Internet of Dogs の惑星へ:台湾の農村で犬の位置情報を考える
台湾の農村を歩くと、たくさんの犬に出会う。人間に対してフレンドリーな犬もいるが、敵対心の強い犬もいる。時には、十字路で四方を犬に取り囲まれることもある。まさしく四面楚歌である。さて、どうする?
イヌの集会
台湾の農村地帯を歩いていると、大勢の犬が集まって昼寝をしている姿を見かける。ある町では、まるでネコの集会を開くかのように、犬達が集まってのんびりとくつろいでいた。
集会の場所は、新しい橋が架けられたことで人通りが途絶えた、古い橋のたもとの広場であった。人が来ないので、犬広場といってもよい。人が近づいてくると歩哨番の犬が警戒するが、攻撃してくるわけではない。
むしろ、人間と犬とが距離を保つことで、トラブルを避けようとしているように見える。こっちに来ないでほしいな、という顔をしているかのようだ。人間が遠ざかっていくと、歩哨番は安心して、休めの姿勢をとる。
カラスが鳴くと
夕方になってカラスが鳴くと、犬たちは一斉に帰っていく。首輪をつけている犬は少数だが、戻る場所があるらしい。どうやら、リードをつけて家で飼うのではなく、半ノラのネコのような飼い方をしているようだ。
それにしても、大勢の犬たちが一斉に家路に着くのは圧巻である。用水路に沿った石畳の荒れた道を、ジョギングする人間を器用に避けながら、犬たちがまっしぐらに駆けていく。
アラーム距離
民宿のオーナーに聞いてみると、犬はそれぞれ面倒を見る人がいて、その家の前の道路を縄張りとするらしい。大切な寝食の場をとられまいと、人が近寄ると懸命に吠えかかる。
縄張りの広さは、ざっと路地一本分であるらしい。犬が吠え始める間合いというのは決まっているようで、離れた場所からにらみ合いをしていても吠えてこない。それがある距離まで近づくと、けたたましく反応する。
位置ゲーではない
十字路に立って、途方に暮れることもある。進むべき四方向のすべてを犬が守っているのだ。今来た道にも犬がやって来て、引き返すこともできない。もはや人間に逃げ場はない。
これが位置ゲーであれば、獲物がまとめて出たと喜んで、片っ端から狩るだろう。だが、いまの獲物は人間である。4匹のお犬様が人間を囲み、誰が仕留めるか目で合図をしているかのようだ。絶体絶命である。
こうなってしまったら、もうどうしようもない。物分かりの良さそうな犬を選んで、なんとか通してもらえるよう、ひたすら説得するしかない。
親分にあいさつ
こうなってしまう前に、なにか手立てはなかったのか。
事前にできる防御策があったとすれば、この街を束ねている親分犬さんに挨拶をして、子分犬さんに面通しをしてもらうことぐらいだろう。
この街の親分さんは首輪付きの人慣れした賢い犬で、街の灯となるNPOカフェで店番をしている。このカフェは、日本でいえば学童のような機能も兼ねていて、親分犬は放課後の子供たちの安全を守っている。
飼い主さんに紹介してもらって、親分犬さんに挨拶にあがったところ、首輪付きの何匹かの仲間に匂いを嗅がせてくれた。パトロールにお供すると、首輪なしのノラさんも何匹かがじっと見ている。
その後、親分のいないときにノラさんが寝ている横を通り過ぎても吠えられなかったので、俺の客だから手を出すな、と言ってくれたのかな?と勝手に納得しておく。
アプリでONE
でも、これでは親分さんの目の届く範囲しか歩けない。さすがに人間の生活圏としては狭すぎる。なんとかならないだろうか。
もしも台湾に犬アプリというのがあって、首輪のある犬も首輪のない犬も、みんなの位置がわかるようになっていたら、少なくとも曲がり角の先に犬がいることは見えるようになる。そうすれば四面楚歌だけは避けられる。
さらに機能を追加するならば、親分と子分の関係といった組織図や、近所のフリーランス集団との関係性まで、犬社会の構図が可視化されていると助かる。どの犬に挨拶すればよいのか、それを判断するヒントにもなる。
Internet of Dogs
アジアの国々を歩いていると、街角で犬と遭遇することがよくある。こうした国々では、自由に暮らす犬に対して寛容な文化が根付いている。こうした文化圏では、人間の側で工夫して共存の道を探るしかない。
この問題を、センサーとアプリを組み合わせることで解決できれば、人と犬の共存は少しは前進するかもしれない。もちろん、それだけで解決できるほど簡単なものではなかろうが、一歩を踏み出すことはできるだろう。
台湾アプリ
ITの力で社会問題を解決することにかけては、近年、台湾の存在感が際立っている。発想の斬新さと対応の柔軟さにおいて、台湾はユニークである。
およそ解決困難なアイデアが、アプリによって実現することがあるならば、それは台湾から始まる可能性が高いかもしれない。
近い将来に、台湾発のIoDアプリが登場することはあるだろうか。昨年の秋、休暇で訪れた台湾の農村で犬と戯れながら、そんなことを考えた。
Photos by H.Okada at a small Lao Jie in Taiwan 2019