「あともうちょっと食べられるかも」という期待こそが恋。
ご飯が食べれるようになり、眠れるようになった代わりにすっかり体重が戻ったわたしへ!
例えば昔のドラマなんかだと、想い人が外国に行ってしまったり、結婚を反対されて泣く泣く別れたりなんかするでしょう?ああいう劇的な終わりって、後引くからあんまり好きじゃない。自分以外の理由を言い訳にされるなんてまっぴらごめん。どうせなら恋の終わりは、静かに腐っていくほうがよっぽどいい。
あともうちょっと食べられるかも。いや、もうダメかな。でもお腹壊してもいいや、あともうちょっとだけ。
そうやって少しずつ噛み締めて、少しずつ納得していく方がいい。
だって恋の始まりも「あともうちょっと食べられるかな」って欲目だもの。
関係性は、状態だ。距離やスタンスを変えれば、得るか失うかは一か八かの勝負。
だから「この人との関係の美味しい部分はここまで」と線引かなくちゃならない時もある。そして「それでももうちょっと食べてみたら美味しかった」ということもある。
皮ごと食べられる果物みたいに、「まだ食べられるとこあったんだ!」なんてこともね。
いつの間にか、耳にするニューストピックは「恋人ができた」なんて浮いた速報よりも「結婚しました」という報告ばかり。
それはわたしにとっては、遠い国で今この瞬間も銃声が鳴り響いてることくらい、現実離れしたことだった。
結婚したら、もう食べる部分を決めたり、腐っていくのを横目で見なくても済むのかな。
わたしの人生には、起こり得ると考えるのすら勇気が要ること。
悲しみを恐れずに言うのならば、望むのは完食。してみたいし、されてみたいんだ。
女を思い出したい今日のわたしより。
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