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元ひきこもり。内観を受けに行く。

内観というものがあります。

端折った説明をすると、自分の過去を振り返る作業です。

自分と家族や兄弟などに「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」などの3つの観点で振り返っていきます。

振り返る期間は小学校の低学年、高学年などと区切って思い返していきます。

私はひきこもりの経験者でした。
ひきこもり状態から社会人になって数年経った後でも、自分の中で苦しみが残っていました。

ひきこもり状態から脱出さえできれば全てが解決できると思っていたのですが、そうではなかったのです。

その苦しい状況を打開するために思い付いたのが滝行でした。

滝行で自分の中にある殻を打ち破る経験ができるということを知り、それを通っていた「ひきこもり当事者」が通うフリースペースのスタッフさんに相談したのですが、見事に反対されました。

反対するときにスタッフさんは、鏡で自分の顔をずっと見ていると、最初は何とも思っていなかった部分でも、次第におかしいと感じるようになることがあるという話をしてきました。

つまり自分と向き合う作業はほどほどにして、人生を楽しもう!と言いたかったようです。

次にバンジージャンプで殻が破れた経験をした人がいたと知ったので、内心でバンジージャンプを温めていたのですが、絶叫マシーン系が苦手な私はとうとう動き出すことができませんでした。

そんな時に、それを克服する手段が「感謝」にあるのではないか?というヒントをある本から知りました。

そこでたどり着いたのが内観だったのです。

ネットで調べてみると、私の住むエリアで内観を行っている施設があることを知り、早速連絡をとってみました。

内観当日

駅に到着すると内観協会の運営(?)の方が、駅前のロータリーまで迎えにきてくれました。それに乗って施設まで案内をしてくれたのです。

内観施設と言っても、普通の民家です。

まずは書斎のような部屋に通され、DVDで内観の方法のレクチャーを受けました。

本来内観は1週間単位で行なったりするものらしいのですが、今回私が受けるのは1日バージョンの内観です。

レクチャーが終わると、案内人の男性に連れられて居間の方へと向かいました。

半畳程の広さを襖で四方を囲まれているスペースがいくつもある部屋に通されました。室内にテントが幾つも立てられているような異様な雰囲気でした。

内観を実践する人はその中に座って内省を始めるわけです。

私はその半畳のスペースの一つに入って座り込みました。
半畳しかスペースがないので、目の前に襖が迫ってくる状況です。その圧を感じながら振り返りの作業を行なっていきます。

家族に「していただいたこと」や「して返したこと」。そして「迷惑をかけたこと」を思い返すように努めました。

「していただいたこと」や「迷惑をかけたこと」はなんぼで出てくるのですが、私が家族に返したことが全く出てきません。

反抗期。私は家庭内暴力とまではいかないまでも、すぐに大声を上げて物に当たる癇癪を起こしていました。

母のことを「クソババア!」と呼んでいました。

そして小学生の頃は母にナイフを向けて泣かしたこともありました。
小学生の頃に学校で自分を抑制していた反動で情緒が不安定になっていたのだと思います。

返したことは思い付かず、迷惑をかけた思い出ばかりに浸っていると、先ほどの案内人の男性が襖の隙間から覗き込んできました。

「まずは、お母さんにしてもらったことは?」「お母さんに返したことは?」「最後に迷惑をかけたことは?」

案内人さんからの問いに一個ずつ答えていきました。

そして案内人の男性は次のテーマを私に授けてその場を立ち去っていったのです。

確かそれは思い返す年代の指定だった気がします。
例えば「幼児の頃、幼稚園の頃、小学生の頃・・・」というように。

狭い半畳の部屋で内省を続ける。すると次第に睡魔に襲われてきました。

特に何も思い付かない

半畳のスペースは刺激のない世界です。
唯一の刺激は自分の思考のみ。
すると、内観中に何度も記憶が飛んでいきました。

あっという間に時間です。
案内人さんの登場。

案内人「では先ほどの時間で、お母さんにしてもらったことは?」
私「・・・・・ええ・・母にはお世話になって・・・。」
お世話になったことを世話人さんに伝えました。してもらってばかりなので、すぐに思い付きます。

案内人「返したことは?」
私「・・・・ないですね・・」

案内人「迷惑をかけた・・」
私「・・・・・・・・・・」
迷惑をかけたことは伝えたような気がします。

迷惑をかけたことなんて内観をしなくても、記憶を探ればすぐに出てくるからです。


また再び刺激のない世界に戻るわけですが、睡魔と闘っているうちに怒りがこみ上げてきました。

こんな半畳のスペースに追いやられて、どうして過去の嫌な思い出を振り返らないといけないのか?私は自分をいじめている気分になって腹が立ってきたのです。

その1時間後ぐらいに再び案内人の男性がやってきました。

案内人「では先ほどの時間で、お母さんにしてもらったことは?」
私「特に思いつきません・・・。」
案内人「返したことは?」
私「特にないですね・・」
案内人「迷惑をかけた・・」
私「思い付かないですね!」

私は案内人さんにキレ気味に返答しました。

午前中の内観療法の時間が終わり、昼食です。
精進料理のような質素が食事が出てきて、それを半畳のスペースの中で食べました。

食事を摂ってクールダウンしたつもりになる予定でしたが、結局怒りは収まりません。

午後から再び内観療法がスタートしたのですが、頭にあるのは何故このようなことをしているのか?という疑問と、自分のことを大切にしていないという思いで、再びイライラが募ってきました。

そして集中力が完全にキレてしまった私はついに睡魔と闘うことをやめて、不貞寝を決め込みました。とにかく早く時間が過ぎて欲しかったのです。

内観を経験して得たこと。

はっきりと言うと、私には全く効果が感じられませんでした。

もうこんな自分をいじめるようなことはやめようとすら思いました。

内観は効果がある人にはあると思います。
しかし、この時期の私にはもう自分と向き合う作業はたくさんでした。

きっと私に必要なのは、自分に愛情を注いで大切にすることや人生に喜びを求めることでした。

滝行に打たれにいくことをフリースペースのスタッフさんに相談したときに言われたことが、時間差で私の心に湧き上がってきました。

内観はうまくいきませんでしたが、そう思えたことは良い変化だっと思います。



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