのPageRankアルゴリズムには触れざるを得ない。論文発表後、1998年にGoogleを共同設立し、Webの様相を一変させた。
ちょうどディレクトリ検索やアンテナサイトからすべてがGoogle検索になっていく様を経験した。そしてインターネット広告が生まれ、SEOが幅を利かせるようになる。その変化は急激であったし、インターネット空間が新しい技術によって再構築されていく様を見たことが、自分のIT観に与えた影響は大きいと思う。
幼少期と技術への目覚め
1973年、アメリカ・ミシガン州に生まれる。父はミシガン州立大学でコンピュータサイエンスを教え、母もプログラミング教育に携わっていた家庭環境が大きな影響を与えた。子どもの頃からコンピュータやテクノロジーへの関心が高く、兄が組み立てたパソコンを分解して遊んでいたという。自宅には常に電子機器があふれ、好奇心を刺激する格好の場所だった。
スタンフォード大学時代
学部を卒業した後、スタンフォード大学の博士課程に進学し、情報検索に関する研究を進める。その過程で後の共同創業者と出会い、「検索エンジンを根本から変えられる」というアイデアを形にしようと議論を重ねる。研究内容はウェブページ間のリンク構造からページの重要度を計算するアルゴリズムの開発に結びつき、後にPageRankとして知られる重要技術に発展した。
Google創業と検索革命
1998年、共同創業者とともに検索エンジンのプロトタイプを完成させ、大学の寮やガレージを拠点に会社を立ち上げる。当初は大手企業にエンジンごと売却することも検討したが、買い手はつかず、自力で事業を展開する道を選んだ。リンク解析に基づく革新的な検索モデルは従来のキーワードマッチング主体のサービスを大きく上回り、インターネットの普及と相まって瞬く間にユーザーを拡大させる。
創業時から最初のCEOを務めたが、2001年に経営体制を整えるためCEOをエリック・シュミットに引き継ぎ、自身は製品開発などに注力する役職へ。オンライン広告をはじめとするビジネスモデルの刷新にも寄与し、結果的に業界の構造自体を変えていく原動力となった。
再びCEOへ
2011年にCEOへ復帰し、新規事業の育成と既存サービスの拡大を両立させる舵取りを行う。組織の階層を減らし、エンジニアがスピーディーに意思決定できる環境づくりを重視した。さらに、親会社Alphabetを設立し、検索エンジン以外のプロジェクトを別組織として独立させるなど、柔軟な経営体制を整備する。自動運転やAI、ロボット工学など幅広い領域に投資を行い、IT技術の進化を後押しする存在として多方面に影響を与え続けている。
人柄と名言
技術的な実績のみならず、周囲を惹きつける個性も注目される。社内では極端な目標を掲げ、「少しクレイジーと思われるアイデアにこそ挑むべきだ」という姿勢が知られている(『How Google Works』エリック・シュミットほか著より)。実際、新卒エンジニアの大胆な提案を受け止め、実現可能性を一緒に検討するオープンなコミュニケーションを重要視していたと伝えられる。
また、「You don't need to have a 100-person company to develop that idea.」という言葉が有名だ(『The Google Story』デイヴィッド・A・ヴァイス著より)。大きな組織がなくとも世界を変えることは可能であり、自由な発想とテクノロジーによって小さく始めながらも大きく成長できる、というメッセージが多くの起業家を鼓舞してきた。
後進への影響
検索技術の追求だけでなく、世界をより良くするための製品やサービスを生み出す姿勢は多くのエンジニアや起業家に刺激を与えている。コアビジネスである検索と広告から生まれた豊富な資本をロボット工学や生命科学などに投じ、「技術革新の連鎖反応」を起こす先導役ともいえる。
豊富な資源と強力な技術基盤を維持しながらも新たな可能性を模索し、リスクを恐れずに踏み出す姿勢はIT業界で一つの理想像になっている。検索エンジンによるインターネットの基盤強化とビジネスモデルの改革を起点に、数多くの革新を生み出してきたその足跡は、今なお多くの人々に影響を与え続けている。