日本の教育と子どもたちの将来 #自分ごと化対談(小説家 平野啓一郎氏)≪Chapter6≫
※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【『生活実感から、市民社会をどう作るのか』】について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。
劣化する教育、広がる教育格差
<平野>
カウンセリングとか、サポートする人たちが行政や民間に居て、いつでも相談できる人たちが社会に存在することも必要だと思いますし、学校にそういう人たちが居るべきだと思います。
ドイツでは、将来何になりたいかいうことの相談に乗ってくれる専門のカウンセラーが、中学校、高校くらいから学校に居るそうです。けれど、日本はそこも「自分で考えろ」だから、そこで本当にみんな苦労するんですよね。将来、自分は一体、何になったらいいのか。
僕は、東京に出てきて、10代の時からある特定の職業になりたいと考えて行動してきた人たちに出会うと、すごく不思議でした。田舎にいると、思い浮かぶ職業の数がすごく限定的なんです。消防士とか、教師とか、銀行員とか。
だけど、実際、世の中にはものすごく沢山の職業がありますよね。そこで、早い時期から将来の相談に乗ってくれる人が学校にいて、それぞれの子の発達とか、精神状態に応じてケアをしてくれるというような仕組みがあって、それがソーシャルワーカーとも接続されて、社会に出てからもずっと伴走してくれるということがないと、なかなか難しいのではないでしょうか。
<加藤>
ちょっと前までは、とにかく良い学校を出て、良い会社に就職できるようにというのが中心でした。だから、これが中心で多数で、というのが今は崩れ始めていますからね。
そこが崩れているときに、ある種のガイドするものがあるかというと、無いわけですよね。
<平野>
無いですよね。しつこく学校や教育のことを話しましたけど、実はかなり懸念していまして、というのは少子化がものすごい勢いで進んでいきますよね。そうすると教育産業は、それなりの規模でどうやってお金を稼いでいくか。
今やろうとしているのは、客単価を上げることなんです。少子化になって、今の利益を上げ続けようとすると、客単価を上げるしかない。
要するに、児童一人から得る額を増やす以外の手では教育産業は維持できなくて、ただ値上げをすると父兄は不満だから、値上げした分に見合うだけ、子どもに課題を出すとか、夏期講習を長くするというような形でしか客単価は上げようがないと思うんです。あるいは1年生からずっと塾に行くとか。
東京の中心は少子化である筈なのに、中学受験が過熱しているんです。中学受験の熱はリーマンショックの時がピークで、そのあとずっと下がってきたのに、コロナ禍で親が家にいることも多いというのもあるかもしれないですが、今またすごく過熱してきている。
結局、お金を払える富裕層の子どもには、ものすごい課題を出して客単価を上げて、ものすごく時代遅れな受験戦争の中に突っ込んでいって、そうじゃない人たちとの間にはすごい教育格差が生まれるということに今後なっていくんじゃないかということを、すごく懸念しています。
本当は、世の中自体、競争が一番になるよりも、それぞれの子の適正に応じてマッチングの精度を上げていくなかで、一人一人がのびのび生きていくことの方が大事な筈なのに、そうじゃない方向になる可能性がある気がしています。だから教育全体のなかで、大きな変化を考えていかなきゃいけない筈なんですけど、どうもそうなっていない。
大学受験の入試改革とかも、めちゃくちゃな改革をやり続けていて、友人の大学教授の人たちも疲弊しています。子ども達がどういう風に育っていくかということが、日本の未来に直結していますから、そのことはかなり懸念しています。
政治参加のことも含めて、子どもを巡る状況を良くしないと、なかなか日本は良くなっていかないんじゃないかなという気がします。
<加藤>
教育の問題というのは、所得の格差が受けられる教育の格差に結びついて、格差が固定化するとかですね。それから、高等教育をもっと受けられるように格差がないように小括するとか、必要な面はあるんですよね。
ところが、いつも思うのは、そこで致命的に欠けているのが、教育の中身を変えないといけないという部分なんですよね。今年の大学の入試では「考えさせる」というのがようやく出てきていますけど、だけどもそれはどこまで考えさせるのか。
さっきの塾とか、いわゆる教育産業ですよね、それも中身、方法とかを覚えさせる。結局どれだけ沢山の知識を提供するかというところは、あんまり変わっていないんだと思うんですよね。
だから、高等教育をもっと受けられるようにというのは良いけれど、高等教育の中身が本当に変わっていないわけですから。
<平野>
変わっていないのと同時に、おかしな方向に変わりつつある。論理国語とかで、駐車場の契約書の読み方を教えるというのを真顔で言っている人たちがいますけど、面白くないじゃないですか、そんな授業。そんな授業ばかりやっていると、学校に行きたくないという子どもが増えます。
ですから本当に、子どもの未来、この国の将来を懸念していますね。
<加藤>
文科省の人に聞いた話ですが、学校では教師が子どもに教える時間と、聞く時間、質問する時間がありますよね。質問する時間が、小学校は3割、中学校は2割、高校は1割、大学は0だって言うんですよね。
これは、そもそも違うんじゃないかと思いますけどね。質問と教える時間を本当は逆転するぐらいしないといけない。やっぱり聞かれれば考えるし、聞かれなければ考えないんですよね。
だから、何かものを考えさせるっていうときに、聞こうとしない、いわゆる受験産業というのは、ある質問をしたら瞬間的に答えが出てくるようなことを教えているわけですよね。
これは本当の質問をしている訳ではなく、パターンを作っているわけです。このことを考えると、変えないといけないのに、そこがどんどん、どん詰まりまで行こうとしているという問題ですよね。
<平野>
少子化の中で、教育産業のあり方っていうのは、日本だけじゃなくて、世界的に起こることのような気がしています。でも、それで本当にクリエイティブな人間が育っていくのか、あるいは多様な人が幸福になるような社会になっていくかというと、懐疑的です。