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父に、伝わっていただろうか
ずいぶん前のこと
父の髪を切らせてもらう機会があった
だいぶ、薄くなったから、切るところが少ないだろうと自嘲しながらも、
父は、何となく嬉しそうだったと記憶している
そして、父の頭の形と生え際の感じから
刈り上げるのが難しいタイプだなと感じたのも
よく覚えている
「不景気でも髪の毛は伸びるから、食いっぱぐれなくて、いいんじゃない?」
私が高校生の頃、美容師になりたいから美容学校に行きたいと伝えたら、そんな風に答えた父
私は、なんて夢のないことを言う親なのかと憤慨した覚えがあるが
父のおかげで美容学校に行く資金を得ることができた
美容学校に通う頃、家計はとても厳しかった
卒業前に、自由参加の海外研修旅行があり
どうしても、ヨーロッパに、海外にいきたい!
違う国をみてみたい!と思っていた私は
自分で払うから、行かせてほしい、絶対にいく
と、自分で旅行ローンを組み
ヨーロッパ旅行に参加した
出発の日の朝
家を出て駅に向かう途中、
父が、後ろから走って追いかけてきて
私の手に一万円札を手渡し
「これ、持って行きなさい!」
とだけ伝えて、家に戻っていった
自分の力で行ってやる!親の力は借りない!
当時の私は、そう息巻いていたので
その父の好意を、素直に受け止め辛かったが
驚き、動揺したそのままに、一万円札をポケットに入れ
なぜか泣きながら駅に向かったことも、よく覚えている
娘が初めて出かける海外旅行
しかも遠いヨーロッパへ10日間の旅
心配だったのだろう
が、父は当日まで何も言わず
どこかから、餞別を工面してくれたのだ
私も、大概、不器用できちんとお礼も言えなかったが
父も不器用で、でも優しい人だったことは
今となって、よくわかる
父は英語が達者だった
勉強が苦手で、英語の文法が嫌いな私は
「お父さんは、英語が得意だ」と自慢する父を
嫌だなと感じたりもしていたが
とても努力し、熱心に勉強し身につけたのだと
父の学生時代のノートを見つけて知った
何冊にも渡り
英単語、英文法、例文がびっしり書いてあった
歳を取ってからも、メモを英語で記していたこともあった
父は仕事で海外によく出かけていた
長く家を空けることもあり、子供ながらに寂しく感じることもあったが、
あちこちの国のお土産を買ってきてくれたことや
色々な国での出来事を話してくれたことが
私が海外に興味を持つきっかけにもなり
いろんな国に出かけてみたい!
様々な国の人と話してみたい!
というモチベーションに繋がっているのだろう
食べること、お酒を飲むこと、
クラシック音楽や映画鑑賞、野球が好き、新しもの好き、花や植物が好き、洋服の色味にこだわる…
父は自由でこだわりの強い人だったが
何かしら、私は父の影響を受けているなと感じる
とんでもないことをしでかすこともあり
反面教師と思うこともあったが
何だかんだ、やはり私は父のことが好きなのだ
この1年強、父は認知症や持病もあり
入退院を繰り返しながら、施設に入所していた
徐々に記憶が曖昧になっていたり、できることが減っていたが
月に一回の施設での訪問理容の日には
積極的に申し込みをしていた
カットするとさっぱりするのが好きだった様だ
担当してくださった方々に感謝している
私は、あと1回くらいは
髪を切ってあげられるだろうか
うっすらと淡い希望、期待を持っていたけれど
その機会を得ることはなく
父は急に逝ってしまった
想像していたよりも早く
また、会えるだろう、話せるだろうと思っていたのに
残念なことに、もう
父の髪を切ってあげることはできない
そして、
美容師になってよかった、いろんな人と出会えて
いろんな経験ができる
美容師になる機会をくれてありがとう
という気持ちや思いは
どのくらい父に伝わっていたのか、今となっては知ることができない
もっと
髪を切ってあげたらよかったな
もっと
美容師、いい仕事だよ、ならせてくれて
ありがとう!って言えばよかったな
父に、伝わっていただろうか
寂しさと悲しさと感謝と思い出が入り混じって
感情の振れ幅があって忙しいこの数日
Aya Horiguchi
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