柏市の「広報かしわ」1954年の第1号から読めます
(注 この記事には会計税務の情報はありません)
千葉県柏市の広報誌「広報かしわ」のバックナンバーが、1954年の第1号からウェブサイトで公開されているのを見つけました。
手始めに1954年の第1号と第2号を読んでみました。70年前ですからね、まるでタイムカプセルです。
「ミス東葛市」(1954年9月25日発行:第1号より)
19人の応募者の中からミス東葛市が選出されたという記事があるのですが、写真と氏名のみならず、住所、親の職業と氏名、長女である旨、さらに身長、体重、勤務先まで記載されています。
おおらかだったというべきか。市役所商工課・観光係が「各方面によびかけ募集をしていた」との選定の経緯もおおらかです。厳密な公募でなく、つてをたどって応募を依頼したのでしょうか。
なお昭和29年9月1日の市制施行時は柏市ではなく東葛市でした。同年11月15日に柏市に改称しています。
「ヒロポンは若い世代の芽を枯らす」(1954年11月18日発行:第2号より)
当時広く使われていた覚せい剤ヒロポンに関する記事です。自分の子供や近所の子供に不審の点があったら市役所警防課又は警察少年相談所に申し出てほしいとのこと。
市広報に掲載されていたとは思えない文章です。なお、若い世代中心に蔓延していたようです。
「供米事務」とは?
第1号掲載の「農務課より」というコーナーでは「当面の問題は供米事務」と書かれています。市役所機構の図には、農務課の下に「配給係」があります。
第2号の題字横には「早期供出 近々に供米が割当されます 早期の供出に御協力下さい」とあります。
終戦から9年、配給とか供出とか言っても戦時中とは違うのでしょうが、私は全く見当がつきません。今は当時の食糧管理制度や米の流通について調べることはできませんが、今後の課題とします。
「広報かしわ」バックナンバー公開を発見した経緯
私は柏市に住んでいたこと等なく、第1号と第2号についても記載内容や当時の世相等の背景を解説する力量はありません。バックナンバーがオンラインで閲覧できることの情報共有のために、この記事を書いています。
このバックナンバー公開を発見した経緯は書いておきます。
・YouTube上でフュージョン・バンドのカシオペアの動画を探す
・カシオペアが1992年8月2日に「柏まつり」で演奏した時の動画を発見
・「柏まつり」について検索し、「広報かしわ」のバックナンバーを発見
・当該バックナンバーが公開されているウェブサイトを訪ねて、1954年の第1号から公開されていることを発見
思いもよらない経路で貴重な情報を発見できるというネット時代の面白さを再確認しました。