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映るもの

2ヶ月ぶりのnote。
書かなかったのか、書けなかったのか、
理由があるようでないようで多分大分あるんだろう。

それでも今年に入って6ヶ月書けた事は個人的にはかなり褒められた経験として、
6ヶ月坊主からまたハゲ頭から再スタートできたこともこの頭を撫でてあげたい。

このムラや気まぐれさは未熟さであり個性でありどうしようもなく私の特性。
必要な理由がある。

いろんな場面でいろんな角度で映し出されるいろんな私の姿を顧みる。

不均等で異なる質感の多面鏡の中で自分の姿を見る時、
その動きの起因が今ここにある自分から奪われ、
鏡の中の私の感覚の方が現実味を帯びることがある。

私という存在が消えていくような
乗っ取られるような。

鏡が近すぎたり多すぎたりすると
動けなくなる舞えなくなる。
映していたはずの私の姿がよく見えないし、
ぶつかって割れて傷を負う。

自分をよく観るために
少し動きを止めてみる。
離れてみる。

鏡を選ぶこともできる。
鏡の見方を選ぶこともできる。
舞いたくなる
微笑みかけたくなる鏡を
自分の中に外に。

どの鏡に映る姿にも見える本質はただ一つ。

ムラは故意にはできない、
その積み重ねられた時間と今の化学反応で起こるもの。

ムラの美を愛でる津軽塗は、
数ヶ月間もかけて塗り重ねた漆をなんと2/3も削ってそのまだらな偶然必然美を作り出すらしい。

図らずも起こることのあるがままの美しさを映す鏡を持っている。

どちらが鏡かわからないくらいどちらも磨き続ける。

月煎(TSUKI-IRI)と小豆コーヒークリームサンド@神乃珈琲

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