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「鬼怒川グランプリ」から抜け出せ!元ホンダ F1総監督・木内健雄氏からのメッセージ

皆さんこんにちは、本田技術研究所 先進技術研究所の小川です。前回に続き、F1プロジェクト時代からの恩師・木内健雄さんをお招きした内容をお届けしていきます。

後編では、今はHondaを離れられた木内さんに、外部から見たHondaの印象を伺いつつ、今後に向けた叱咤激励をいただきました。

木内さんの熱いメッセージを、ぜひご覧ください。


「鬼怒川グランプリ」ではなく、もっと世界を見よう

小川:木内さんは現在、Hondaを離れて活動されています。定年を迎えられた後、Hondaに残る制度もあったと思いますが、利用されなかったんですね。

木内:会社としては「当然残るよね」みたいなスタンスで来られたんだけど、「いやいや、残りませんよ」と。一応言っておくけど、これはHondaが好きとか嫌いとかの話ではないよ。

定年は、プロジェクトの途中で抜けるとかではない、後ろめたさのない状態で自分のやることを決められるタイミングだと思うんだ。今は昔以上に若い人が室長や執行役員を務めるようになって、Hondaに残ってもできる仕事は限られるんじゃないかなという思いがあったし、仕事でやり取りのあった東陽テクニカから、「会社で新しく技術研究所を作ることになったから、手伝ってくれないか」と声をかけられて、Hondaを出ることにした。

東陽テクニカは計測機器を中心に扱っている商社で、内容的に今までの仕事と近い部分もある。それに、Hondaともつながりがあるから、また別の形で貢献できるかもしれないと思ってね。

立場を変えると、いろいろ見えてくるものもある。例えば、商社はやっぱり営業が強くて、研究開発にかける予算も、Hondaと比較して2ケタくらい違う。何かプロジェクトを始めるのにも、営業が「これなら売れる」と判断しないと、できない。

小川:確かに、Hondaとは全く異なりますね。

木内:こういう環境に身を移すと、創業者の意思で研究所を独立させたHondaは、すごいんだとあらためて感じるよ。そして、そういう環境が恵まれたものではなく「当たり前」だと思ってしまう人もいかに多かったかと思う。でも、それじゃダメなんだよ

サッカーで例えると、会社はグラウンドで、働く人はプレイヤー。会社はグラウンドを丁寧に整備して、時にはコーチもそろえるし、お客さんもたくさん呼んで、プレイヤーが最高の環境で仕事をできるようにする。

一方のプレイヤーは、その環境で世界最高のプレーをする義務がある。そう考えると、Hondaはグラウンドが良くても、プレイヤー側に社会やライバルを見るという意識が薄いんじゃないかと感じる。

でも、これは今だけではなく僕がいたころからそうなんだよね。F1をやっていたときも、実態を見ずに手前みそを並べている人が本当に多かった。当時は栃木の拠点が中心になっていたけど、栃木には鬼怒川っていう大きな川があってね。メンバーに向かって「あなたたちがやっているのはF1ではなく“鬼怒川グランプリ”でしかない。もっと世界を見て、現状を知った方が良い」と言ったこともあるくらい。

つまり「今のように何万人も抱える組織になったからだ」と簡単に原因を求めることはできないんだけど、これはなぜなんだろう。小川さんはどう考えているのか、聞いてみたいな。

「要件」は必要だが、時には疑う目も必要

小川:主要因ではないだけで、人が増えて、組織が拡大したことは要因の一つだと思います。大きな組織では仕事が細分化して、視界が狭まってしまいますから。

あとは、技術の詳細な中身が分からなくても、シミュレーションや実験がボタン一つでこなせてしまうことも背景にあると思います。かつては計測するにも、自分で計測システムを組み、それが「真値」なのか、あるいは「自分が求める真値」なのかを確かめていましたが、今はこれもボタン一つで済んでしまうことが多くなっています。

とはいえ、これはHondaだけでなく他の自動車OEMも直面している課題です。だからといって何もしないで良いわけでもないのですが……。

木内:昔で言うと「要件」もなかったよね。それが今は、要件がバイブルになって、その試験をする設備しかなくなっている。「試験して合わないんだから、要件を変えた方が良いんじゃないか」と、物事を根底から疑う姿勢が失われているような気がするな。

小川:要件って、ある程度物理的な背景があり、かつ「これまでこの数値で問題なかったのだから、今後もおそらく大丈夫だろう」というものなので、完全な悪ではないんですよね。

木内:だからこそ、捨てるのには勇気がいる。

小川:ある程度は信頼できるからこそ、そこを疑うには本当に深い知識が必要ですしね。それでも、我々が目指す「世界一」「世界初」のためには乗り越えないといけないものでもあります。

「捨てる」「壊す」を恐れないことが重要

木内:ある程度の効率化が必要なのも事実だけど、それが手段であることが忘れられがちだとも感じるな。手段と目的をしっかり分けて考えて、かつ両方に目を向けないと、平板なモノしか生まれなくなってしまう。

小川:まさにその点は、先進研でも議論しているところです。要件や効率化を墨守することで組織がサイロ化して、薄れてしまっているものは間違いなくありますよね。これまでもすでにいくつか失ったものがあると思いますし、もともと先進研もそうした危機感から立ち上がった組織です。

ここで難しいのは、木内さんがおっしゃった通り「両立」が必要なこと。効率化と、コストのかかる尖った研究を丁寧に混ぜ合わせないと、私たちの目指す「創発」が生まれないと考えています。

木内:この議論でよく出るのが「昔のHondaは良かった」という意見なんだけど、そんな簡単な話でもない。もちろんHondaの思想は素晴らしいし、いまだに色あせていない。でも、これからに目を向けて試行錯誤して最終的に生まれた答えが、Hondaらしさの全くないものだったとしても、それで良いと思うんだ。

小川:昔の話をお聞きしていても、意外と皆さん「捨てる」ことを恐れていませんよね。過度に守りに入らず、あえて捨てたり、壊したりする重要性を伝えるのは、私の役目だと考えています。

トップの持つ役割は本当に重いと痛感していて、自分たちの立ち位置だけでなく、周りの状況を知り尽くし、かつ研究開発でいえば物理の深い知識も求められます。日々、まだまだ勉強です。

組織はフラットに、「3年より先」は考えない

木内:一方で昔のHondaから学ぶべき部分もあって、例えば「ざっくり作ってみる」こと。クルマを1つ出すのに、深掘りしきれていない要素なんかたくさんあったんだから。多少の粗があっても、世に出してみる。それでダメなら、またやり直す。こういうトライ&エラーの思想は取り戻すべきだよね。

他の会社から学ぶ部分もある。ある化学メーカーの研究所では、キャリアを進めるには少なくとも3つの部署を経験する必要があると聞いたことがあって、そういう組織を横断して知見を広げる取り組みもあると良いんじゃないかな。Hondaであれば「エンジン」とか「車体」で分けないで、車種ごとに組織を組むとか。

小川:幸い、先進研だけに限ればそこまで規模が大きいわけでもなく、周りが何をしているのかも見えやすいんですよね。新しいことやいい意味で変なことを考えている人がいればすぐ目に付きますし、自然に情報が入りやすい環境な点は、強みです。

木内:僕が今いる組織はHondaと比較して規模が小さい分、必要な決裁も少ない。時代やニーズの変化へスピーディーに対応するには、ここも重要かもしれない。

小川:そうですね。私も、組織の在り方として階層を最小限にすることが理想的なのではないかと考えています。この考えから先進研も、階層は所長とドメイン長にとどめています。

「戦略」や「ロードマップ」を作り込み過ぎるのも、極力やめた方が良いと思うんです、こういうものを考え出すと、ピラミッド型の組織にならざるを得ませんし、一つ一つのプロジェクトが無駄に長期化してしまいますから。ある中国の電子機器メーカーの人から「3年より先のことなんか考えていない。だって、そのころには何もかも変わっているから」という話を聞いたときは「まさに」と思いました。

木内:終身雇用ではなくなって、人材の入れ替わりも激しい時代では、そういう考え方もありだよね。

開発コンペがもたらす2つの効果

小川:他に、木内さんからご覧になって「もっとこうしたら良いのに」というアドバイスはありますか。

木内:昔からそうだけど、社内コンペがあまりないのは改めるべきだと思っている。あるターゲット向けのクルマを開発するときに、2つの組織が戦うやり方ってしないじゃない。

小川:確かにあまり目にしませんね。

木内:どうしても人間は「自分たちのやり方が正しい」と思ってしまうんだけど、そんなことはなくて。一つのものに複数の組織が取り組むことで「もっと良いやり方があるはず」という切磋琢磨が生まれるから、もっとやるべきだよね。

小川:おっしゃる通り、全固体電池と半固体電池の研究では、それぞれに同じ目標値を与えているのですが、かなり意識し合って取り組んでいます。F1の第3期でも、空力の研究開発を3チームに分かれてコンペしたときは、かなり刺激的でしたし、結果にもつながりました。

木内:そうそう。エンジンも2チームに分かれて開発したんだけど、バチバチに意識して、どんどんと軽量化していった。

小川:コンペが面白いのは、お互いに全く違うものが出るだけでなく、逆にみんなが同じものを出して「ああ、やっぱりこれで間違っていないんだ」と技術の確信につながることもあるんですよね。

「そこそこ」「それなり」から離れた場所で戦うことが、生き残りのヒント

小川:今日はF1時代のことや、現在の木内さんの視点から、いろいろとヒントをいただけました。最後に、Hondaへのメッセージをいただけませんか。

木内:クルマは成熟期に入っていて、家電のようにどこのOEMも似た性能のプロダクトを出す形に収れんしてきた。言い換えれば、各社が「そこそこ売れるクルマ」を「それなりに効率良く開発できる」時代だよね。でも、その路線になびくだけだと埋もれてしまうし、より規模の大きいOEMが勝つだけになってしまう。

つまり、コモディティ化しない「Hondaらしさ」をしっかり出して「Hondaらしいから、好き」というファンをいかにキープできるかが、生き残るカギだと思う。

その一つが、僕も小川さんも携わったモータースポーツ。確かにお金はかかるし、社内に懐疑的な人も多いけど、ここは絶対に強みだから、なくしたらいけないものなんじゃないかな。

小川:F1をやっていたときに、海外のエンジニアから「他のOEMは量産車を売るためにレースに取り組んでいるが、Hondaはレースのために量産車へ取り組んでいる」と言われたことがあります。それくらい、Hondaにとってモータースポーツはなくてならないものですし、世の中から求められているんだと思います。これは間違いなく財産ですよね。

木内:あとは、やっぱり「世界一」「世界初」を生み出す気概を持った組織、ここは先進研に期待しています。

小川:ありがとうございます。先進研は「移動と暮らし」がテーマであれば、何でもありで取り組んでいます。固体電池やAI、ロジック半導体が好例で、この技術が花開けば、クルマだけでなくさまざまな領域で戦っていけると思うんです。これからも、Hondaならではの技術をベースにしながら、Hondaが生き残っていく活路を照らしていきたいと思います!

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