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元ひきこもり。でも内心はまだひきこもり。

職場の事務所の隣の島から噂話が聞こえてきました。

「〇〇さんと二人っきりになったときに結構あけすけに・・・・」

それは、その場にいない職員さんの話でした。

内容としては悪口の一歩手前。その職員さんと二人っきりになることが少し苦痛という内容でした。

そもそもその噂話をしている職員さんを私があまり好きではないというのもあったのですが、とにかく話をしている空気が嫌でした。「でたでた・・」って感じです。

島が離れていたので、会話の輪に入らなくて済みました。
しかし近かったら知らん顔はできません。


あまり好きではない人との雑談ってどうすれば良いのでしょう。

よく言うじゃありませんか、人は嫌ってきた相手を嫌うと。

しかし厄介なのは私の場合、嫌っている人からも嫌われるのは不快という点です。

好きではないことを見透かされたくないので、適当なところでバレない程度に距離は置きたいのです。

嫌われるのも苦痛。嫌いな人に嫌っていない空気を出すのも苦痛。人との関係のゴタゴタにエネルギーを使いたくありません。

すごくわがままを承知の上で書きますが、本当に仲良くしたい人とだけ仕事をしたいものです。


働き始めて20年以上経つのに、社交性というものが欠けたままです。

40半ばになってきたので、社交性を獲得するために苦闘しなくても、そのまま生きていけるとは思います。

輪に入りたく無いと思う気持ちもありながら、輪に入れないことが寂しいと思うこともあるし、あの島に自分がいなくて良かったとも思います。

男心は複雑なのです。

もう社交性という人格パーツは放棄した方が良いのでしょうか・・。

どうして良いのかわからずにスルー。

職場の同僚二人が廊下で作業をしていました。

私は一瞬話しかけようかなと思ったのですが、話しかける言葉が特に思いつかないし、話しかけて迷惑そうな態度をとられたら(そもそも何故このような思考になるのか自分でも不思議)、それで傷付く可能性もある。

迷惑そうな態度とは例えば、話しかける雰囲気ではない私が声をかけて、同僚二人が少しオドオドするような態度に見えたり、目を合わせてこなかったりという余所余所しいリアクションです。

だからこういう時にデン!と構えて輪の中に入れてくれる人は「良い人」だと思ってしまいます。

結局どうしたら良いのかわからずに、私はその場を素通りしてしまいました。


例えば同僚が私を含めて三人いた場合、そのうち二人が目の前で談笑していると私は身構えてしまうのです。

それはその輪に入った方が良いのか?入らない方が良いのか?考えてしまうからです。

こういう時に何の緊張もなく、フランクに会話に入れる人が信じられず、同じ人間とは思えません。

輪に入るには「ていっ!」と何かを吹っ切る気合いが必要なのです。

それが嫌だから黙ってしまい、早く会話が終わってくれ!と願ってしまいます。そして会話が終わるとほっとするのです。

しかし、私を除く職員さんがいつも仲良く会話をしていたら、孤立感で泣きそうになるとも思います。

よく和気藹々とした職場です!とバイトの求人情報にこのような謳い文句が書かれていますが、仲良くする必要はなくてソッとしておいて欲しいのです。

でも、完全にソッとされるのは嫌なのでたまに話しかけて欲しいのです。

44歳。この辺の気遣いを私がする立場なのですが、私はまだ思春期的なものに呪われ続けたままです。

人に自分から話しかけることに大きなハードルがあります。

会話が続いたとしても社交辞令や作り笑い。そして話ができた充実感があってもそのあとの疲労感などがあって虚しくなってくるのです。

また話題を考えることにもエネルギーが必要で・・・あっ、もう無理な気がする・・。

悪口

そんな私ですが、人付き合いで唯一良い点があります。

悪口や噂話を言わないように心がけている点です。これは美点だと思っています。

人が悪口を言う時は確実に自分のことを棚に上げていると思っているからです。

棚に上げられるだけ、あなたは立派なのですか?と問いたい。

何故意地でも悪口を言わないように心がけているかというと、自分が発する言葉は自分が一番良く聞いており、人に対する悪口でも自分にダメージがある云々を本で読んだことも一因ですが、それよりも子供の頃に内弁慶で情緒が不安定だったこと。

高校生の頃にひきこもりでメンタルをやってしまい、社会に出たのは二十代半ばだったこと。

挙句に14年過ごした彼女と結婚に踏み切ることもできなかった決断力の無さ。

それらを総合すると私が他人のことを、ああだ・・。こうだ・・・。という資格が無いと思っているからです。

これで他人のことをボロカソに言っていたら、私はもっとボロカスに言われる恐れがあるので、他人に対して私は寛容にならざる負えないのです。

不思議なのですが、他人を見て不満を感じることがあると、その後自分もその不満を感じた人と同じことをすることが度々ありました。

これも例えば判断力がない人を見てイライラしたら、私も判断できないような状況になったり、誰かが遅刻してきてイライラしたら、私も大幅に遅刻をしたりするというリアル追体験が度々あったのです。

そうなると共感するしかなく、「ああ・・あの人はこんな気持ちだったんだ・・」と思うようになるのです。

現在職場でとても近い同僚がずっと休んでいます。きっと私は試されているのだと思います。お前、これでも悪口を言わないか?と、試されているのです。

では、どうするか?



ここで母から言われた言葉を思い出しました。

「40超えたら、どんどん図太くなっていくから大丈夫!お母さんは話をするのが苦手だったけど、今そんなことないもん!」

あれから年月が経ち気付くと44歳。ますます私は人見知り・・。


最近まで社交的に話しかける努力をしようと思ったのですが、苦手なことに力を入れるのが結構苦痛です。

長年自分の社交性の無さに悩み、何度も変わろうと思いながらも変わってこなかったわけですから、無理やり自分を変えていく努力は間違っているのかもしれません。

「あるがまま」に正直で良いような気がしてきました。

自分が喋りたいと思った時に喋ること。
仲良くしたいと思った人と仲良くすること。

自分の中から湧き上がる、自然な感情に従ったら結果的にうまくいくような気がしてきました。

職場から帰宅する夜道にそんなことを考えていたら、気持ちが楽になってきました。













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