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宇宙に生命が誕生して人間の文化が発達するまでをまとめてみました

 ここ10年くらい、人類史や文化進化に関する本をよく読んでいます。それは単純に面白いからでもあるのですが、人間の歴史を通観して把握することで自分の行動に自分で納得感を持ちたいからでもあります。この記事では、これまでに読んだいろいろな本に基づき、宇宙から人間の文化までを大雑把にまとめてみました。もちろん、それぞれの本にはもっといろいろ書いてあるのですが、短縮化するために多くの情報を削減しましたので、誤解を招く部分があるかもしれません。宇宙から始まめないと納得感が持てないなんて、とても不器用なのかもしれませんが、自分の備忘録も兼ねて整理したことを掲載しておきます。

物理法則に従って原始生命は生まれる

 なぜ無味乾燥な物理法則が支配する世界で、生命(ここでは「突然変異を起こす自己複製システム」と定義)のような一見奇妙な存在が生まれるのか。戸谷友則氏によると、観測可能な宇宙(宇宙が誕生した138億年前の光が届く範囲)には、1000億の銀河があり、1つの銀河の中には1000億の恒星がある。そして、恒星のおよそ10%程度にはハビタブルゾーン(地球のような水が液体として存在できる領域)に惑星があると見積もられている。地球のようにハビタブルゾーンに位置する惑星は決して珍しい存在ではない。
 しかし、地球のようにハビタブルゾーンに位置する惑星は決して珍しい存在ではないとはいえ、生命が生まれうる条件が整った星では必ず生命が生まれるとは限らない。もし、既存の物理法則だけを用いて生命の起源を説明する場合、生命が生まれる確率が非常に低く(「サルがタイプライターで適当にタイプしていたらシェイクスピアの小説ができた」「ばらばらに分解した時計を袋に入れて振っていたら元の時計に戻った」「ジャンク置き場を竜巻が通り過ぎたら、ジャンボジェットが出来上がった」などと形容される)、観測可能な宇宙に生命が存在するのが地球だけだとしても驚くには値しない。観測可能な宇宙は、宇宙の真の大きさ(インフレーション宇宙)のごく一部にすぎない。遠く離れた2地点間が遠ざかる速度が光速を超えていても相対性理論とは矛盾せず、観測可能な宇宙を超えた圧倒的な大きさの真の宇宙全体を想定すれば、地球を含めて多数の星に生命が存在していることを物理法則によって無理なく説明できる。
 また、地球が存在する宇宙は、生命の誕生に適した物理法則になっている。もしかしたら、地球が存在する真の宇宙も他の多数の宇宙の一つでしかなく、他の宇宙では別の物理法則が働いているかもしれない。
 つまり、人間の感覚では無限と思えるくらいの広大な宇宙を想定し、全ての物質の組み合わせが発生するくらいの総当たり戦が行われれば、生命の発生を物理法則によって無理なく説明できる、ということ。

最初に生まれた生命から人間まで

 最初に生まれた生命は、塩基対の短いごく単純な生物であっただろう。実際のところ地球上の全ての生命には共通祖先があり、共通祖先は核やミトコンドリアといった細胞小器官を持たない単純な原核生物、それも好熱菌などの古最近である。ウイルスは現状では生物として定義されていないが、原核生物よりもさらに塩基対が短くても活性をもちうるため、ウイルスのような存在が生命の起源であった可能性も無視すべきでない。
 いずれにせよ、自己複製が可能な配列の塩基対と細胞膜を獲得し、地球上に登場した生命は、共通祖先の原核生物からミトコンドリアやシアノバクテリアなどの他の原核生物と共生することで真核生物となった。最初の真核生物は、1つの真核細胞だけで生きる単細胞生物であったが、やがて複数の真核細胞が集まって体を構成する多細胞生物が生まれ、さらに、多細胞生物の細胞がさまざまな機能に特化して分化し複雑な機能を獲得するようになった。
 生物の進化に決まった方向性はなく、突然変異を繰り返しながら自己複製した個体が周りの環境にあわせて生き残ったり生き残らなかったりする過程を繰り返し、ひたすら多様性が生み出されていった。人間はその多様化の結果として生まれた種の一つである。

人間の繁栄を可能にした文化の累積的蓄積と文化への依存

 人間が様々な生物種の中で特に繁栄したのはなぜだろうか。ジョセフ・ヘンリック氏によると、人類の成功の秘密は個々人の頭脳にあるのではなく文化を持つことにある。「文化」とは、習慣、技術、経験則、道具、動機、価値観、信念など、成長過程で他者から学ぶなどして後天的に獲得されるあらゆるもののことである。文化の定義を一言で表す場合に、私(宍戸)が現時点で一番気に入っているのが、東北大学の田村光平氏の定義「遺伝子を介さない手段によって伝達される情報」である。
 文化という情報伝達手段を獲得したことによって人間は急速に発展した。例えば新しい環境に適応する場合、遺伝子による情報伝達手段しか持たない生物は、環境に適した特性を持つ突然変異が生じる必要があり、環境適応までに長い時間を要する。それに対し人間は、例えば寒冷地では防寒着を発明するなど文化の力で多様な環境に適応することができる。それが、ホモサピエンス1種で多様な環境に適応できている理由である。ちなみに、農業も文化の一つであり、農業を意味する“Agriculture”は、文化を意味する“culture”が語源とされる。
 もちろん文化は、人間だけの専売特許ではない。チンパンジーなども道具を使うなど文化を持つことが知られている。人間の特徴は、文化を持つということに加え、文化を累積的に蓄積することが出来る、ということである。誰かが発見した偶然のひらめきが周囲に伝播し、世代を超えて受け継がれ、集団内に文化を蓄積する。そしてある文化を土台として新たな文化を生み出す。言語も長期にわたる累積的文化進化の産物であるが、言語を発明したことで、さらに飛躍的に文化を蓄積することが可能になった。
 私たち人間の遺伝子は、既に文化の存在を前提とする状態に進化してしまっている。例えば、火を使って調理した食物を食べることは消化プロセスの一部を外部化することとも言え、その結果、顎が縮小し(現代人は顎が縮小したので上の歯が下の歯より外側に来る)、消化器官は貧弱になったが、代りに大量にエネルギーを消費する大きな脳を維持することが可能になった。また、言葉を使うようになり、言葉を使えることが生存にとって重要になるにつれ、喉頭の位置が下がって声域が広がり、舌が自由に動くようになって活舌がよくなるなど遺伝子も進化した。遺伝子の進化によって文化の習得が可能になり、文化の発達は遺伝子の進化を促す。つまり文化と進化は相互作用により共進化する。
 人間は既に文化の存在を前提としなければ生存しえない状態にまで遺伝子が進化しており、文化のない状態に後戻りすることはできない。

孤立した小規模な集団では文化は後退する

 文化の累積的な蓄積は、個人の脳のなかではなく、脳と脳のあいだで起こる集団的現象、すなわち集団的知性によって可能になる。そして、集団的知性が生まれるのは、進んで他者から学ぼうとする性質を持っており、しかも適切な規範によって社会的つながりが保たれた大規模な集団で生きることができるからこそである。人口の規模と社会の相互連絡性は集団内に蓄積できる文化の上限を決めており、規模が大きく、しかも成員相互の連絡性が高い社会ほど、高度なテクノロジーや、豊富なツールキット、多くのノウハウを生み出すことができる。マットリドレー氏の言葉を借りると『変革は「ひとりの天才」ではなく多くの頭脳によってなされる』。
 しかし、文化の蓄積は一方向ではない。ある集団が突然、人口を減らしたり、社会的つながりを失ったりすると、文化的情報が継承できなくなり、高度なスキルやテクノロジーが失われていく可能性があることも知られている。その代表的な例として、オーストラリアのタスマニア島がある。タスマニア島の出土物から、タスマニアの先住民はかつて魚介類をよく捕って食べていたと考えられるが、約1万年前の海面上昇によってオーストラリア大陸から切り離され、1642年にヨーロッパ人がタスマニア島を訪れるまでの間に、タスマニアの先住民は漁労技術を失い、骨角器や縫製衣類も失っていた。また、バヌアツのトレス諸島では、あるとき熟練カヌー職人が一人残らず死んでしまったために、諸島外の海域に出るカヌーをつくる技術が失われ、外界と孤立状態に置かれたために漁をすることもできなくなった。
 これは、集団の規模が小さいと、高度な知識や技術を身に着けている達人をまねようとしても、師匠の域にまで達することができずに終わる人が多く、世代を経るごとに情報の一部が失われていくためかもしれない。累積的文化進化を生み出すためには、大多数の弟子は師匠の域に達することができなくても、一握りの弟子が師匠を超えればよく、そのためには集団の規模が大きく社会的なつながりが保たれている必要がある。
 つまり質か量かではなく、量によって質が生み出されるということだろうか。

コンピュータと未来の方向性

 同じくマットリドレー氏によると、人口密度が高いほどイノベーションが起きやすい。高い人口密度は人々が専門化できる環境をつくり出すので、必然的に人間のテクノロジーの変化に拍車をかける。少なくとも1000年にわたって、イノベーションの多くが都市で生み出されてきた。
 しかし今日では、インターネットのおかげで、国や地域を超え、これまでになく素早くアイデアを交換し、育てることが可能となった。コンピュータおよびインターネットの登場により、人間の集団の規模と相互連絡性が大きくなり、集団的知性は高まった。イノベーションの成否はひとえに集団的知性の拡大にかかっている。
 しかし一方で、科学によって人間を含めた生命は物理法則に従う有機的なアルゴリズムであるとされ、人間の知性が有機的なアルゴリズムであれば、集団的知性の成果である非有機的なアルゴリズムすなわちコンピュータで再現することも可能かもしれないとされるようになった。ユヴァルノアハラリ氏が警鐘を鳴らしているように、コンピュータの発展によって、知能は意識から分離しつつあり、意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。
 遺伝子の進化と同じように文化の進化にも方向性はない。そのため、未来が、これまでよりもよくなる保証はない。ネガティブな未来を想像してしまいがちであるが、しかしハンスロスリング氏によると、私たちは進化によって獲得した脳の機能よって「ドラマチックすぎる世界の見方」をしており、本能的にネガティブで極端な答えを好む人が多い。これはネガティブな方が生存に有利だったことが原因だ。ドラマチックな本能を抑えて事実に基づく世界の見方ができるようになると、世の中もそれほど悪くないと思えてくる。

まとめ

・原核生物から始まった生命は、原核生物が共生することで真核細胞の真核生物に進化し、真核細胞が共生することで多細胞生物へと進化した。さらに多細胞生物の細胞がさまざまな機能に分化することで複雑な機能を獲得してきた。ここまでは遺伝子を介した情報伝達が支配する世界。
・多細胞生物の1種である人間は、文化という遺伝子を介さない情報伝達手段を手に入れ、さらに集団の規模が大きくなるにつれて個々人が専門化し、さらに急速に発展した。個々人の知識は限られており『変革は「ひとりの天才」ではなく多くの頭脳によってなされる』。国家や企業など、人々が集まって構成される組織を生命とは言わないが、人間を一つの細胞とみなして人間のネットワークが一つの脳のように機能することで集合知を生み出していると理解すると、人間の社会はあたかも超生命体であるかのように捉えることもできる。
・集団的知性には集団の規模と成員相互の連絡性が重要であり、人口が減少する社会において孤立主義をとることは、文化の後退をもたらす恐れがある。人口が減少する集団が文化の後退を避けるためには、集団の外との社会的つながりを維持する必要がある。
・集団の規模と成員相互の連絡性はコンピュータとインターネットの登場により拡大し、現在では、誰かが発見した偶然のひらめきは瞬時に国境や地域を超えて共有される。集団的知性が巨大化したことで、社会の変化はこれまでになく加速している。

主な参考文献

戸谷友則『宇宙になぜ生命があるのか』
ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』
ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』
ジョセフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』
田村光平『文化進化の数理』
マット・リドレー『人類とイノベーション』
ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』

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