「ほったらかし喫茶店」 ―ツルザラエッセイ(2)―
少し前、東京の西新橋を歩く機会があった。
この辺りは虎ノ門と新橋の間で、昔から両方の中間の雰囲気を持った地域だ。
事務所と飲食店が混在し、以前はここに住んで商売をする人も多かったのではないだろうか。すっかり高層ビルになった虎ノ門の再開発の波も、まだここまでは及んでいない。
かつて霞が関で働いていた頃、寝る以外は役所の中にいるような生活の中で、昼食時だけが「解放」される時間だった。そんな時、この辺りまで足を延ばすこともあった。
所々にある小料理屋や喫茶店、雀荘などがその頃の面影を残している。
歩いていると「おいしいコーヒーあります」と札が下がった喫茶店がある。それほどおいしそうな感じはしないし、ひっそりとしていたが入ってみた。
ドアを開けると、タバコの染みついたにおいがして、薄暗い奥に女性が一人座って携帯でしゃべっている。「いらっしゃい」とも言わないままに水を持ってきた。この店の主人なのだろう。かなりの年輩だ。
ホットコーヒーを頼んだ。
何やら用意していると思うと、少ししてサイフォン付きのカップみたいなものを持ってきた。くるっと上下を逆さにしてテーブルに置き、また向こうへ行ってしゃべっている。全部片手でやるのだから器用なものだ。
小さな砂時計を置いていったということは、砂が落ち切ったら飲めということだろう。
この店には似合わないような綺麗なトルコブルーの粒が静かに落ちていく。聞こえるのは女主人のおしゃべりだけだ。彼女にとってはちょっとした事件があったらしい。
しばらくすると、電話が終わったのか「今日は寒い」と聞いてきた。
「コートはいらないね」と答えると、「もうぢきお酉さまだから寒くなるね」と言う。
勘定を払おうとカウンターに寄ると、卵が3ダースほどもある。こんなにたくさん何に使うのかと聞くと「売ってるの。1個60円だけど、みんな買ってくよ。この卵で職人にカステラ焼いてもらってんだけど、すぐ売り切れちゃう」
外に出ると少し冷えた空気が心地良い。
チェーン店のカフェよりセルフサービスだったが、悪い気はしなかった。