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【本の解説の紹介】「訣別の旅」(独立した随筆としての扱い希望)
(注 この記事には会計税務の情報はありません)
「本の解説の紹介」とは、変な記事名です。
この記事は、文庫本の解説として書かれた文章が素晴らしいので、独立した随筆として扱ってほしい、もっと多くの人に触れてほしいという思いで書いています。
その解説は「ベルサイユのばら 2」(池田理代子 集英社文庫コミック版 1994)の内館牧子さんによる「訣別の旅」という題の文章です。
「訣別の旅」の紹介
「ベルサイユのばら」が大ブームとなっていた1974年、「ベルサイユのばら」に熱中していた小学5年生の従妹を26歳の内館さんがベルサイユ宮殿を訪れるための10日間のフランス旅行に連れて行ったという話です。
すごい熱意で周囲の大人たちを説得して旅立ったにもかかわらず、パリについた初日からホームシックで泣いてばかりいる従妹をなだめたりすかしたり、怒ったりしながら引率し、パリ到着の2日後にベルサイユ宮殿に到着します。
あの旅で、私は自分より弱く、小さい者を守り抜くことを初めて覚えた。それまでは自分自身のことだけを考えていればよかった私が、たった十日間とはいえ、十歳の少女と異国を歩かなければならないのである。日本で心配しているであろう彼女の両親や、私の両親を思うと、何としても無事に帰国しなければならない。
こんな感じで引用していたら丸写ししてしまいます。もう2か所だけ引用します。
無事に帰国し、従妹を叔母に引き渡した後、私は間違いなく何か一皮むけていた。それはもはや「青春」でなく、弱く小さな者を守るべき年齢に達したことの認識であったかもしれない。
(中略)
彼女は徹底して「医者になる」と言い張ってきた。その意志の強さは、「ベルサイユに行く」と言い続けた時と同じであった。それを言うと、彼女は照れ笑いで言う。
「あの旅で、私も意志を持つことを覚えたのよ」
私が「青春」に別れを告げたように、彼女も「子供」に別れを告げた旅であった。
こういう話が、文庫を読んだ人の目にだけ触れるのではもったいないと最初に読んだ時から思っていました。note記事で取り上げようと思っていたら読み直したら立派な題名もついていたし、独立した随筆と扱ってほしい、内館牧子全集が編纂されるとしたらぜひ収録してほしい、そのように思っています。
文庫本は集英社発行ですが、近時は内館さんの作品は幻冬舎から出版されています。今後の出版企画の際に「訣別の旅」を掲載することを希望します。
なお「ベルサイユのばら」も素晴らしいです。「訣別の旅」を読んでみたくなったが「ベルサイユのばら」は未読という方は、これを機に5巻全部を手に入れられることをお勧めします。
おまけ 雅山に関する誤情報
私はドラマを見ないので、「週刊朝日」誌の「暖簾にひじ鉄」という連載の愛読者にすぎません、内館牧子さんのファンとは言えず、よく知らないといったほうがいいでしょう。
今回この記事を書くにあたり、ちょっと内館牧子さんについて検索したところ、雅山との結婚がどうとか結果に出てきて驚きました。「交際していたことが週刊誌に報じられていたようだがはっきりしない」みたいな結果です。
この内館牧子さんと雅山との結婚というのは、嘘のファクスによるものです。その騒動を、「暖簾にひじ鉄」でご本人が面白おかしく書かれているのを連載当時読んだ、そのことを思い出しました。「これは訂正しなくては」と思い、このおまけを書いています。
何があったかは、現在では「なめないでね、わたしのこと」(内館牧子 幻冬舎 2004)の「私、雅山と結婚します」という章で読むことができます。
何者かが「内館牧子事務所」名の「雅山と結婚することになった」という挨拶の噓のファクスを「関係各位」に広く送って、内館さんのところに友人からの電話や報道機関からの問合せが殺到する、という騒動があったということです。よかったら読んでみてください。
「週刊誌に報じられていた」わけでなく「嘘のファクスによる騒動があったという話が週刊誌に掲載された」ということなのです。
この騒動があった時点は雅山が24歳、29歳差とのことなので内館さんは53歳、つまり2001年のことです。ある程度携帯電話は普及していましたが、SNSが一般化する前です。今なら嘘のファクスではないでしょうし、誰も本気にしないでしょう。再読してちょっと時代を感じました。