「障がい者」と「健常者」の違いって、なんだろう-脱線!どちて雑談
アニメ番組『一休さん』に登場する、“どちて(どうして)?”が口癖のキャラクター「どちて坊や」。その「どちて坊や」の問いかけのように、世の中の出来事に対する”素朴な疑問”から話がはずむ、ゆかいな雑談です。
何が出てくるかわからないガチャガチャみたいなトーク「脱線!どちて雑談」。
脱線こそ雑談の醍醐味。脱線からうまれる初耳の話を、お楽しみください!
パラリンピックで感じた違和感とは
■加藤
パラリンピックをあまり観たくないんですよ。もちろん選手は一生懸命がんばっていて、競技は本気だと思うけど、報道の言葉がすごく鼻につくんです。みんなキレイゴトを言っていて「かわいそうな人たちがこんなにがんばっているんだから、みんなで応援しましょう」という印象なんです。
たまたまパラリンピック関連の番組を見たんですが、「残っている体をいかにギリギリまで使うか」という言葉が名言みたいになっているんですよね。
伊藤亜紗さんが書いた本の中で「4本脚の椅子と3本脚の椅子があったとき、3本脚の椅子というのは、別に1本欠けているのではなくて、3本脚の椅子として完成している」と書いているんです。
足が1本無いなら、無い足をカバーするために、最初はリハビリするかもしれないけども、結果的には足が「無い」ことを前提にしてその人生ができあがっているわけです。
他の人からすると「あ、足が無い」と思うかもしれないけど、その人の能力は、五体満足の人よりも突出して優れている点がいっぱいあると思うんです。
目が見えない人のためにコンピュータとセンサーを使って、目の不自由さを補助する機械を開発していますけど、見えない人からすれば、そんなものは「いらない」ということもある。
「機械で見えたように感じるよりも、自分は目以外のセンサーがすごく敏感になっているから、いらない」と言うのです。目が見えない自分で何十年も生きてきていると、目が見えなくても世界を十分に把握できているから、妙な機械を付け加えられるとかえって混乱する、ということですよね。
パラリンピックの報道を観ていると、障がいのある人への理解や視点が根本的に欠けていると感じるんですよね。だから、パラリンピックを観ていてあんまり気持ちよくないですね。
□谷野
見た目が、大多数(みんな)と違うからかもしれませんね。人間全体の中で、大多数の体つきが健常者で、少数の体つきが障がい者。もし足が1本の人が大多数だったら、僕らの方が障がい者になるかもしれないですよね。「足が1本多い」というふうに。僕は、障がい者の人は「大多数の人とは違う体をもつ”健常者”」だと思います。障がい者の人にとって、その体が日常であり普通なので「健常」なんです。生きていくために誰かの補助が必要な人を「障がい者」とするなら、人生の最初と最後は、すべての人がもれなく「障がい者」です。赤ちゃんも病床の高齢者も、誰かの助けなしには生きられないのですからね。
「障がい」。その定義は曖昧
■加藤
僕ね、「パラリンピックの定義ってなんだろうか?」と思うんですよ。例えば「指が1本欠けています」。そのことは走ることに、どこかで影響があると思うけど、本人は何の支障も感じてなくて、すごい速く走る才能を持った人がいる。その人は、オリンピックに出る人?それともパラリンピックに出る人?「どっちなんですか?」と思いますね。
だから、どこまで障がいがあればパラリンピックに出る人か。LGBTQ(同性愛者、性的少数者)の場合はどうか。オリンピックもパラリンピックも究極のアスリートを決めるものですが、その2つを区別する「障がいの定義」が実に曖昧だと思いますね。
□谷野
手術をして体に金属のプレートを入れている人は、健常者なのか?ってことですね。
■加藤
そうなんですよ。
あの「世界最速の男」も実は
□谷野
陸上競技100メートル走の世界記録位保持者ウサイン・ボルトって、実は障がいがあるんですよ。
■加藤
えっ、そうなんですか?
□谷野
パッと見は障がいに見えないのですが、ボルトは背骨が曲がっている障がい(脊椎側弯症)のために、肩が左右に揺れる独特の走り方なんです。ただね、ボルトの場合は「世界最速」だから特別扱いなのか、外見では気づかない障がいだから、障がいとしてカウントしないのかっていうのはありますね。
■加藤
それはあり得るんですよねぇ。実は障がいなんだけども「100mを6秒!すごい人間が突如、現れた!」みたいな話は、あり得るんですよね。
□谷野
そもそも100mを9秒台で走ること自体がおかしいんじゃないか(笑)。9秒台なんて、健常者の平均的な足の速さを、はるかに超える”異常値”ですよ(笑)
■加藤
(笑)
□谷野
マラソンの世界記録も、今や2時間1分台ですよ。
42.195kmを、“異常”な速さで走る人は、健常者ですか?(笑)
棒高跳びだって、なんと6m以上の高さを跳ぶんですよ。
その高さを、わざわざ棒で跳び越えようとするのは”正気じゃない”のでは?健常者はそんな”奇妙”なことはしませんよ、って思いますね(笑)
目が見えない人にとって「足は目の代わり」
■加藤
僕が読んだ本の中に、健常者と障がい者の違いが書いてありました。
障がい者の定義で「あ~そうか」と思ったのは、障がい者というのは、健常者が使ってない能力を使っている人のことだと。
目が見える我々は、「足を歩く道具だ」と思っているけど、目が見えない人は「足は目の代わり」になるんですね。道にデコボコがあれば、それを足で感知しているんです。点字ブロックがそうですね。例えば、我々が脳梗塞で倒れて腕が動かなくなったとしましょう。リハビリしたら、腕が動くようになる場合もあるだろうけども、腕が回復しなかったら、腕以外の体の能力が研ぎ澄まされることってあると思うんです。
□□どちて雑談のアーカイブ□□
本投稿は、構想日本のYouTube企画「脱線!どちて雑談」(7,25話)の内容を元に、note記事用に加筆修正したものです。ぜひ、YouTubeもご覧ください。
過去のどちて雑談の動画はこちら
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