生き物の視点でコロナウイルスを考える #自分ごと化対談(生命誌研究者 中村桂子氏)≪Chapter4≫
※本記事は、YouTubeで公開している自分ごと化対談【「命」か「経済」か?コロナ禍で顕在化した社会問題を『生き物としての人間』の観点で議論する】(https://youtu.be/5cEd33Vbp0I)について、Chapterごとに書き起こし(一部編集)したものです。
「これが正しい」、「必要」だとか、そういう発想は生き物の中にはない
<加藤>
「生命誌」これは一言で終わらないと思うんですけども、ごく簡単に説明をしていただくとすれば…。
<中村>
ごく簡単に言えば、「人間は生き物です」と言うことですね。「生き物って何ですか」と言うと、他の星にはまだ生き物見つかってないので、地球上にしかいないんですけども、38億年前に何か「生き物」というものが生まれた。その特徴は何って言ったら…、増えるとか、いろんなことがあるわけですけれども、我々の祖先が「細胞」という形で産まれた。今、それがものすごく多様な、何千万種という「生き物」として存在してるんですけど、それは全部そこから出てきた。祖先は一つだということが、学問的にはっきりしている。
「ゲノム」を調べればわかることで、これは一つの祖先から全部の生き物たちが生まれて、人間もその一つであって、この地球というシステムは、まさにこれが作り上げてるということで、この生き物って何をしてるのって言ったら、あれやろう、これやろうっていうことじゃなくて、結局「続いていく」、何しろ「続くこと」、例えばこの頃、色んなテレビで動物たちの画が沢山出て来ますけれども、彼らは何してるっていったら「子孫を残す」ことのために全てのことをやってるわけですね。とにかく生き物の「系」は、「続く」ことだとわかります。
そうすると、私たちが今の社会について考えてることは、今を楽しく生きようとか、みんなで幸せに生きようということはあるけれども、必ず誰もが子供のこと、孫のことをイメージしますよね。これが続いていって欲しい、地球環境問題なんかを誰もが考えるのは、今、自分が生きてる間に生きていけなくなるとは思っていないけれども、子供、孫の時代を考えたら、大丈夫かなと思う気持ちが、今の環境問題を考えさせているんだと思うんですね。だからどこかに、私たちは続いていく、自分のところで終わりたくないという気持ちがあると思うんです。それがまさに生き物の気持ちだと思う。
それがどうやって続いてきたかと言うと、答えは「多様化」です。一番立派なものを作ろうとは全然思わないで、「多様化して生きてく」ことが「続く」方法だということを見つけた「系」なんじゃないかな。少なくとも38億年は続いてますのでね。
多分、太陽の寿命つまり地球の寿命が50億年ぐらいと言われていますが、これは、このまま続いていくシステムだろうと思うんです。その中に「人間」がいるのですが、この「系」としては、今後も続いていくと思うので、人間がいなくても、ちっとも困らない。
<加藤>
最初に一個だったものが色んな形で続いていって、その内の一つが人間だけれども、これが無くなっても続いていく。
<中村>
多分、地球が終わるまで、行くだろうと思うんです。いなくなるものが他にもいっぱいいるとしても、「生き物の系」は続いていくと思うんです。だけど、私たちは自分も生き物だと気が付いたら、やっぱり自分の子孫を続けていきたいというのはあるので、そうするとデジタル化はどうか、環境問題はどうか、ウイルスと向き合う時はどうしたらいいのとか、いろんな問題が出てますが、自分の世代だけ生きればいいと思ったら、ほとんど考えなくても大丈夫だと思うんです。せいぜいみんな生まれて100年ですから、そのくらいの間の保障はあると思うんです。
だけど、こんな問題を皆が一生懸命考えるということは、皆さんの頭のどこかに「続いていきたい」、自分じゃなくて子孫として続けていきたいという思いがある。「それは、あなたが生き物だからじゃありませんか」と思うんです。だとしたら、生き物として生きるってどういうことかを考えるところから始めると、面白い。これが正しいとか、これが必要だとかという気はないんです。
そういう風に考えると面白いと思うんですね。そういう風に考えた方が、色々面白い可能性が生まれてくるので、そういう風に考えてみませんかと言っているだけなんです。
「正しい」とか、「これが必要」だとか、そういう発想は、実は生き物の中にはない。正しい生き物なんてどこにもいないわけで、「必要な生き物」もいないんですよね。皆で、それぞれがそれぞれに面白く楽しく生きていればいいのであって、だからそういう形で生き物っていうのをちょっと考えてみませんか、というのが、私が提案していることなんです。でもね、ツルツルの方がずっと進んで、違う方へ行っているような…。
<加藤>
今の「続く」というのは、個人として「続けたい」という感覚と、子とか孫とかが「続く」ということとは、必ずしも一致しないわけです。
みんな違って、みんな同じ、生き物の世界で繋がっている
<中村>
個体は死にますから。あるお年寄りからお手紙が来てね、「私は、とても良い夫に恵まれて、幸せな人生を送ってきました。」だけど、ご主人が先にお亡くなりになって一人になってしまう。お子さんがいらっしゃらない。「子どもがいないので、私は何のために生きたんだろうって考え始めました」っておっしゃるんですよ。
私のところにそんなお手紙くださっても困るんですけど、頂いたからにはお答えを書かなければいけない。私は「お庭をご覧になるとお花が咲いてるでしょ、雀が飛んできたりもしますでしょ、それを構成している細胞にあるDNAは人間とも繋がっています。お子さんがいらっしゃらなくても、そういう生き物の世界で全部繋がっているんですって、あなたの命は、そういう形で繋がっているんです」って、私が書けるのはそれしかないので、そう書きました。そうしたら、「とってもよくわかって、すごく気持ちが安らぎました」というお手紙をくださった。
それ以来、皆さんDNAのお勉強をなさらなくても、そういう形で生き物たちのつながりに、ふと気づきさえすれば、みんながそういう気持ちになれる、その「気付き」だけだって、その時わかったんです。それ以来、DNAの…、科学の話はちょっと脇に置いても、そういう「気付き」を伝えることが大事かなと思い始めました。
<加藤>
あんまり、そういう感覚で見ないですよね。スズメやらなんやらっていうのは人とは違うものであって、違うものであると同時に、一つの「生命」という意味ではつながってるって言う、そっち側は普段考えないですよね。
<中村>
金子みずずだと「みんな違ってみんないい」で終わるんですけど、「みんな違ってみんな同じ」ということを明らかにしたのが、現代生物学なんです。
そういう意味では現代生物学は、とっても大きなことをやったと思うんです。
「みんな違ってみんないい」は、とても大事な感覚ではあるんだけど、「みんな違うけど、みんな同じ」なんだって、その方が、より全体を一人の人が自分との繋がりを感じられるんじゃないかと思うんです。そういう意味では今の生物学、生命誌は、普通のところに沁みとおっていってほしいなと思っているのです。
ウイルスの方が先輩
<加藤>
コロナのようなウイルスも、そういう目で見るとちょっと見方が変わるかもしれない。
<中村>
そうなんですよ。コロナで、「ウイルスとは戦わなきゃいけない」、「ウイルスやっつけなきゃいけない」と言われると、あちらの方が先にいたので、『後から来て何言うか』と言われますよと、言いたいのです。ウイルスは、生き物じゃありません。細胞じゃないから。私は「動く遺伝子」と捉えています。
さっきの、みんなが繋がってるということをもうちょっと具体的に言うと、加藤さんはご自分のゲノムをもってらっしゃる、細胞の中にDNAを持ってらっしゃる。みんなが持ってるわけです。そうすると「自分の遺伝子」、「自分のDNA」と思いたくなる。非常に固定的に捉えるわけです。
遺伝子は決まっていて、しかも親からもらってと…。ところが遺伝子を研究すればするほど、遺伝子は他の生き物との間を動き回っていることが見えてきます。遺伝子は、最初は研究者も固定的に考えていたんです。これは「ヒトの遺伝子だ」、「私の遺伝子だ」とか。
けれど、調べるほどに、遺伝子は動き回っていることが分かってきたんです。まずは染色体というのがありますよね、その中でも動き回ってる。
細胞の中でも、染色体の中から外へ飛び出して、「プラスミド」と言うのですが、別の形で細胞の中に遺伝子が入り込んでる。更には細胞の外へ出て動き始めるのができたわけです。でも遺伝子つまり DNAはすごく壊れやすいので、そのままウロウロはできないから、タンパク質の殻を着て、動き始めたのがウイルスなんです。だから、染色体の中で動いて、細胞の中で動いて、外で動いてという、遺伝子の動く世界が見えてくる。その中で一番動き回ってるのがウイルスで、コウモリの中に入ってみたり、人間の中に入ってみたり、時には人間の染色体の中にウィルスの遺伝子が入り込むこともある。
それが悪いばかりではなくて、有名な話ですけど、赤ちゃんが生まれる時の胎盤を作る遺伝子は、元々ウイルスなんです。多分哺乳類ができる時に、必要な遺伝子をウイルスが運んでくれたんでしょうね。
哺乳類は、その遺伝子がなければ、胎児という異物が体の中で大きくなることはできません。ウイルスでさえ免疫で異物として拒否するのに、胎児という大きな異物が中に入ってても大丈夫という状況は、生物学的には非常に不思議なことなわけです。
それを支えているのが胎盤で、血液はつながらない。血液がつながって混ざったら危ないですから。血液はつながらないで、栄養分だけ送ることができるシステムを作ったわけです。その大元を辿っていくと、ウイルスが関わっているということがわかるので、明らかに遺伝子を運んでる存在だということが分かるんですね。
ところが、コウモリの中で静かにしてる時は別にどうということはなかったのですけれど、たまたま人間に入った時に、わけのわからない症状をひきおこす。この状況はやっぱり困りますね。なんとか、我々に悪さをしない状況に治まるよう、ワクチンや薬を作らなければいけないのですけど、ウィルスという存在を消すことはできません。本質的に、生き物の世界に、基本的に存在してる。遺伝子で我々が生きてる以上、存在してるものなんです。
そういうものとして、ウイルスを見なければいけない。そうすると、元々は他の生き物の中におとなしくしていたのに、熱帯林の中でちゃんと外へは出ないでいたのに、そういうものが次々出てきてるのは、人間が勝手にそこを乱してるからなわけで、ウイルスが全くなくなるという事はないけれども、それを引きずり出さないような生きる工夫をしなければいけない。
ちょっと今、ツルツルが滅茶苦茶やり過ぎたんで、今まで静かにしてたものが出てきてしまっているので、「自分のところにいてね」、という状況を作らないといけないですね。
過去の自分ごと化対談はこちら
・第一弾 JT生命誌研究館名誉館長・中村桂子氏
・第二弾 プロ登山家・竹内洋岳氏
・第三弾 小説家・平野啓一郎氏
https://www.youtube.com/playlist?list=PL1kGdP-fDk3-GPkMkQsCiYupO4L9rS3fQ
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