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今いる場所は、他人から見れば違う景色

タイトルは決めずに書こう。
書き終わった後に、自然と思いつくもの。

1週間に1度、喫茶店でnoteを書くのが楽しい。
喫茶店だと頭の中を整理しやすいし、集中しやすい。

でも、今まで私は喫茶店でノートパソコンを開いている人の気持ちが
よくわからなかった。

ただ意識高いか、リンゴのマークを見せつけたいための
自己顕示欲の表れなんだと思っていた。

でも自分がその立場になってやっと気づき、理解できるようになった。





なぜ喫茶店でパソコンを開いているのか



私の見解はこう。

自宅ではできない自分の中にあるアーティストな自分を
出せる空間がほしくて、喫茶店でパソコンを開いている
のだと。


喫茶店だと頭の中の整理がつきやすい。
普段なら思いつかないような内容も浮かんだりする。
あれもして、これもして、と展開が生まれることもある。



家でやればいいじゃん


なぜ、家でできないのか。


例えば、実家に帰ると家事ができなくなったり
家族の前だと余裕の顔でオナラができたりする。

居心地の良い場所は、自分のネジが緩くなる。

どうやら安心感を最大に感じると
動物も人もお腹を出して寝っ転がってしまうよう。

真面目で理性な自分が出てこなくなり
暖かい、気持ちいい、そんな気分に思った以上になってしまう。

もちろんアドレナリンなんて全く出てこない。
出てくるわけがない。
ステーキを食べ続けているライオンが獲物を
狩りに行くことがないように。

ということを考えると
喫茶店でパソコンを開いている人たちは
アドレナリンを程よく出しつつ、理性のある好きな自分に
出会いに行っているのだと思う。

私はそれをアーティストな自分と言っている。
ちょっとナルシストな自分を発散しに行っているのだ。

ナルシストというと、あまり良いイメージはない。
でもみんなそこそこのナルシストだと思う。
自分のことが本当に好きでない人はこの世にいないと思う。
気づいていないだけだと。


自分のことが嫌い、好きじゃないと言っている人には
絶対に聞き入れてもらえないんだろうな。
私もそうだったから。


自分のことが好きじゃない


「自分のことが好き」ってリアルの世界で言う人は滅多にいない。
だけど「自分のことが好きじゃない」という人は大勢いる。
きっとそこに何かがある。

やはり自尊感情を高めてほしくて言ってるのかな。
言わば構ってちゃん。
でもそういう人こそ、自分のことが好きなのだ。
自分のことを見てほしい
こんな自分を受け入れてほしいという感情は
自分のことが好きではない人には生まれないものだ。

自分のことが好きでないとかまってちゃんにはなれない。


ご飯を毎日食べるのも
お部屋の掃除をたまにはするのも
お菓子を食べたり、お酒を飲んだり、タバコを吸うのも
自分のことが好きじゃないとできないことだと私は思う。


ただ愛でることができてないだけ。

ご飯を食べるのは自分の体を保って生きるためだし
部屋の掃除をするのも、清潔感の欲求を満たすためだし
お菓子を食べたり、お酒を飲んだり、タバコを吸うのも
自分のストレスを発散して、自分を保とうとしているためだ。

鬱も体の防衛機能で元々備わっているものだから
細胞レベルで考えても、自分のことが好きなのだ。

自分が好きじゃないと、自分を保とうなんてしない。
今までゴミ箱に捨てたものの中で、好きな物があっただろうか。


みんな一生懸命好きな自分のために生きている。
私は勝手にそう思って一生懸命生きている。


これが勘違いだとしても、間違いだとしても
私は私のことが好きだ。
ただ、別に大好きとかではない。
自分のことを愛でることができるようになっただけ。


自分を愛でる


愛でる、とは、受け入れることができるということ。
これも勝手に私が思っている。


例えば、うちの旦那は休みの日はほとんどスマホをいじって
過ごしている。
しかもものすごい姿で。(あまり詳細は言いたくない)
でも、私は特に何も言ったりはしない。
旦那を愛でているからだ。

もちろん私も人のことは言えないような格好(すっぴんだし
ほとんど服を着ていないような格好)で家では過ごしている。
だから人のこと言えないでしょってのもあるけど・・・
でも愛でることができていれば自然とそうなる。

愛犬や愛猫が何をしても許してしまうのは
愛でているからとしか言いようがないよね。


ただ、愛でることができない日だってある。
そういう時は自室にこもって好きなことをする。
自分の殻に入れる空間があるというのは
とても幸せなことだ。

そういう空間がない人にとっても喫茶店は
とても素晴らしい場所なのだ。



意識が高い人を馬鹿にしてしまう人たち



シンプルに嫉妬だ。
自尊心の低い人にありがちな行為である。
もしくは他人のことが気になるキョロ充とも言う。
私もよくやっていた。


馬鹿にしてくる人のことが気になってしまう人もいると思う。
「気にせずに自分に集中するのだ!」と言いたいところだが
周りのことが気になる人にはなかなか難しい。


そういう人にも喫茶店はとても良い場所なのだ。


自分に集中してる人の数の方が多いし
おひとり様席があったりもする。
当たり障りのないBGM。
目に優しいテーブルや椅子。
一生懸命働く従業員。

どう見ても集中できるように作られている。


ただこうは思わないでほしい。
「馬鹿にしてくる人たちから逃げるために来た」と

そうではなく、ぜひこう思ってほしい。
「自分のことに集中できる素晴らしい人たちの集まる場所に来た」んだと。


もちろん“逃げるは恥だが役に立つ“という言葉もあるように
逃げることは悪ではないんだけど(むしろ善だと思ってる)
ただ、逃げるって言葉はネガティブに感じやすい。

闇から逃げてきたって言うより
光に向かって歩いてきたって言った方がなんか良いじゃん。


私はどんどん光に向かって歩いているのだ。
(FF14というMMOゲームでも光の戦士をやっている。)


今日もこうやってアーティスティックな自分に出会うために
喫茶店でnoteを書いている。
なんて楽しいのか。


どんな場所でも、どんな世界でも
自分に集中して一生懸命生きているということは
本当に素晴らしい。

その人たちと同じ目線に少し近づくことができて
少し理解することができた。

景色というのは同じ場所でも違って見えるというのは
こういう意味もきっと含まれている。

毎日の小さな瞬間にも、考えさせられることが
この世にはまだまだたくさんあって面白い。

これからも色んなことをnoteに書き記したいと思う。



終わりに


最後まで読んでくれてありがとうございます。

自分のことが少しづつ理解できるようになってから
周りの人たちのことも理解できるようになったり
理由を考えることができるようになってきました。

思ったことを言葉にする難しさも
頭の中の考えていることを他人に伝えるもどかしさも
このnoteと共に成長していきたいと思います。

まだまだ自分のことが信じれないので
この気持ちをいつか忘れてしまうんじゃないかと心配しています。

喫茶店の宣伝のようなnoteになりましたが
本当に居心地の良い場所です。
(もちろん全ての喫茶店ではないのかもしれないけど)

何かモヤモヤしたものがこの記事を見て
少し柔らかくなってくれたら幸いです。

それでは、共に一生懸命生きていきましょう!

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