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ひきこもり。四国八十八ヶ所巡礼の思い出・・。
18歳。私は学校に行っていなかった。
不登校からいわゆる「ひきこもり」状態となっていた時期だった。
ある日、母が四国に八十八ヶ所巡礼というものがあると教えてくれた。
信仰心とかではなく、ただ自分の根性や忍耐を養うことを目的に歩いてみようと思った。このときは人が怖い。生きるのが怖いと思っていた原因が、私に根性が無いからだと思っていたからだ。
四国の八十八ヶ所巡礼は徳島・高知・愛媛・香川の各県に点在する札所と呼ばれるお寺をコースに沿って回るものである。
各札所では納経書に梵字の様なサインとスタンプを押してくださるので、何となくだが御加護のあるスタンプラリーの様だと私は思った。
私が実際に歩いたのは、今から25年以上前の話である。
だからまだそこまで巡礼が今ほどポピュラーなものでは無かった時代だった。
今はどうなっているか知らないが、当時は小指が無い人が禊の意味で歩いていたり、奥さんの遺影を忍ばせて歩いている人などもいた。
私も巡礼に行く際には身辺整理を行なっていったので、それ相応の覚悟を持って行ったのだと思う。
お遍路は陰気臭い?
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歩き遍路で野宿を行なっていると、その日の寝床は死活問題となってくる。
寝床が定まっていない状態で、あたりが暗くなってくるとかなり気分も焦ってくる。
日常生活を送っていたら気付かないことだが、灯りの無い純粋な闇は恐怖心が掻き立てられて足がすくんでしまうのだった。
通夜堂と呼ばれるお堂が遍路道の途中でポツンと設けられていることがある。
その場所をお遍路は寝泊りで使うこともできるのだが、セキュリティーなどあったものではない。信じるのは四国の人たちの善意のみなのである。
寝床がなくて、遍路道の途中にあった通夜堂に泊まったことがあった。
扉を開けると先客が既にいた。長髪を束ねた若いお兄さんだった。話を聞くとどうやら地元の若者らしい。
淡々とした雰囲気のこのお兄さんと話をしてみると、四国の若者がお遍路のことをどう思っているか知ることができた。
「僕たちが高校生の頃は、何であんな歩き遍路とかするんやろう・・お遍路って陰気臭いな・・って思ってましたね・・」
まっ、人によって思うことは様々だから・・。
そして何故かコーラは米軍の基地では格安で飲めて、日本人はぼったくられているという話になった。
「へ〜、すご〜い!よく知ってしますね!何でそんなこと知ってるんですか?」
私は彼を持ち上げた。
「えっ?常識だから・・」
持ち上げた梯子を蹴飛ばしやがった。お遍路を陰気とか言うし、噛み合わない奴だと思いながらその日は床に就いた。
何が陰気臭いだ・・・と思っていたが、翌日、足を引きずりながら歩いてるお遍路を見た。
確かに陰気臭く見えるな・・とは思った。
ガレージでの一夜
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各札所での巡礼者への対応はまちまちであり、親切な住職もいれば、心を閉ざした対応をとる方もいる。
某札所に到着した時には既に日が暮れ始めていた。
私は野宿をしながら歩いていたので、札所の関係者の方に境内で寝袋を出して眠れないものかとお願いをした。
すると3人までなら可能なお寺のガレージがあるからそこでなら・・と提案してくださった。
とてもありがたかった。
どうやら2人先客がいるらしい。安全に眠ることさえできれば良いと思っていたので何も気にすることは無い。
お寺の方に案内されて向かったガレージに到着すると、既に荷物が広げられていた。気にすることはないと思っていても、目の前に広げられた荷物を見ると緊張はする。
私はガレージの出入り口に自分の荷物と寝袋を広げていつでも眠れるスタンバイをした。
当時は携帯電話も持っていなかったし、暇ができた時に楽しめる娯楽の類は一切持ち合わせていなかったので、野宿をした時は日が沈むと共に眠りに就いていた。
だから7時ぐらいに寝袋に潜り込んで、日が昇り始める明け方まで眠ることも平気であった。それだけ体力が消耗していたということなのだと思う。
開祖に出会う
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しばらくすると先客の二人が帰ってきた。
二人とも中年の男性だった。
一人はリアカーを引いて歩いている男性で、もうひとりは着の身着のままといった風情の男性だった。
リアカーの男性が手前に座り、着の身着のままの男性が1番奥にドカッと腰掛けた。
戻ってくるなり2人は夕飯を食べ始めた。
リアカーの男性が着の身着のままの男性にご飯や生卵を渡し、卵かけご飯を食べ始めていた。
当然のことながらお互いの話をすることになる。私はこのなんとなく得体の知れない2人を警戒した。
リアカーの男性は元々電力会社か水道会社に勤務していて、脱サラしてリアカーを引くようになったらしい。
そして何故そのようなことをしているかというと会社員時代に天啓のようなものを得て、その教えを皆に拡めるためとのことだった。
彼はそう言うと冊子のようなものを取り出して渡してきた。それは、その教えというものが書かれた経典のようなものだった。
読んでみると何が書かれているか私にはよくわからなかった。
しかし経典に書かれていることが不明でも、話をする限りではきちんとした大人にも見える。
私「あの・・・そのお遍路はいつまで続けるんですか?」
リアカー男性「えっ?死ぬまで・・・・・。」
ゾッとした。
天啓が広まるとは思えなかった。
それなのにこのことに一生を掛けている・・人生って恐ろしいと思った。
着の身着のままの男
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リアカーを引きながらの巡礼って山道はどうしているのか不思議だった。そんなことはお構いなしに目の前で2人が人生哲学のようなものを語り始めた。
しかし、私にはこの2人の会話が噛み合っているようには見えない。
特に着の身着のままの言っていることがチンプンカンプンだった。
次第に2人の関係性が見えてきた。
リアカーを引いている男性は自分の信念に則って歩いているが、着の身着のまま男性はただリアカーの男性に乗っかって食事を食べさせてもらっているだけの人に思えた。
18歳の未熟な青年だったが人はよく見ていた。
単なる寄生虫やん!と「ひきこもり」の分際で、寄生虫を軽蔑する。
着の身着のまま男性「いや〜、今日は良い日だ!私たちでこうやって色々と話ができて、それを聞いている彼(私のこと)も勉強になる!」
私「・・・・・・・・・・」
ムカついてきた。
着の身着のまま男性「これを君にあげよう!」
すると着の身着のまま男性は私に大きな釣竿を渡してきた。
お遍路はいかに荷物を少なくして歩くかが死活問題なのに、何故あなたは釣竿を持っているのか?私は丁重に(?)お断りした。
本当に今でも彼等は歩いているのだろうか・・・。