日記 2023年10月17日(火)〜10月18日(水)
10月17日(火)の日記
午前九時起床。ぼんやりでベッドでしばし。なんだろうこの「まだ火曜日か」感は…。てなこと言ってられないので仕事部屋へ。
(お仕事中のため9時間後にワープします)
後回しにするほど面倒になる腹筋ローラーを真っ先にやる。たった5分の日課です。それから真っ暗な部屋で待っているクウガとはなちゃんをもてはやして撫で回す、これも日課。ザ・日常。平日とはこういうものだ。
部屋でギターを弾いてライブのイメージを膨らませる。ステージに立っていない僕はなんでもない日常の人だ。イライラしたり落ち込んだりしょっちゅうしている。昨日よりちょっとでも良くなりたいという向上心もそれなりにあるし、楽しいときには一人で声をあげて笑うことだってある。
曲を作るという営みとは、実は相当に地味だ。部屋で黙々と(時に悶々と、稀に髪を掻きむしりながら)歌詞など書いている姿を見たら、ステージ上の僕しか知らない人たちはどんな印象を持つのだろうか。
「なんやただのオッサンやんか」と言われるのだろうか。いや、そうなのだろう【悲】
就寝時のベッドのお供は「言葉を離れる」。横尾忠則だ。読んでいてふと、みうらじゅんが頭をよぎる。怒涛の蒐集癖や仏教に傾倒していく様からの連想だと思うが、確かみうらじゅんは横尾忠則に憧れていたはずだ。YTに憧れていたからMJはコレクターになり、仏教にハマったのだろうか。いやMJの仏教好きは子供の頃から。これはただのシンクロニシティなのだろうか。
10月18日(水)の日記
午前九時半に起床。
(お仕事中につき9時間後にワープします)
今日は手紙を書いた。ずいぶん待たせてしまったから、余計に気持ちが入る。言葉とは実に軽薄なものだと思う。そう思わされることが最近よくある。正確に言えば、言葉を軽薄なものとして使う人間の考えが軽薄なのであって、言葉自体には何の罪もない。書くだけ言うだけ送るだけならサルにもできる。しかし人間は文字の羅列に意思を乗せることができる。それが「疎通」だ。
手紙を書くとつい、そんなことを考えてしまう。文字とは手紙のためにある。手紙には表情から滲む機微も、イントネーションも訛りもない。そこにはただ静止した文字があるだけだ。単なるインクの筆跡であるはずの文字の中に、息遣いや鼓動を感じたとき、はじめて文字はその人の言葉となって伝わる。
僕はこちら側の感覚にいつでも戻ってこなければならないと思う。
夜は火鍋を食べて(KALDIの「火鍋の素」を使用)締めにマルタイラーメンを投入。実に美味。はなちゃんがごはんをもりもり食べたので嬉しい。
ベッドで耳かきASMRを聴きながら「言葉を離れる」の続きを読む。この本は静かに睡魔を待ちながら読むのにふさわしい気がする。