!!!!!学校に行け!!!!!
こんにちは、ひがしです。
やっと10月が終わろうとしています。
12月になったら一時帰国ができるのでとても楽しみです。
正直日本に帰りたいですが、日本に私の居場所はないと言っても過言ではないので、頑張ります。。
noteは私のTwitterを見る上で私の過去を知っておいてくれた方が面白いと思ったから始めたのですが、あまり書くきっかけがなくて全然書けていませんでした。なので今日は私の過去を書こうと思います。
Twitterでよく言う通り、小学校2年生頃から登校拒否でした。
小学校2年生の始業式で、1年間あだ名で呼び合って、仲良くしていた2人に「今日から私達苗字で呼び合う事にしたから」と言われて、無視が始まり2人とその日以降話す事はありませんでした。なので2年生の時は、学校で1人で本を読んだり、算数セットで算数をしたりして、休み時間を過ごしていました。
けど、あんまり楽しくなくて休みがちになり、そのまま3年生になりました。
3年生はある男の子と仲良くなりました、でもその子は学年で1番モテる男の子で、不登校の私がそんな子と一緒に帰ったり、ペアワーク(番号が同じだったので)をしていたのが気に入らなかったらしく、めちゃくちゃいじめられました。
掃除の時間に雑巾係とちりとり係をやらされて(本来は1人1役)最終的には私が集めたゴミを頭の上からかけられたり、トイレ掃除の時にホースから水をかけられて、掃除を全てやらされたり、上げ出したら止まらないくらい色々やられました。
でも、私は水泳をやっていたので日頃のストレスは水泳で発散していました。学校に行かない代わりに水泳ばかりやっていて、当時は県でそこそこ強い選手でした。母親も学校に行かない代わりに、水泳に打ち込んでいる私を認めてくれていました。けど、小学校4年生(10歳)の時に、喘息になってしまい、水泳を含めたスポーツ全般ができなくなってしまいました。
そこから希死念慮があって、小4の頃は両親に引きずられながら学校に行って、大泣きしたり、家で暴れたりして、母親に首を絞められたり、産んでごめんと土下座されたりしました。小学校5年生の時に初めて心療内科に連れていかれました。何軒も心療内科をまわりました。時には半年待った事もありました。でも子供の私に結果を伝えられる事はなく、5軒目くらいで発達障害のテストをしました。その結果、私が発達障害だという事が分かりました。初めて聞いた時、正直信じられなかったです。小学校5年生の私にとって「障害」は手足がない事を指すものでしかなかったので。
その日から母親はおかしくなりました。家の本棚に発達障害関連の本が増えて、母親のスマホは発達障害とか不登校とか、そういう検索履歴ばかりになりました。5年生の時は家に引きこもってアニメやゲームをするだけの生活で、ついに6年生になり、母親が痺れを切らしたのか夏休みが開ける2週間くらい前に、母親にいきなり「島に行くよ」と言われて飛行機のチケットを渡されて、母親は車で先に行ってしまいました。よく分からないまま姉と2人で空港に行き、飛行機に乗りました、着いたら母親がいて、その日から離島生活が始まりました。これが私がTwitterでたまに言う、島流しです笑
離島生活が始まったわけですが、小中合併校で全校11人しかいない学校で、生徒数に比べたら大きすぎる図書室があって、そこがとても気に入っていました。毎日そこで本を読んだり昼寝をしたりしていました、でも、そういう私のマイペースなところが不運を呼んでしまい、そこが好きという理由で、学校に1人しかいない男の子に告白されて、ちょうど学年が一個違いで授業を一緒に受ける事が多々あったので、断ろうにも断れず、まぁ、付き合ったとしても何もないだろ という気持ちで承諾してしまい、最終的には性的な事をされて、生理的に無理になってしまい、別れを告げる事もないまま不登校になって、また家に引きこもるようになりました。その時Twitterを始めてインターネット大好き人間になってしまい…ここまでが私の小学校の6年間をざっとまとめたものです。
詳しい事や中学編はまたぼちぼち更新していけたらと思います。
ありがとうございました!またね。
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