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映画「聲の形」に大人たちの本気を見た。

映画を観るのは、何年ぶりか。「アナ雪」以来だから、確か2年?

自分のアイデンティティとも言える大好きな人が主題歌の映画だというのだから、観に行かない訳にはいかなかった。
しかもこれまた懐かしい「けいおん」の監督さん。漫画も買って予習して、ウキウキしながら劇場へと向かった。外は雨だった。

「聲の形」は、簡単に言えばイジメをしていた高校生の男の子「石田将也」がイジメていた聴覚障害者の女の子に小学生ぶりに会いにいき、自らの過去と対峙するお話。
なんでわざわざ?と思うだろう。私もそう思う。イジメられた側と違ってイジメた側の人間は、すっかりそのことを忘れるもんだと思ってたから。
でも彼は違った。彼女「西宮硝子」との出逢いで、その後の人生が一変してしまったのだから。

予告にもあった「私は耳が聞こえません」というシーン。そんなにザワつくほどのことかな?折り合いつけて仲良くやれば?と今なら思うが、確かに「学校」という箱の中では「人と違う」ということは良しとはされない。彼女は退屈に飼いならされた同級生らの格好の獲物になってしまった。しかしそれが公にされた瞬間、世界は一気にひっくり返った。イジメの主犯であった主人公はその責任をすべて負わされて、今度はイジメられっ子になってしまった。「イジメてたんだからイジメられても文句言えないよな。」そんな理屈で。

そうして、それからの彼は誰の顔もロクに見ず、誰ともまともに関わろうとはせず、高校生までを暮らした。周りの人間の顔に大きなバツのステッカーを付けて。

なんとも胸クソ悪い話だ。たぶん、「君の名は」に感化されてなんとなく流れでアニメ映画として観に行った人たちは「あれ?」って拍子抜けしただろうな。

でも、私はやっぱりこの話が好きだった。自分も今まさに、過去と戦っている最中だったから。もうツライししんどいしもういいよって何度も思うんだけど、映像の綺麗さとキャラクターの愛らしさがそれを助けてくれる。

前だけ向いてても、どうしてもつまずくことがあるのなら、めいいっぱい後ろ向いてみるのもいいのかも知れない。

「君に生きるのを手伝ってほしい。」

彼の願いは一つだった。「西宮硝子にもう一度会って謝りたい。」そうして謝って、死ぬつもりだった。でもそうしなかったのは、単純に再会した西宮がめちゃくちゃ可愛かったからだと思う。(ていうか昔イジメてた理由も実際は可愛かったからだと思う。)

「俺たち、友達になれるかな?」いつかの為に、耳の聴こえない彼女の為に、ずっと練習していた手話を使って、つい出た言葉がそれだった。それは彼の新しい希望になってしまった。

小学生の時、「西宮硝子」に出逢って変わってしまった彼の人生は、高校生になってまた「西宮硝子」に逢ったことで変わりはじめた。

私が「大人のみなさん、やるなあ。」と思ったのはそこからの話。
原作の漫画と映画では、彼らが高校生になってからのストーリーの構成がガラリと変わっている。でもそれが、良かった。プロの仕事だ。

映画を見終わった後、漫画をもう一度読み返したくなったから。映画がこの話の初見の人は、きっと原作の漫画を読みたくなるだろうから。
そうやって何度も何度も繰り返し味わって、噛み締めて、そこで見えてくるものがあるだろうから。

あのブロッコリー頭君の優しさを、妹の結絃の戦いを、お母さんたちの脆さを、おばあちゃんの大きさを、いけすかないメガネ委員長の正義を、背の高い女の子の強さを、まゆげ君の歪みを。是非漫画で知ってほしいなって思う。

そして、私が不覚にも号泣してしまったのは、黒い髪のストレートの女の子「植野直花」の最後の手話のシーン。漫画にはないシーンだった。あれはズルい。本当にズルい。あんなの見せられたら、泣くしかない。

一番西宮にツラくあたったのも彼女だけど、一番西宮と対等に接していたのも彼女だと思う。
「かわいそう」だとか「助けてあげる」なんて気持ちのうちは「障害者」を「障がい者」や「障碍者」にしたところで何も変わらない。きっと「仕方ない」なんて一度も思ってあげなかったんだろうな。あの中で、一番素直な人間だったんだと思う。わるい意味でも、いい意味でも。

あと補聴器のメーカーさんが協賛出してたのもよかったなあ。あの、片耳の赤い格好いいやつ。昔「ビューティフルライフ」が流行った時、主人公が乗っていた黄色い車椅子が話題になったんだそう。そういう、特異なものじゃなくて格好いいものとしての補助グッズがもっと浸透すればいいのに。

「恋をしたのは?」

手も繋がない、キスシーンもない、それなのにどこか恋の匂いが漂うのは、やっぱりaikoさんの主題歌「恋をしたのは」が一役買っている気がする。

この作品は表面的なテーマこそ「障害」だとか「イジメ」だったりするけど、それはわかりやすいモチーフなだけで実際は「向き合う」というところに本質があると思う。

いつだったか、もみくちゃにされて花道の真ん前まで流れて行ったライブでaikoさんと目が合ったことがあった。信じられなくて、恥ずかしくて目をそらそうとする私を、彼女はずっと指を指しまっすぐ見つめて歌ってくれた。
どんなに大きい会場でも、懸命に自分の姿を届けようとするし、どんなに小さな会場でも「みんなの顔がよく見えるから嬉しい」って言う。あの人はそういう人だ。一度も手を抜いているところも奢っているところも見たことがない。誰よりも一人一人と向き合って、応えてきた人だ。主題歌が決まった時、ぴったりだなあと思った。

「迷わぬよう歩いていけるたったひとつの道標」そんな風に想える相手に、人生のうちどれだけ出逢えるんだろう。どれだけの人が、ちゃんと出逢えてるんだろう。

橋の上での告白のシーン。一緒に観に行った友達が言った。「なんで言葉で伝えて伝わらなかったなら、手話でもう一度すきって言わなかったんだろう?告白なんて、言葉じゃなくてタイミングやシチュエーションの問題なのにさ。」

私はそれは女心だと思う。あの日彼女は補聴器を付けている耳を出してポニーテールにして彼に告白した。手話じゃなく、ジェスチャーじゃなく、自分の口ですきって言ってみたかったんだと思う。「月?」って聞き返されちゃったけど。(でも「月が綺麗ですね」はアイラブユーだって夏目漱石が言ってたから半分成功だ。)
そして彼女は、「耳が聴こえない」ただそうなだけで、ずっと突拍子もないことをしてきた。だって昔だって、掴み合いの喧嘩してたし、突然手話使って、友達になろうって言ってたし。勢いで告白しちゃうの、めちゃくちゃ彼女らしいなって思ったよ。

「恋をしたのはいつからか泣いたのは何度目か」
最初に恋をしたのは、どちらだったんだろう?お互いいつからか、ずっとすきだったんだもんなあ。痛烈に誰かのことを考えたり「嫌いだ」なんて思うのは、やっぱりそれは恋だよなあ。
aikoさんは、やっぱり天才だ。



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