ただ在ること
家のマンションの屋上から富士山が見える。
7F建ての屋上は立ち入り禁止だけどほぼ毎朝立ち入って富士山と東京の空の大きさを確認する。
晴れていたら必ず見えるわけでもなく、霞んでいると見えない。
白くくっきりその悠々しい頭が見える度に勇気づけられ感動する。
関西人として富士山を日常に見て育ったわけではないので、殊更格別に貴重でありがたく思う。
昔コーチに、
「何かできる自分には価値があるけれど、できない自分には価値がないと思ってる?」
「じゃあ、歩くことも喋ることもできない赤ちゃんには価値がないの?」
「存在そのものが価値なんだよ」
と言われ、
その後同じようなことを何度となく言われたり聞いたり読んだり、
人に言ったりしてきたけれど、
本当にそうだな、
と心から思うようになったのはここ最近かもしれない。
1か月ほど前からこれまでとは異なる生活をすることになって、
ただ在ることがなんて素晴らしいと思うことが格段に増えたからかもしれない。
一年で最も美しい季節の光や風、草や木や花、
それらに誘われた蝶のように
老若男女それぞれが思い思いに公園や緑道に戯れて今ここを感じているさまは意図も方向性も感じない、
ただ、今、ここにいる、在る、を感じている。
私は彼らのことは知らないし、
彼らも私のことは知らないけれど、
彼らの存在は私を幸せな気持ちにしてくれている。
朝から晩まで公私とももっぱらオンラインで繋がるようになったコミュニケーションの中で、
いつも連絡を取っていた人たちも含め、
またすぐにいつかいつでも会える話せると思っていた人たちと
こんなにも今すぐ会いたく話したくなる
と同時に
ただこの人たちが存在してくれていることの自分へのインパクトをかみしめる。
私たちが何を思い、
誰と何をしていても、
何もしていなくても、
今、ここに存在していることは、
それ自体がかけがえのないインパクトを持っている。
周りの存在、そしてこの世界はそんな私たちをユニークに呼応する。
その呼応したものを私たちはまた受け取り感じて生きている。
富士山はただいつもそこにある。
ただ在るだけで毎日どれだけの存在に影響を与え続けているだろう。
そこに意図も作為もなく、
ただ今ここにあるがままの姿はこんなにも私たちを惹きつける。
富士山にはなれなくても
今日も私があなたが共に在ることを感じられる今をありがとう。
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