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そして僕は父になる【自宅編】

2024年09月25日 早朝4時45分
「痛いかも」
という一言で起こされたところから今日は始まった。


少し遡り
予定日18日のひと月ほど前から、
「お腹が重くてしんどい」「はやく産みたい」
と言っていた妻だったが、僕に似てのんびり屋さんのお腹の子は予定日当日もいつものように妻のお腹を蹴っていた。(子宮口0/10)

それ以降というもの、いつ陣痛がきてもおかしくない状況で、
妻は毎日2,3キロだったが歩くことを続ける。
僕はもし明日陣痛がきても大丈夫なように、在宅勤務で仕事を捌く。
という日々を過ごしていた。

そして、昨日の定期検診でも「まだ降りてこないねぇ」「でも今週中には産みたいよね」「痛いけど少し刺激するね」と先生。
子宮口を柔らかくする薬や陣痛誘発剤を使うために急遽翌日からの入院が決まった(1.5/10+子宮グリグリ)
この日は体重管理のために今まで制限してきた
テリヤキマックバーガーセットとシャカシャカチキンを昼食に食べ、夜は僕が好きな厚焼き玉子を「私が入院してる時に食べてね」とたくさん作ってくれた。
2人で寝る最後の夜だね〜と言いながら寝た。

次に僕が起きたのがそう、今日の朝4時45分だ。



仕事で昨夜完徹をしていた僕は久しぶりの布団で熟睡していた。
妻の「痛いかも」で起きた僕は、眠気と闘いながら身体を起こした。
かなり眠たかったが、妻がつけていた陣痛アプリの最初の記録が3時15分だったのを見て
「そんなに1人で頑張ってたのか」
と驚きやら虚しさやら感謝だかなんだかわからない感情に心を締め付けられ、完全に目を覚ました。

5時05分
妻が念のため病院へ連絡している横で
入院バッグは入念に準備してあったはずなのになぜか、足りない気がして更に色々詰めた。
さらに、僕の分の陣痛バッグ(食事や飲み物、カメラなどのサポートグッズ)を用意していなかったことに気付き急いで軽食をまとめた。
病院からはやはり「もう少し痛くなったり、短くなってきたら再度連絡してください」と言われた。
(よく聞いてはいたけど、やっぱりそうなんだなーと思った)

5時30分
「結構痛み我慢してから連絡したんだけど、この痛みと間隔(5分間隔)でもまだダメなのかなぁ」と妻。
分からないことはプロに聞いてみようということで、ダメ元で再度連絡。
病院まで30分かかるためなのか、来院OKがでた。
(入院予定日だったからなのか?)
僕はここからの長期戦を見越して妻に梨を剥き、その後ゼリー飲料を1本流し込んだ。

6時10分
妻が痛みと闘いながらお菓子を食べているうちに、車は病院につき内診が行われた。
この状況でも子宮口は昨夜からほとんど変化ないとのことで、ここから長期戦になることを覚悟した。
何か変化があるまで時間がかかるので、僕は
「一度帰宅してください」
と言われたので帰って備える(寝る)ことにした。(1.5/10)
ここから3,4時間で産まれる人もいれば10時間以上かかる人もいるとのことで、調べてみたところ似た経過の人がいたのでその人をモデルケースとしてみた。

この時点での僕から見た妻の痛みは、
「まだ僕が側にいなくてもどうにか耐えられそうかな」
という感じだった。

6時40分
帰宅すると庭でネズミの死骸を発見…(何かに食べられてここに置いて行かれたような感じ)
「え…」「こんなこと今まで一度もなかったのに、今日?…」と思いつつも正しく処理し、その後スピリチュアル的なものを調べてみた。

グレーのネズミが庭で見つかるのは「新しい始まりのサイン」「健康に気を遣えという暗示」ということだった。

流石になんだか恐かったが、悪そうなことではないので良かった。
睡眠。

9時00分
妻からのLINEで起床

「来れるなら来て欲しい」


痛みと闘い続けている妻を思うとここで行かない人はいないだろう。

9時30分
妻からの追加注文ポカリスウェットを購入し、痛みが吐き気に出てくるレベルまできていることを察知した。

9時45分
病院着
僕の陣痛バッグを持ち、妻が頑張っている陣痛室へ入った僕は一瞬で出産の大変さを目の当たりにする。

病院編に続く


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