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『サピエンス全史』を読んで、''幸せ''について考えてみたら、ひとりよがりな自分がいて、少し悲しくなった。

幸せって、なんだろう。

ユヴァル・ノア・ハラリ の
『サピエンス全史』を読みました。

私の大学の卒業式、
学科別の卒業証書授与式で
主任の先生が言っていた言葉、
『ホモ・デウス』

この言葉の意味と
この本の存在を知ったのは、
卒業式から1年2か月後のことでした。

今、私が多くの人におすすめしたい本です。
ぜひ読んでほしい。

感想だけちょこっと書くとするなれば、
「読後の鳥肌が忘れられない。」かなぁ。
いろいろなものが1本に繋がったような
これまでにない爽快な感覚。


そして私も問いたくなりました。

幸せってなんだろう?

“幸せ”ってなんだろう。

ハラリは問いかけてきます。

ここまで発展したホモサピエンスは。
ここまで発展した私たち人類は。

今、幸せですか?

農耕にいそしんでいた頃
詩歌管弦をたしなんでいた頃
自由と平等を追い求めていた頃

あの頃の人類と比べて

今の私たち人類は、幸せですか?

もちろん様々な分野での
技術、学問の進歩により、
間違いなく生活様式は発展しました。

そして一個人が選べる人生の幅も、
圧倒的に広がったと思います。

あの頃の人類が知らなかったことを
私たちは知っているし、
あの頃の人類が夢見たことを
私たちは何気なく日常にしている。

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地球の反対側だって、1日あれば行ける。


旅にだって出るし
美味しいものだって食べるし
友達と談笑することもできる。

けれど、
この便利すぎる世の中は。
この発展しすぎた世の中は。

時に”窮屈なもの”として
私たちを 押し潰そう とは
していないでしょうか?

いつでも繋がりを感じられるけれど
煩わしくも感じることのあるSNS。

誰もが情報を発信できるがゆえに
フェイクニュースにも
躍らされてしまう可能性。

毎日ネットの海に流れ込んでくる
溢れんばかりの情報たち。
それらを追っても追っても
全てを詳細には追いきれない現実。

どこでも働ける環境が生み出す
休みのない労働。

この現世に、疲れてしまう人がいても
なんら不思議ではないと思うんです。


では改めて問いたい。

幸せってなんなのでしょう。

私たちは日々、
何を求めて生きているのでしょうか。

生活の豊かさと「幸せ」の観念は
比例するものではないのでしょうか。

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言われた言葉

これまでも、親しい人たちと
幾度かこの話をしました。

幸せってなんだろうね。

その議論のさなかに
私が言い放った言葉には、
「私はそんな生き方はしたくない」
という高慢なものがありました。

そして毎回のように諭されるのです。

幸せのカタチは、人それぞれだから。


私が、とある人の生き方を見て
「まったく幸せを感じられない」と
はたから思っていても、
その人はその生き方に
幸せを感じていることが往々にしてある。

そのことを理屈では理解できるんです。

だけど何故か、
首を傾げてしまう自分もいる。

私はそういう生き方はしたくないし、
私はそういう生き方を幸せに感じられない。

他の人の人生を見て、
勝手にそう評価している自分がいることが
どうしても否定できないのです。

我ながら何様のつもりなのだろうと
呆れた顔をしてもいるのですが。


✎︎____________

我が強く、将来を見据え、
我が道を信じてやまない私は、
複数人に言われたことがあります。

その人にとっての幸せは、
他の人から測れるものじゃない。

本当にその通り。

物理的にも心理的にも遠くにいる人や
これまでに関わったことのない人が
その人の好きなように生きて
幸せだと思っていることに対しては
いい人生だね、と素直に思いますし、
干渉しようとは考えもしません。

しかし、近しい人。
自分の身近にいる人や親しい友人が
あまりにも私とかけ離れた考えをもち
あまりにも私と違う生き方をしていたら、

つい、口を出したくなってしまうんです。

んー、よくないよなぁ…。

幸せのカタチは人それぞれ。

だから、自分の価値観を
全人類に当てはめて考えるのは
よくないよ、と
諭されることが幾度もありました。

分かるんだよ。分かるんだけど。


どうして?ってなることがあるのも
紛れもない事実で。

知らないよりは、知っていた方がいい。
考えないよりは、考えている方がいい。
何もしないよりは、何かした方がいい。

「いい」ってなんだ?

誰の善悪基準で、誰の判断だ?

あ、私か。

これはが考えている、
「私の価値観という世界」の中の善悪基準と、
その基準に基づいた判断、だ。

つまり、私は、自分よがりでしかない。

そして、自分自身でしかない。


少し、悲しくなってしまった。


✎︎____________

交わした価値観

自分の好きなものに、
理由なんていらない。

そう言っていた友達がいます。

私も前はそう思ってた。

けど、ある時。

ずっと、自分に
「どうして?」を問いかけていくと、
私はなにも答えられない
ということに気づきました。
(セルフ・ソクラテス byはるな)

本当に薄っぺらかったんだな、と
打ちのめされたようでした。

私に”軸”というものはないの?
と自らに問いかけ、悩む日々も続きました。

そして頭の中を可視化するように
思いついたこと、まとまっていない考え、
浮かんでくる言葉たち、これまでの記憶、
全部全部を、紙に書き出しました。

整理して書こうとすればするほど
混沌として、
ぐちゃぐちゃになってしまったけれど。

こういう時間があればあるほど
「私ってなんだろう」
ふと我に返っては見直すのです。

“軸”をもつ。ということを
これでもかというほど
意識するようになったのも、
この時からだったと記憶しています。

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今わたしは幸せです。

ハラリの問いの、
答えにはなっていませんが。

私自身は、今、幸せです。

「あの頃」の人類と、
比べることはできないけど。

#幸せとは

の記事もいくつか書いている。


大切な人もいる。たくさん。

やりたいこともある。
そのために勉強できる環境がある。

自分を表現できる趣味もある。

帰る場所がある。

どれもこれも、幸せなことです。

ありがたい。



もっと幸せになりたいか?

もっと幸せってなんだろう。

私が目指す未来の自分の姿。
その姿が自分の微分と重なった時、
私は今よりも幸せだろうか。

やりたいことをやれている、という
自覚をもって生きていることは

人生のピークだ、と言えるだろうか。


その時になってみないと分からない。


こういう生活がしたい。

という理想はあるから、
そういう生活は目指したいな。

その生活をしている自分が、
今より幸せかどうかは、分からないけど。

その時になったら、
またこの記事を読みに来よう。

言葉にして残しておくことで、
過去の自分の考えと比較できるのが
文章を書く魅力の一つ。

これはきっと、ずっと続けるんだろうな。



最後に

最後にこの言葉を贈ります。

私が出会った作家さんが
おすすめしていた本からの一説。

「唯一の正解なんてない。その人が納得すれば、それがその人にとっての答えです。」

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この本の中では
自分が納得できるかどうか
ということに重きを置いて
ストーリーが展開していきます。

そしてその納得
一時の感情によるものではなく、
きちんと論理的に正しい、ことに
主眼が置かれています。


何かに迷ったり何かに悩んだりする時
感情も、論理も大切にできたらいい。

感情は、
「なんか嫌だ」「なんか違う」
という漠然としたものでいい。

心の中の、どんな小さい声でもいい。

それを聞き逃さないこと。
その声を蔑ろにしないこと。


そして、そこから物事を考える。

考える時は、
「それで納得できるか」ということに
重きを置いて。


そうやって、少しずつ
自分の思いや輪郭を可視化していけば、

見えてくるものが
あるのかもしれないな。


「唯一の正解なんてない。その人が納得すれば、それがその人にとっての答えです。」

幸せとは何か、の答えも、
きっとこれ。


その人が、
その人の幸せを大切にできるよう、
私は手助けできる人でありたい。

それが私の幸せ。

それが私の幸せ。

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