むしろ、愛の信者だったこと≒「東京独身男子」で言うところの"元気問題"
信じてもらえないかもしれないけど、土曜日から降り続いた大雨のせいで火曜日の夜まで眠り続けていた。
月曜には楽しみにしていたバーベキューがあったはずなのに、おかしいな。
記憶は、断片的にしかない。
ちゃんとトイレにも行ってるし、ご飯を食べた形跡もある。こういう時のために、冷凍庫にはチンするだけのセルフ冷凍食品を作り溜めているので安心だ。
連絡をたどってみると、返していなかったり、かと思えばちゃんと会話が成立していたり。
ただただ、耳に残る雨の音だけが映像みたいに脳裏にこびりついて、とにかく頭が痛くて、「だめだだめだ」と思いながら強制終了。次に目が覚めたときにはその繰り返し。
わたしの過眠症は、数年前には「重いPMSですね」と診断され、去年入院したときには発達障害の影響も「まああるかもしれないね」と言われ、どちらも睡眠薬を処方された。
眠りにつくための薬を飲めばすっきり起きられるかといえばそんな因果関係はなくって、嫌な夢を見て泣きながら変な時間に現実に戻されるだけ。
対処療法なんてそんなもん。だから、「やっちまったな」という嘘みたいな台詞とともに何度でも目覚めて、何度でも対策を練るしかない。
高校生の頃、免許を取りたての幼なじみの男の子がよくドライブに連れ出してくれた。
彼は口ぐせのように「知ってるか?1日って24時間だろ。で、みんな1日にだいたい8時間寝るだろ?ていうことは、人間は人生の3分の1を寝て過ごしてるんだよ!」という話をしてくれた。
だから起きてる時間はめいいっぱい楽しめよ、と。
人よりも寝て過ごす時間の多いわたしは、今でもその脅迫概念にかられながら過ごしている。
この間、眠れずに迎えた朝をどうしても楽しみたくって、お兄ちゃんみたいな存在のお兄ちゃんに電話をかけて海に連れ出した。
帰りの電車を待つときに、"起きられない"エピソードをぽつりぽつりと話したら、「うーん…あなたはそういう動物なんじゃない?」と返ってきたのでケラケラ笑った。
最近また"起きられない"問題について悩んでいるワケは、出勤がしたいからだ。
遅刻をするかもしれないストレスは、自宅作業での仕事を選んで回避した。締め切りを守れないかもしれないストレスは、タスクを前倒しする体制をとって回避しつつある。
だけど、それでいいのかな。
もう取り戻せない空白の時間を憂いても仕方がないけど、今はコントロールできない空白の時間が手に入れば、もっといろんなことができるのに。
わたしは、自分が人と関わって、達成感を得て、必要とされることで上手くまわる人間だということを知っている。
組織に所属して、規則的なリズムを手に入れることで、飛躍することもあるだろう。
(あと、フリーランスのままではカードとか家の更新とか社会的信用の部分がまじでめんどくさい。
実は、転職を考える上で自分にできることを考えてみたら、意外とたくさんあるので驚いた。
ライティングも、SEOも、フォトショも、HTMLやCSSも、撮影も、動画編集だって、うん、できるな。ぜんぶそこそこできる。
これ、求められる場所はあるだろうな。
だけど、なのに、やっぱり出勤だけができない。
そして、さらにもう一周考えてみたのだ。
「あれ?自分がぜんぶそこそこ、まあまあできるってこと、あり得るっけ?」と。
わたしはもともと器用貧乏なタイプではない。わからない分野はまったくわからないし、得意科目をひたすらに努力でカバーしてなんとか平均点を上げてやり過ごしてきたはずだ。
あれ、もしかして、がんばってきたのかも。いつの間にかできるようになっただけで、ぜんぶ最初から得意なわけではなかったな。
そこで、やっと気付いてしまった。
ああこれ、男女の関係と一緒じゃん。
本当は頭を下げて、自分をさらけだして、いろんな人に聞いてみればいいんだよ。
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王様の耳はロバのみみ
だれかにとってはたるにとらないもので、だれかにとってはふと潜り・ふと顔をあげられるようなことを、こっそりつらつら書き重ねていきます。
原稿料代わりに・・!?