生存戦略を自己紹介にかえて【月曜生まれのコソク論】
「姑息」という言葉の意味をご存知ですか。
わたしがこのワードを初めて耳にしたのはたしか小学生の時。アニメの主人公が敵に向かって「こ、こそく〜〜!」と悔しそうに呟いていたのを記憶している。
それにはおそらく「ひきょう者め!」というニュアンスが込められていて、負け惜しみの台詞として使われていた。
「人を悔しがらせるって、かっこいいのかも…!?」
あの頃から、わたしはすこし小賢しい性格であったのだろう。
正義の味方である主人公よりもよっぽど、お手並み鮮やかなそちらのほうに強烈に惹かれてしまったのだった。
しかし、ひとたび辞書をひらいてみると、それは大きな思い違いであることに気づく。
姑息の「姑」は「しばらく」、「息」は「休息」の意味。
「しばらくの間、息をついて休む」ところから、姑息は「その場しのぎ」の意味となった。
姑息が「卑怯」や「ケチ」の意味で用いられる事も多いが、そのような意味はなく誤用である。
ここで、子供時代を紐解いてみよう。
わたしは今で言う毒親育ちで、一般的には家族間で得られたであろう所在意識がまるでない。
お湯で薄めたような自己肯定感をちびちびと飲み繋いで、これまでなんとか生き延びてきた。
最近やっと把握できたことだが、脳に障害があるので他の子が当たり前のようにこなしていることができず、その仕組みがわからなくて長年悩み続けた。
そして、逃れようのないブスだった。
親がとんちんかんで、頭がとんちんかんで、顔がとんちんかんなら、人はどうするか。
どうするも、こうするも、ある術はたったひとつ。
そこにある自分だけを武器に、その場その場をなんとかしのいでやっていかなくてはならない。
そんな毎日をやっとこさ紡いでここまできたから、ハンデが多い人生である分、オマケとして学びがついてきた。
人一倍、人の心の動きに敏感で、人一倍、誰かになにかを伝えられないことにコンプレックスを抱いていたわたしは、いつしかそれを"マーケティング"や"文章を書く"こととして仕事に変えていくようになった。
「姑息」という言葉の意味が、ひきょうだって、その場しのぎだって、今となってはもうどうだっていい。
だって、失敗したって、ひと息ついてまたチャレンジすればいいってことなんでしょ?
この連載のタイトルにつけた「コソク論」には、そんな日常のなかに見つけたちょっとした工夫と願望が込められている。
たとえ造作がわるくたって、「ずるいなあ」って誰かを悔やしがらせることができたなら、きっとわたしは魅力的。
他でもない週のはじまりに、せっかくこの世に生まれてきたんだし。
そんな「月曜生まれのコソク論」をあなたとシェアしていきたいのです。
ごきげんよう、みなさま。
パーソナルな情報が少なすぎるので補足すると、1991年4月1日(月)生まれのA型、性別は女です。
ひつじ年のおひつじ座なのでけっこうひつじがすきです。
出身地は一応仙台市で通していますが、幼稚園・小学生時代を過ごした富山県は第2のふるさとです。
同業の友人・ライター坂井さんに誘われて、noteでマガジンの連載をはじめることになりました。
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(口をすっぱくして言いますが、わたしは月曜日を担当します)
(あと「なにやってるかわかんない人」って雑な説明なんや…「今年はもっと、この人結局なにしてるかわかんないよねって言われるくらいになっていく」って言ったやつのことか?笑)
ほら、人の考えてることとかやりたいことって、原体験に既存するじゃないですか。
能天気そうな見た目とは裏腹にほの暗い半生を送ってきたので、「本当に週のスタートをわたしに任せていいんだな…?」ってきもちもありすぎるほどあったんです。
だけどまあ、一般的に考えると、ハッピーでヒッピーな日曜日を強制終了させられたわたしたちは、月曜日に心の賢者タイムを迎えるわけですよ。
だから、ちょっと気だるく冷静になったみなさんの頭に、役に立つことも多少あるであろうこずるい知識をお届けするというのは、案外理にかなったコンセプトなのかもしれません。
というわけで、よ〜い、どん。
満員電車の隙間からでも、くたくたになってダイブしたベッドの中からでもいいから覗いてね。
はい!よろしくお願いします。
▶︎ホームページ(絶賛工事中)
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