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「世の中を驚かせ、期待を圧倒的に超える」―ホンダのロボティクス領域トップが目指すイノベーションとは

皆さんこんにちは。本田技術研究所の先進技術研究所に所属している吉池孝英です。私はこれまで「ASIMO」の研究開発などロボティクス領域の経験が長く、現在は先進技術研究所のフロンティアロボティクス領域で、エグゼクティブチーフエンジニアを務めています。

今回はそんな私が、これまでのキャリアの歩みや、Hondaならではのイノベーティブな研究開発を行うために、日々の活動やマネジメントで意識していることなどをまとめていこうと思います。


“傍流”から注目の的へ ASIMO開発で苦労したポイント

私がHondaに入社したのは1998年です。実はもともとHondaに対しては、数ある自動車メーカーの一つくらいのイメージしかありませんでした。入社するきっかけになったのは、1996年末にHondaが発表した二足歩行の人間型ロボット「P2」です。

1996年に発表された自律歩行人間型ロボット「P2」

私は大学でロボティクス領域の研究をしていたのですが、P2を目にしたときに「こんなロボットを開発する会社はすごい」と感動を覚えました。そこからHondaに入りたいと考えるようになり、入社したのです。

入社してまず感じたのは、厳しい上下関係がなく、フランクな組織だということでした。入社年次に関係なく発言を求められ、自分のいいたいことを発信できる環境が、Hondaの良いところです。まだ若かった当時はかなり生意気だった自分の意見も温かく受け入れてもらえたのは印象的でした。

Hondaには人間尊重という基本理念があり、その下には「自立」「平等」「信頼」というフィロソフィーがあります。入社後の研修を受けていて「そんなことは当たり前じゃないか」と思っていたのですが、どうも大学の同期などと話していると「うちではそんなこと言えないよ」「なかなか珍しいカルチャーだね」と言われることが多く、後になって「当たり前のことを当たり前にできるHondaって、すごいんだな」と感じました。

さて、入社後にすぐ担当したのが、P2の後継機である「P3」です。先輩と2人のチームで、無線を担当し、ロボットとPCを接続してコマンドを流したり、画像を転送したりといった技術を研究しました。大学でロボティクス領域の研究はしていたものの、無線の経験はなく、独学と先輩へのヒアリングを行いながら何とかモノにしていったのは良い思い出です。

P3(右)がさらに進化、発展してASIMO(左)に

考えれば、これはHondaの特徴かもしれません。手取り足取りOJTで教わるのではなく、自分で勉強して、とにかく手を動かしてみる。それで結果が出れば、自分がやりたい仕事を任せてもらえると信じ、頑張り続けました。仕事が早く終わった日には、将来的にやりたいと思っている領域の勉強をしたり、食事など仕事以外の場面でも「次はこれがやりたいです」と先輩方へ熱心にアピールしたりもしました。

先進研究所でオープンイノベーションを推進 Hondaの開発は「チーム」あってこそ

ASIMOの開発に10年ほど携わったのち、ドイツへ駐在して、今度はロボットの知能化に取り組みました。具体的には、ロボットの知能化を通して、手の動きをいかに人間に近付けるかという研究を行い、現在も引き続き従事しています。

人間は何かモノを手で握るとき、持ち方によって手の形は異なりますし、力の加え方も握る対象物によって千差万別です。例えば薄い布をつかむとき、ただ一つとして同じ握り方はなく、布のテクスチャに薄さ、サイズや形によって手の形は毎回異なります。

現在開発中の「Hondaアバターロボット」

私たちはこの握るという非常に複雑な動作を自然に、無意識に行っていますが、これをロボットで再現するのはとても難しいのです。機械制御だけでなく機械学習を駆使して、世界を変えるような技術を生み出したいと考え、日々研究開発に邁進しています。

ドイツから帰国し、東京にロボティクス研究の拠点を作ることになりましたが、その場所として選んだのが表参道でした。なぜこの場所にしたのかというと、Hondaは事業化に至るまでは技術を積極的に発信してこなかったという反省がありました。機密への意識や、社会に過度な期待をさせないという考えがその理由なのですが、それを改め、アカデミック領域などへアピールすることで、オープンイノベーションできないかと考えたのです。

そもそもHondaの研究は、象牙の塔にこもって1人で没頭するものではなく、さまざまな人が喧々諤々と時にはケンカのように議論をぶつけ合い、チームで進めていくものです。

ロボティクス研究の拠点となるオフィスでは、こうしたHondaならではの文化を最大限に生かせるように工夫しました。例えば、壁をホワイトボードにして、実験しながら縦横無尽に数式やアイデアを書けるようにするなど、働きやすさとイノベーティブな要素を組み合わせたのです。

さまざまな国から研究者が集まり、議論を重ねる

残念ながらコロナ禍の影響で表参道のオフィスは閉じてしまったのですが、世界の一流研究者が集まる学会に合わせて技術交流会を開いたり,原宿のオフィスで未来の顧客価値を議論するワークショップを開いたりと、外部の方を交えながらオープンイノベーションが実現できているように感じています。

誰かの思いが、Hondaの思いになって社会を変えていく

これまでのキャリアは研究開発がメインでしたが、ここ数年はマネジメントとして活動することがほとんどになりました。もちろん技術の最前線で研究を続けたいと思う時期もありましたが、今は自分の立場を楽しめていると感じます。

その背景には、数々の先輩方との思い出があります。例えば、本田技術研究所の社長を務められた川鍋智彦さんが、いきなり海外のスタッフも交えた報告会に連れて行ってくださり「次のステップに行くには、英語も勉強しないとまずいな」という気付きを得る機会がありました。

また、ドイツに駐在したときは、当時の上司で本田技術研究所の役員を務められた方からも「君は狭い世界でモノを考えすぎているから、もっと世の中に出ていろいろ見た方が良い」と声をかけてくださったことをよく覚えています。このように、私のキャリアを振り返ると節々で先輩方のアドバイスやフォローがあり、その都度自分の世界が広がってきた実感があります。

私もそうした立場に近付きつつあり、そのポジションからあらためて見たHondaの強みというのは「ある特定の分野であれば誰にも負けない熱量と視点がある」メンバーがそろっていることだと思います。例えば、私たちが今研究しているロボットの指は、ある若手技術者の発想で中に動滑車が入っていて、繊細な動きの実現に一役買っているのですが、これはなかなか通常の発想では出てきません。

こうした“異能”ともいえる尖った人たちが日々切磋琢磨しており、例えるならばオーケストラのようです。うまくそろえばとても美しい音楽が生まれる一方で、バラけてしまうと一気に不協和音になってしまう(笑)。その点で、マネジメントの責任は非常に重いと感じています。

特に、Hondaにはトップダウンではなく、ボトムアップの文化があります。現場でなされた議論によって決定したことの筋が通っていれば、とにかくやらせてもらえる。そして時間が経つと、それがHondaの方針になっていく。それぞれの夢がHondaの夢になって社会を動かしてきた歴史があるのです。だからこそ、メンバーのマネジメントは重大なテーマです。

何より世の中を驚かせたい!

私たちの研究開発における原動力は、何より「世の中を驚かせたい」ということ。Hondaは社会から「すごいことをしてくれるはずだ」と思われている企業ですし、その点にこそ存在価値があります。世の中を驚かせ、期待を圧倒的に超える。そして、ほとんどの人が想像すらしていなかったことを実現することを目指しています。

特に、私たちの専門であるロボティクス領域は、Hondaにとって間違いなく次の柱になるテーマであり、特殊な市場を除き、遅くとも2030年代には社会の当たり前になるはずです。来るべきときに向けて、Honda内部はもちろん、苦手なところ、弱いところは外部とも協力し合いながら、さまざまな価値、驚きを社会に提供できるよう、これからも研究を進めていきます。

今思い描いているものの一つが、ロボットによって、リモートワークの可能性を広げることです。リモートワークは働き手からのニーズが高い一方、製造業などの現場で稼働が必要な仕事では難しいのが現状ですよね?でも、それが、人材の流出につながってしまっている現状を何とかしたいのです。ロボットによって、人が現場にいなくても遠隔操作で働くことができる、そんな社会へと変えられないか模索中です。

Hondaアバターロボットで実現を目指す世界観

さらに、モビリティカンパニーとして、自動車に提供する技術の研究開発も進めています。生成AIなど最新のテクノロジーへアクセスして開発できる立場を生かし、この領域でも積極的に取り組んでいきます。

私たちがどのように社会と人々の行動を変えていくか、きっと驚きを持って見ていただけるはず。ぜひ期待していてください!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!HGRXでは、公式Xでも発信をしています。