元ひきこもり。福祉の仕事を始める。
「この仕事を選んだってことはお金じゃないってことでしょ?」
非正規職員として飛び込んだ世界は福祉職だった。
福祉は私が最も忌み嫌う世界だった。
私は元ひきこもり経験者。
ある日、学校に行こうと思って身支度を済ませ、一息吐こうと思い座り込んだらそこから動けなくなった。
それがひきこもり生活の始まり。
色々あった末に25歳の頃にボランティアで障害者施設でお世話になった。
私は対人恐怖症の気があった。
そして人との触れ合いや「絆」的なものが偽善っぽくて吐き気がするほど嫌だった。
しかし、やりたくないと思っているものに限って体験するようにこの世界はできているようだ。
障害者施設でのボランティアからパートの仕事を始めるときは全く知らない世界に飛び込むのが怖かったので、職安に行って福祉職にターゲットを絞った。
働くということに慣れたら業界を変えていこうと思ったのだが、いつまで経っても働くことに慣れなかった。
私の中ではそもそも「仕事を選ぶ」という発想がなかった。
これしかできないと思っているから福祉の世界に飛び込んだ。
だから最初に紹介した発言は私にとって驚き以外の何ものでもない。
この発言は非正規で勤めていたときに同僚から言われた言葉だった。
言われてみると確かにこの業界は給料が安いのかもしれない。職員駐車場を見ると安そうな軽自動車ばかり並んでいる。
「いつか辞めてやる・・」
そんなことばかりを考えていた。
非正規職員としてのあれこれ。
お世話をしていただいた先輩職員と2人で送迎に出たときのこと。
この送迎の時間がほっと息をつける時間なのだが、私はつい緩みすぎて先輩に本音を言ってしまった。
私「この仕事って、ずっとやっていく仕事だと思っていなんですよ。」
先輩「ずっといる私の立場はどうなる・・・・。」
しまった・・・。そこからしばらく沈黙が続いた。先輩の懐が深くて助かった。
非正規職員として働き始めた半年後、更衣室で着替えていると同じ非正規職員の男性職員が話しかけてきた。
「俺たちも良い年だから・・いつまでもバイトしている場合じゃないよ・・」
ちょっと待ってくれ。やっと掴んだ非正規職員フルタイムの仕事。この環境に適応することで精一杯なのに先のことなど考えられない。
しかも、この男性は私より年下だった。
焦るまでいっていない現状に朝から愕然としてしまった。
誤解を招いていると思うので釈明すると、私が福祉の仕事を腰掛程度に考えていたのは、給与面の低さからでは無かった。
私は世間知らずだったので、給与の相場など全く知らなかった。
またこれまで何年も働くことができなかったので、とにかく10万以上のお給料がもらえることに感激していた程だった。
それよりも不満を感じていたのは、この仕事を自分の意思で選んだのではなく「これしかできない・・」と思っていた決断のプロセスだった。
自分でやっているというより、やらされているという感覚があったから、そこが不満のタネとなっていた。
これは余談であるが、待遇面で印象に残った出来事があった。
それは非正規から正規職員になろうと思っていた時期で、とある老人施設で面接を受けたときの経営者らしき男性に言われた発言だった。
「わかっていると思うけど、この仕事で金持ちになるのは難しいからね・・・。」
「はい。わかってます」と言ったものの、最初からそれ言う?という気分になった。そして面接が行われているその部屋を見渡すと結構な贅沢品が飾られているように見えた。
この施設に就職しなくて本当に良かったと思う。
大学でお話をする。
数年前にある福祉系大学で福祉職の先輩としてお話をしてほしいという要望があった。
当時の所長はなぜか私を指名して、一緒にその大学に赴いた。
所長がパワーポイントを使って職場の概要などを説明しているのだが、給料の話になった途端に受講している学生達がメモを取り始めた。
唯一学生たちが前のめりになって話を聞いたのが給料に関してのみだった。
お金は凄く大事である。
しかし、お金をメインで考えて仕事の中身を二の次にして良いのだろうか?
仕事は人生の多くの時間を割くものである。
給料ばかりを第一に考えてこの世界に飛び込んで良いものなのか?
仕事内容や自分が本当にこの分野に関心があるのかという点(福祉系の大学に入るぐらいだから興味はあるのだろう・・多分)を二の次にしていると、貴重な人生を安売りしているようで魂を売ったような気分にならないのだろうか。
しかしここは考えようで、人生の目的を仕事を通じて自分を成長させるという発想だったら、働く業界はどこだって構わないのかもしれない。
また福祉の分野を選んでみたものの、今後給料面を考慮して方向転換する可能性だって考えられる。
皆さんが何を考えているかよくわからなかったが、仕事の話の部分に関心を持って聞いているように見えなかったので、そんな考えが頭を過った。
と・・元ひきこもりの私は思うのだが、二十歳そこそこの頃の私は家にこもって通院して精神療法を受けたり、通信制の高校に通うも誰とも話ができなかったので、そのころの私に比べたら学生さん達は全然マシである。
ここの大学の教授と話をしたときにこのようなことを言われた。
「大学生とは思わないでください・・・。高校生の延長だと思ってください。」
と教授は生徒を大きな子供扱いしているようだった。
そんなスタンスで生徒達は心を開くのだろうか?
私の若い頃よりマシだろ・・。
メンタルブロックが外れつつある
この年齢になって、ようやく私は自分の人生を取り戻せる時期にきたような気がする。
二十代の頃は、仕事を始めたものの社会に適応するためのリハビリ意識が強かった。
そして三十代は、主体的に人生を選択しようと思っても、どこか脆さも感じており、失敗を繰り返していた。
そして四十代になって、自分の人生を生きている感覚を手に入れつつある。
たまに母と話をするときに「もう年をとり過ぎた・・」と言ってしまうことがある。
人生を選択できるだけの意識や心の自由を手に入れた感覚があるが、既に40代になってしまったという意味である。すると母からは「どうしようもないじゃない・・」と言われるのだが、甘えで言っているという自覚があっても腹が立つ。
この選択できる意識や心の自由が十代や二〇代の頃にあったら、もっと面白い人生を送れていたかもしれないと最近考えてしまう。
人生はどうやら公平ではないらしい。
十代、二十代で「選択」できるパーソナリティーを持った人もいれば、私のようにその感覚を四十で手に入れつつある人もいるし、もしかすると一生その感覚を手に入れられずに翻弄され続ける人もいるのかもしれない。
どちらにしても生きていくしかないのだから、嘆いたら落ちていく一方になってしまう。
私はどこかでまだ自分は素晴らしい人生をおくれるのではないかと自分に期待しているところがある。
スラムダンクの安西先生のセリフをパクったようで恥ずかしいのだが、諦めたらそこで成長は止まってしまうと思う。
自分に期待しているのなら、私は死ぬまで変化するための努力を続けていこうと思う。
そう思うことが今は希望になっている。
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