5RATS→キュウソネコカミ/後編
■嘘つきはドロボウの始まり
ぶっちゃけこの頃の私はどうかしてた。すべては勘違いだろうに、どうしてここまで思い詰めたのか?もはや異常事態。映画「スピード」でサンドラ・ブロック演じるアニーも言ってた。”異常な状況から始まった関係は、絶対に長く続かないから” …私もそう思う。
■DMCC2022~ヒッサツマエバ
身勝手な懸念は少しずつ払拭され、だんだんと自分が一番得意とする「ただ好きなだけで」いられるようになっていった。
■2022.11.24
大袈裟でもなんでもなく、この時ばかりは涙が止まらず、座り込んだまま、しばらく立ち上がれなかった。
辻褄が合わないかもしれないが、なんにせよ、私は待っていたつもりはない。どんな時も楽しくて本能的に必要としていただけ。結果的には待っていたのかもしれないが無意識レベルだ。ここまで書いてきたことを最初から思い出してもらえるなら、お分かりいただけるだろう。要するにキュウソネコカミが魅力的だったから。ただそれだけの話。
私が予測した「絶対に行かなければならない場所」へは、誰もが足を運べるわけではなかった。配信という粋な計らいには頭が下がる思いだった。それでも一緒に観たいと願った友達が来られない現実を、簡単には受け入れられなかった。代わりに楽しんでくるから、なんて言葉、かけられるわけがない。私は同じ場所で一緒に楽しむつもりだった。嘘はつけなかった。
■2022.12.22 梅田シャングリラ
あれだけ貴重な空間を体験しておきながら、今もまだこれ以上の適切で妥当な表現が見当たらない。ずっと考えているけれど、これに尽きる。
1曲目はなんだろう?考えても考えても、5RATSしか浮かばない。この日のためにあるような曲。タクロウさんが戻るまでは演らないだろうと確信していた曲。そして、「私がキュウソネコカミを語る上で、絶対にはずすことのできない曲のひとつでもある」曲。
1曲目、というより厳密にはベースが鳴らした1音目。まさにこの音。間違いなくこの音だ。耳で認識したというより体感、全身に降り注いだ音色と圧力は、私が欲してやまない音そのものだった。
最初から最後まで泣きっぱなしなんじゃないか?確かに1曲目の5RATSは、案の定ボロボロだった。でも、
タクロウさんの言葉通り、私も「キュウソで笑えなくなっちゃうのが一番ない」んだなって。可能な限り、アホキュウ寄りでいたいんだなって。
ずっと笑ってた。
あの日と同じ。ずっと笑っていられた。
私だけじゃない。みんな笑ってた。
邪邪邪、ゲーマーズハイ、MUKI不MUKI、これでもか大好きなベースラインが続く。こんな贅沢、どうしたもんだか意味が分からない。そうでなくても嬉しくて仕方がないのに立て続く嬉しいの連続に呼吸困難。イケメン、困った、ご本人たちもおっしゃっていたが、この絶妙な間(マ)は、この5人が揃ったライブにしか出現し得ない。
得意のバカのひとつ覚え、何年経っても同じことを言ってしまうが、上記は「音楽やめたい」。この手のブレイクがある曲を、特にライブで聴くのが大好きだ。この魅力を最大限に発揮するのが、バンドとしても楽曲としても「キュウソネコカミ」ではないだろうか?
■そしてキュウソネコカミへ…
この時も私は「キュウソネコカミ」に感激している。バンドに対してはもちろんだが、これは曲そのものも含むダブルミーニングだった。
勝手にやりたい曲やって帰りますと最後に「真面目に」をぶち込んだVIVA LA ROCK 2019も印象的だった。特筆するまでもなくVIVA LAにもドラマがある。寄り添ってくれる姿勢も好きだが、私は戦闘態勢むき出しのヤマサキセイヤのMCが大好きだ。
当のセイヤさんにしてみれば、この部分にはあまり触れてほしくないかもしれない。でも、5RATSの歌詞飛びの緊張感があったからこそ、ドラマが生まれたと思う。窮鼠猫を噛む、この時の相手はカウントダウンアクトを務める彼ら自身で、己に食らいついているような、ものすごい攻め込み感があった。何度も同じことを繰り返してしまうが、順風満帆では発生し得ない現象だと思う。名は体を表す。そんな後味だった。
2023.1.15 和歌山CLUB GATE、数曲のライブパフォーマンスの最後に披露されたのも「キュウソネコカミ」。自分の記憶に自信はないが、CDJ1920以降、初めて聴いた気がする。これは憶測だが、この曲はそう簡単には演らないんじゃないか。ここぞという時の切り札にも思えた。切り札という言葉に相応しい根本的な楽曲の強さ、音源じゃ伝わりきらない細かい空気感は、やはりライブでこそ存分に発揮される。それを改めて思い知らされ、骨抜きにされた。
仮だったツアータイトルに「キュウソネコカミ」が入った。和歌山GATEで聴いた「キュウソネコカミ」の残響がまだ鮮明に蘇る。頭の中で「ここぞという時の切り札」に自動変換したのは至極当然、ぐっと胸が熱くなり、ひとり涙したことはご容赦いただきたい。
どんなコンセプトツアーになるかなんて、とても想像できない。その想像できなさ加減がいつも大好きだ。どうぞ存分に好き勝手やってください。我々は何も考えずに楽しむのみです。
次があるという可能性が、どれだけの力になるか。
2023年も気を抜いてる暇はなさそうだ。
私の拙い記憶だけでは事足りなかった歌詞等を、補足してくれたフォロワーさんのおかげで、「私飽きぬ私」だけでなく、「真理」もあの時期に作られたことを知ることができた。とても感謝しています。ありがとう!
そして、これは余談中の余談だが、梅田シャングリラから帰った翌日から丸1週間。ここ数十年の中でも感じたことのない、とても苦しい現実に直面した。普段の自分を保つだけで精一杯だったし、今もその余波は続いてる。ふとした瞬間に思い出し、崩れそうにもなるが、夢中になれる現実のおかげで、平常心を保てている。芯からブレずに楽しめるのは、精神的に安定しているからこそ。改めて日常に感謝し、毎日を大切に生きようと強く思った。
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