「人間としてどうするのがいいのかを一度問わないといけない」#自分ごと化対談(生命誌研究者 中村桂子氏)≪Chapter3≫
※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【「命」か「経済」か?コロナ禍で顕在化した社会問題を『生き物としての人間』の観点で議論する】(https://youtu.be/5cEd33Vbp0I)について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。
便利さと引き換えに、人間が空洞化し社会がガチガチになっている
<加藤>
つまらないことなんですけどね。大蔵省にいるときに、正月の4日が御用始めで、いつもより少し遅めに役所に行くと、机の上にびっしりと謹賀新年と書いた名刺が並んでいる。なんとか銀行、なんとか証券…、それを見て、この人たちにとっては、ここに私が座ってようがXさんであろうが大したことではなく、この机が大事なんだと…。机すなわち、この立場、ポジションに挨拶、説明に来てる。本当にそう感じましたね。
だからそこに座る人間も、自分のことはある程度殺さないとしょうがない。多分、チッソの人だって、人によってはすごい辛かったと思うんです。しかし、チッソの社員をある意味では演じないといけないわけですよね。多分世界中がそうなってるんですよね。
<中村>
システムってもちろん必要だけど、みんなで作っていく物なんだから、この中でこれをやるためには、こうであらねばならないっていうような、下からどんどん提案ができる形になってないと生きたシステムにはならないはずなのに、逆にそこに当てはめられてる。「私、人間としてここに居ると、ちょっとここが気に入らないんですけど」みたいなことを言っていくようなシステム、そういうのができないかなと…。
<加藤>
それを実現するためには、一人一人が実際に日々生きてきたっていう「生き物として生きてきた」というものがないと多分できない。だからここ数年、忖度とか、その逆の方に来てるんで、ある意味では象徴的なことですよね。
<中村>
どんどん、人間らしくなくなってきますね。
<加藤>
問題が起こると、さらにルールが厳しくなるんです。問題が起こる、不祥事がある、メディアがあげつらう面もある、ルールが厳しくなる。だからますますシステムでがんじがらめになり、人間性を殺さないといけなくなる。
<中村>
コンプライアンスって大事かもしれないけど、私あの会議が大嫌いで、そんなこと一人一人が守っていれば、日常的に難しいことじゃない。日常性でやって行けばいいことなのに、会議をして何かをしなければならない。この会議は何だろうっていつも思う。でも会社があると、やらなければいけないことになってるんですね。私の組織でもどうしてもやらねばならぬので、一年に一回やってましたけれど、なんでこれ、やらなきゃいけないんだろうと思いながらやってました。
コンプライアンスは大事だし、守らなければいけないことは守らなければいけないんだけど、会議でやることじゃないんじゃないかって…。どんどんそうなってますでしょ、その辺がもっとこう、柔軟性をね、どんどん言っていただくと、一人一人が考えて、出来上がっていくかなと思う。
<加藤>
多分、今のシステムとかルールがガチガチになるということと、便利になって、その便利さの中で身体で何かをやるということが減ってきたこととは、表裏一体だと思います。
生きるって面倒なことですから、その中でしんどさ、負担をひとつひとつ、人間は知恵で他のものに置き換えて行った、アウトソーシングして行ったわけですね。道具やしくみを作って、それで最初にあったしんどさ、負担からはどんどん身軽になって、自分は楽になってきた。しかしある意味ではそれは、ここまで来ると人間の空洞化ですよね。
<中村>
こっち空っぽになって…、そこに全部出していったら空になるでしょ。
<加藤>
これは究極のジレンマだと思う。
土からも風からも離れた人間が作る社会とは
<中村>
私が今気になっているのは、これだけ便利になって、高層マンションの中でスマホを眺めながらという生活、大人がやってるぶんには自分があった上でやってるんだけど、そこで子どもが育つっていうことが、今起こってるわけでしょ。外の空気や風もないような閉じた、地面とものすごく離れた場所で生まれて、それでちょっと大きくなったら、もうスマホがあって、この頃二つ三つでもこう(スワイプ)やってますからね。絵本渡したらこう(スワイプ)やったっていうくらいでしょ。
そうすると、これで育つ人が生まれるわけですよね。これについてはわからない。
自分の中にあったものを、面倒だからと、外に出してきた人間はある種空洞化してても、外の機械との関わりがあって、全体として人間になるんですけど、バーチャルな世界で育ったら自分の体の一部としての脳はどうなるんだろうと…。
<加藤>
もうベースがなくなってくるわけですね。
<中村>
それをやっていいのかどうか。今、子供の研究をなさってる方もスマホの影響とか、脳が少し変わるとか、いろんなデータは出してらっしゃいますけど、今、現実にそういう子がどんどん育っているわけですよね。その人が大人になった社会は、多分、今、私がイメージしている社会とは…、どう変わるか全然わからない。変わると思わないではいられない。やっぱり地面でダンゴムシとって、砂遊びして育ったのとは違うんでしょうね。それをやってしまっていいのか、悪いのかも検討しないでやってるわけでしょ。
<加藤>
日本の国の予算の中に「デジタル化」という言葉がある。小学生全員にタブレットを渡して、デジタル教科書で…、それがいい面もあるとは思うんですけども、それも今後どうなるかという検証とか、そういうものは全くなく、デジタル化=進歩、それでじゃあ日本中に配ろうとなってますからね。
<中村>
生き物のシステムは、アナログ的なものです。
もちろんDNAは、デジタルで読んでるところと組み合わさっているんですけれども、これを一つのシステムというならば、アナログ的なものです。具体的には細胞として存在しますから。
表現型としてはね、アナログ的なもので連続したもので出てきてるわけで、それを全部デジタルに変えるということも、検討なしでやってもいいのかどうかというのは、かなり大きな問だと思うんです。けれども、「5G」だとか、「世界に負けるな」と言いますでしょ。人間に戻って、「人間としてどうするのがいいのか」って問は、一回問わないといけないんじゃないかと、とっても気になります。
<加藤>
20年ぐらいたって「やっぱり失敗だった」とか言われても、手遅れですからね。
<中村>
その間にそういう人間ができちゃってますからね。
<加藤>
それと20年位経ったら、外から見て失敗であっても、そこにいる人達は失敗であるとすら感じない。
<中村>
どういう考えの人が出来るのかが想像出来ないから、良いとか悪いとか言えないんですよね。でも、私的に言うと、生命誌は38億年ずっと続いてきたシステムですので、これはちょっと、大事にしないといけないんじゃないかなとは思います。
過去の自分ごと化対談はこちら
・第一弾 JT生命誌研究館名誉館長・中村桂子氏
・第二弾 プロ登山家・竹内洋岳氏
・第三弾 小説家・平野啓一郎氏
https://www.youtube.com/playlist?list=PL1kGdP-fDk3-GPkMkQsCiYupO4L9rS3fQ
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