#習作 エンドロール(1200文字・掌編)
1 エンドロール
「震源地は淡路島北部。地震の強さを示すマグニチュードは4.0…」
神戸でこれだけの揺れなのだとしたら。
そう思って、僕は震源地が気になった。普段はつけないNHKをつけてテロップを待った。午前7時を少し過ぎに流れたニュース速報のテロップを見て、僕は少し安心した。生まれ育った徳島でなくてよかったと思って、僕はほんの少し安心したのだった。地震のたびに、幼少期の出来事が思い出さされる。ちょうど、僕が小学4年生になったときのことだ。
*
僕はその頃から徳島に住んでいたのだけれど、同居していた祖母は、もともとは神戸の生まれであった。祖母は、決して友人が多いほうではなかったとおもう。しかし、あの日、あの時、あの瞬間の、あの地震があった日以降から,ブラウン管の前に正座をして、画面いっぱいに流れてくる死者の名簿を見るようになった。普段、僕には「テレビに近づくと目が悪くなる」なんか言うくせに、その日からは、合格発表か宝くじの抽選結果でも見るかのようにして、身を乗り出してテレビを見ていた。座布団もひかずに、ただブラウン管を見ていた。
テレビには死者の名前が連なっていた。地区ごとに名前が画面いっぱいに表示されて、そして順次画面が切り替わっていく。その画面に終わりはない。
「6チャンネルに変えてよ」
僕にとっては、金曜日のこの時間帯は、午後5時からのロボットアニメ、そして午後5時30分からの戦隊ヒーローものが唯一の楽しみだった。しかし、僕の要望などは、そもそも祖母の耳に入っていないようで、ただただ例の画面が流れる様子を祖母は眺めていたのだった。
「あぁ、今、中央区の永山さんって,あの永山さんかしら。生田か葺合かはっきりしてや」
僕に尋ねたのだろうか。しかし、祖母も僕に何の反応も求めてはいなかったようで、まだテレビに夢中になっている。
震災から6日後の時点で、神戸に住むわずかな親戚は全員無事であると確認できていた。それでも祖母は、テレビの前に座している。スーパーの広告紙の裏に、さも写経でもするかのように、僕の鉛筆で黙々と死者の名を書いていた。肉の特売の宣伝が裏写りする広告紙には、一人、二人と次第に名前が増えていく。テレビで映される名前を、祖母が勝手に選別しているらしかった。紙が薄いため、ところどころ表面の朱色インクが滲む。
「永山さんって,ほんとうにあの永山さん。下の名前なんといったかいな」
再び僕に尋ねたような気がしたが、やはり祖母は僕に回答など求めてはいない。
僕は、知っている人が死ぬと涙を流すものだと思っていた。
でも祖母は違った。広告紙の裏に、鉛筆でただ名前を箇条書きするだけであった。いつのまにか、僕も黙ってテレビに連なる死者の名簿を見つめていた。
どこかでこの感覚を味わった気がした。
そうだ。
父に無理に連れられて見に行った映画のエンドロールを眺めていたときだ。
ただ、その映画の名前は忘れてしまった。
(了)
2 テンプレ
一人ひとりが復興しますように。