HIROKI

大阪生まれの40代男性です。 39歳の時に病気になり、しばらく首から下が動かなくなりました。 今は回復してきて、杖なしでも歩けてます。 喉元すぎると色々と忘れてしまうタイプなので、備忘録も兼ねて書いていこうと思います。 誰かの、何かの、プラスになれば幸いです。

HIROKI

大阪生まれの40代男性です。 39歳の時に病気になり、しばらく首から下が動かなくなりました。 今は回復してきて、杖なしでも歩けてます。 喉元すぎると色々と忘れてしまうタイプなので、備忘録も兼ねて書いていこうと思います。 誰かの、何かの、プラスになれば幸いです。

最近の記事

リハビリとだっぷん

リハビリとだっぷんは切り離せない。 かなりの高確率でだっぷんするからだ。 車椅子に乗り、手足もあまり動かない頃オムツをはきながらバルーンを付けてリハビリをしていた。 病気する前は1日2回ウンが出る活発な腸の身体だった。 入院してからは寝たきりということもあり、オムツとバルーンなのでトイレにも行かず、3日ぐらい排便がないとホジホジしてもらうという生活だった。 それが立つ練習をする様になってからは出るようになったのだ、リハビリ中に。 リハビリで立つと、不意にお腹がキュルキュルな

    • 起立性低血圧

      車椅子に乗せてもらえるようになった頃、リハビリが本格的に始まった。 その初日、理学療法士さんに「ちょっと立ってみますか?」と言われた。 「いやいや、無理やし。」と思いながら話を聞くと、どうやら寝転んだ状態からグィーンと台が直立になり立っている状態にしてくれるマシーンがあるらしい。 ほー、久しぶりに立ってみたい、、、。 というわけで、台に移してもらう。 寝転びながら身体を機械にホールド。 「しばらく立ってないと、立った時血圧が下がって気絶してしまうんで、チカチカしてきたら言って

      • つら〜い発熱

        3か月程入院した中で、色々と大変な事はあった。 その中でも一番辛く、「死ぬかも、、、。」と思ったのが発熱だった。 血漿交換療法の為に、首の付け根にカテーテルを設置した。2回ほど使用した後、そこから細菌が入り、感染症を起こしてしまったのだ。 とにかく高熱が続いた。40度近くの熱が4日ほど。 動脈から入った細菌は全身に行き渡りやすいらしく、炎症がいたるところで起こるので高熱が続くらしい。 どんなに布団をかぶってもガタガタ震えた。 抗生物質を投与され、1日くらいで治るかなと淡い期待

        • 2時間ごとの寝返りタイム

          入院してから1週間くらい、夜はまともに寝れなかった。 2時間ごとに寝返りタイムがあるからだ。 首から下が全く動かないので、床ずれ防止のため2時間ごとに2人掛かりで寝返りをうたせに来てくれるのだ。 眠りに落ちたかなという頃に物音で目が覚める。 「失礼しますね〜、せーのっ。」と寝返りをうたせてくれる。 わざわざ2時間ごとに申し訳ないなぁと思っていた。 しかし人間の身体は良く出来ているなぁと思った。 寝てるのに、床ずれが出来ないように、いい感じでゴロゴロ寝返るとは、大したもんだ。

          血漿交換療法

          病名がギランバレー症候群と決まり、治療が始まる事になった。 血漿交換療法をしてから、免疫グロブリン療法をするとの事。 血漿交換で血を濾して、悪そうなものを取り除いてから、免疫グロブリンという人様の血液の良い所を抽出したものを点滴するらしい。 治療が始まるという事は何かしら改善がある気がするので、藁をも縋る心境だった。 血漿交換療法を行うにあたり、カテーテルを入れるよ、と言われていた。 血漿交換療法が始まる前にドクターが来て、説明をしてくれた。 何やら針のようなものを取り出され

          血漿交換療法

          座れねぇ。

          入院して数日が経過した頃からリハビリが始まった。 首から下が全く動かないので、ベッドの上でのリハビリ。 理学療法士さんが来てくれて、ストレッチをしてくれる。 「ちょっと身体起こしてみましょうか〜。気分悪くなったら言ってくださいね〜。」 と言われ、ウィーンとベッドの背中が起きる。 理学療法士さんに支えられながらベッドと垂直になるように座り、ベッドの横から足が垂れている状態になる。 「座れそうですかね〜?」 と聞かれ、「いや、座ってるし、、、。」と思う。 理学療法士さんがパッと僕

          座れねぇ。

          ホジホジとアーン

          入院翌日からオムツを穿いた。 膀胱直腸障害で、便も出ず、尿も出なくなっていたからだ。 オムツを穿いた時、「いい歳した大人が、、、。」と、なんかすごく恥ずかしかった事を覚えている。 その後90日くらいはオムツ生活が続き、今もパンツに尿漏れパッドを付けて生活している。 今は浣腸の力を借りて、便は出る。 尿は急な尿意に襲われ、1分くらいしか我慢できず漏れてしまうのでパッドは必需品なのだ。 もっぱらユニチャームさんにお世話になっているのだが、今の科学技術は本当にスゴい。 めちゃ薄で、

          ホジホジとアーン

          バルーン♪

          バルーンと聞くと、風船?メルヘン?楽しそうなイメージがする。 総合病院に着いた後、検査をしている合間に 「おしっこ出ないんだったら、バルーン入れときましょか。」と言われた。 良くわからないまま「はぁ。」と答えると看護師さんに連れていかれ、チンに管を入れられた。 病院でバルーンといえば、導尿カテーテルの事だとはこの時まで知らなかった。 バルーンを入れるということは、赤の他人の若い看護師さんにチンを見られるということで。 見られるのみならず、ギュッと掴まれ、グイグイと管を入れられ

          バルーン♪

          筋電図検査

          今日は検査を色々とやるそうで。 看護師さんが呼びに来た。 とはいえ、全く動けないんやけど、どうするんやろう、、、。 と考えていると、 ガラガラガラ〜、 2人がかりでベッドごと移動でした。 なんかVIP待遇やな、などと思っている間にベッドは仄暗い地下のお部屋へ。 筋電図検査なるものをするらしい。 説明を受ける。 身体に電気を通して、筋肉の動きを見るらしい。 そしてかなり痛いらしい、、、。 「痛かったら教えてくださいね。」 と言われる。 痛くせずに出来るなら初めからそうして欲しい

          筋電図検査

          あーん、してもらう。

          入院した翌日、朝ご飯がやってきた。 何が来たかは覚えてないが、病院食っぽい朝ご飯。 「ベッドで食べられますか〜?」 と聞かれ 「あ、はい。」 と答える。 ウィーンとベッドを起こしてもらい、ベッドの上の補助机に配膳してもらう。 がしかし、手が動かないので食べられない、、、。 ナースコールを鳴らすのも申し訳ないので、近くの看護師さんに声を掛けてみる。 「あの、すいません、ちょっと僕手が動かなくて。」 食欲もないし、下げてもらおうかなと思ってたところ、 「あー、そうなんですね、すぐ

          あーん、してもらう。

          入院生活のはじまり

          入院の翌日、目が覚める。 うー、動かない、身体が動かない、、、。 動く場所を探してみる。 どうやら、首から上は動くみたいだが首から下は全く動かない。 力を入れるとか、気合とか、そんなものではなく、動かす為の回路が通っていない感じ。 昨日、空き時間に調べてみた情報を頭の中で整理してみる。 初めは腕が痺れていた→脳神経外科で脳のMRIを撮ったが異常はなかった→総合病院に来てから脊髄のMRIを撮ると影があるとの事、でもそんなに酷くはない→脊髄炎?多発性硬化症?→よく分からないから

          入院生活のはじまり

          入院初夜

          着の身着のまま病院を訪れ、その日に入院する事となった。 突然の出来事に驚くべき所なのだろうが、決まっていたことのようにすんなり受け入れられた。 車椅子のまま救急病棟の様な所に案内され、程なくベットイン。 時間は確か、16時くらい。 お昼ご飯も食べておらず、晩御飯も出ないとの事で嫁にヴィダーインゼリーを渡され、とりあえず今日はご帰宅いただいた。 一人ベットの上で、一抹の楽観的な感情で、ベットに横たわる。 横たわっていると特に身体を動かす必要もないので、身体が動かないことも気にな

          入院初夜

          人生のサカ

          人生には三つの坂がありますと、たしか高校の卒業式あたりで聞いた気がする。 「のぼりザカ」「くだりザカ」「まサカ」だそうで、上手いこと言うなと聞いていた記憶がある。 まさか、自分の人生に「まサカ」が到来するとは思ってもいなかった。 まぁ、長い人生何らかの形で誰しもに「まサカ」はやってくるんやろうけど、それは突然やってきた。 ある日、右手が痺れてた。 突然、気がつくと、痺れてた。 5分くらい正座した後の足の感じの、やんわりした痺れ。なんやろこれ、くらいの気持ちでいた。 仕事柄、病

          人生のサカ