『ことり』 葛尾火花



今思い返しても、あの日どうしてあんなことをしたのかわからない


会社でトラブル続きで毎日遅くまで働き、疲労困憊だったんだろう。


終電でなんとか着いた最寄り駅からフラフラと家路へと着いていた、雨が降っていなかったことだけが救いだ


風呂に入るのも面倒臭いとか、そんなことを考えていた気がする。

そんなとき


背後から、ことりと、何かが落ちた音がした。


振り返る、さっきまで自分が歩いていた何の変哲もない住宅街の一本道


気が付かなかったのは不自然な位置に、一本のビニール傘が落ちていた。


車が一台ようやく通れるような道の真ん中にビニール傘が落ちていたのなら、いくら疲れていても見過ごすだろうか?


なにより、ここ数日雨など降っていない

そして落ちているこの傘は、使われたか疑わしいほどに綺麗だった。


どう考えても不気味なそれを、私は何故か手に取り、家に持ち帰った。


それから、数日が経った、相変わらず雨は降っていない。


それだというのにまた


ことり


背後で何かが落ちる音がした。


また、ビニール傘が落ちていた。

これも使われていないようにきれいな傘だった。


私はまた、何故かそれを持ち帰った。

今の今まで何の疑問も抱かずに。


ことり、ことり、ことり、ことり、

それから何日かおきに同じようなことが起きた。

玄関には拾ってきた傘はちょっとした山になるほどになっている、

どう考えても邪魔なそれを捨てようという発想はなかった。


思い返せば、傘を拾う場所は徐々に自宅に近づいていたような気がする。

そういえば、昨日はマンションのエントランス付近で拾った気がする。


そういえば、ここ数日私は傘を拾う以外何をしていただろうか?

疲れている感覚だけはある、しかし会社で何をしていたのだろう?

毎日終電で帰ってきて、駅から自宅までの道で傘を拾って、見つけたものを持ち帰る。

どうしてそんなことをしているか自分でも分からず、自分が何をしていたかも分からず。


自宅までの道すがら、スマートフォンをチェックし、どうやら仕事は問題なくこなしていることを確認する。

しかし、人の業務記録を流し見しているような感覚しか得られない。

疲れている、だけでは説明がつかない状況だ。

なによりチェックをした限り、私はこんな時間に帰る必要はないはずなのに、本格的に病院に行くべきだろうか。

そんなことを考えて自宅のドアに手をかけたとき。


ことり


振り返ると、傘が落ちていた。


いつものビニール傘ではなく、黒い傘が。

柄に、和柄のテープが張ってある。

いつか、コンビニで取られた私の傘だと、すぐに気がついた。


相変わらず、雨は降っていない。

そして私はそれを、自宅に持ち帰り、傘の山に加えた。


その後どのように床についたか記憶がないが

起きたときの記憶はある。


ガサガサガサガサッ!と扉の向こうの音で目が覚めた。

何かが大量に落ちたような音だった。


重い頭を抱えながら寝室のドアを開けると、リビングに崩れた傘の山があった。


玄関で崩れたとして、それがリビングに来るわけがない、玄関からリビングまでは扉一枚隔てているし、当然その扉は閉まっている。


どういうことかと思いその扉を開けたとき、我が目を疑った。


玄関においてある傘の山は微動だにしていない。


振り返り、リビングを確認しても、幻などではなく、大量の傘がリビングに散乱している。


そんな異常な光景なのに、私はどうやらそのまま仕事に行ったらしい。


気がつくと、日は落ち、自宅のドアに手をかけていた


ただ、どうにも視界がぼやけている。


眼鏡の位置を直そうとすると


ことり

後ろで何かの落ちる音がした


ぼやけた視界で懸命に探すと、それは私がかけているはずの眼鏡だった。


落とした訳では無い、確実にこれは今、落ちた


それを拾い上げ、ドアに手をかける、どうやらまだ鍵は開けていないみたいだ、いつも鍵を入れているポケットに手を突っ込むと


ちゃりん


また、後ろで音がした、振り返ると案の定そこには鍵が落ちていた。

ポケットに穴など空いていないし、足元ではなく、明確に私の背後に落ちている


明日は休みを取って何が何でも、病院に行こう、いやお祓いだろうか

そんなことを考えていたら


ことり、と音がした


ただ今までと違ったのは

私が、私の背を見上げていた。


まるで今まで拾ってきたものの視点になっているように、私は私の背中を見上げていた。


そうして、私がゆっくり振り返る。


初めて鏡を通さずに私は私と目を合わせる。


『私』は私を一瞥すると鍵を開けてドアを開けようとする


自分がどうなっているかもわからないまま私は叫んだ


「おい、私は今まで拾っただろ!拾わないのか!?」


それに対して『私』はニタリと笑って答えた


「いらないものを拾うと禄なことにならないだろう?」


そうして『私』は家に入り、私はここから瞬きすらできず眺めるだけの日々が続いた


『私』がそこから引っ越して暫くたったある日


知らない誰かが私の上を通り過ぎた


ことり


誰かは振り返り、私を見た。


誰かがビニール傘を拾い上げたとき、久しぶりに私の視界が動いた


今思うと、どうしてこんな物を拾うんだろう

何があるかもわからないのに。


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