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植物になることで|菜食主義者|読書感想
ヨンへの夫は、父は、ヨンへを人としてみていなかった。夫は仕事の道具として、自分が主導権を握っている家族という組織のいちコマとして、”家内”というコマとして、ヨンへを扱っていた。父は幼少期から、心だけでなく肉体ごと、暴力で押さえつけてきた。家父長制を通じて女性を人としてみなくなった夫が、父が、心の自由や意思を認めなかった社会が、ヨンへを菜食主義者へと導いたのだと思った。
ヨンへが見るようになった夢。暗い森のなかで無数の傷を負う自分。血だまりに映る顔。誰かが誰かを殺す。取手のないドアの後ろに閉じ込められた感じ。自分のおなかのなかから這い上がってきたような目……。
「だから……もうわかったわ。それはわたしのおなかの中の顔だって。おなかの中から込み上げてきた顔だってことを」
ヨンへは、肉を、動物に関するあらゆるものを食べなくなる。最後には食欲そのものを拒んだ。獣としての欲を満たし、獣として生きることは、自分の存在(実存)を認められず、家父長制の家族のなかに、そして社会のなかに、押し込められることを意味するからだと思った。植物になることで、植物としての生き方を選ぶことで、彼女はようやく「自分として」生きることができる。父への、夫への、家父長制が腰を据える家族という組織への、社会への、最大限の抗い。しかしその選択は、人間としての死を意味してしまう。自分として生きようとすれば、人間として死ぬことに直結する世界。どこまでも酷だった。
ヨンへの姉が人間にとどまった理由は? 植物になるのではなく、自分を殺して人間として生きる道を選んだのは?……子の存在があったからだろう。あくまで子の存在があったから「ふみとどまった」だけであり、彼女自身もとっくに死んでいる(殺されている)のだった。