法隆寺から出られない
東京→奈良の夜行バスに揺られながら、この間にどれくらいの寺院を通り過ぎているのだろうとやきもきし、バイクの免許をとろうと決めた。数年前の秋口、まだ大学生の頃だった。
***
大学の講義で、概要ではあるが、仏教について教わった。古くからある「空」の考え方が、自分にとっては新鮮だった。目の覚めるようなおもしろさ。それに、日本文学とも密接に関わっていると知り、俄然興味がわいて、気付けば東京国立博物館に足を運んでいた。
そのとき開かれていたのは運慶の特別展だった。私はそこで一目惚れをする。大日如来坐像。運慶の最初期の作とされるその姿は、圧倒的な存在感をはなっていた。生きていた。体躯が、表情が、背後に浮かびあがる影が、すべてが存在を強固なものにしていた。
それから、東洋館の常設展をまわり、ガンダーラや中国の仏像も目にした。仏師によって、時代によって、国によって、表情や目鼻立ち、彫りの細やかさが異なっている。個々に色がある。背景がある。文化の文脈のなか生まれた証。
ほんとうに、すごい世界だ。底が、限りが見えない。
***
今行かねば、そう思い立ち夜行バスを予約したのは、出発当日の午前0時過ぎ。日中はバイトをし、その足で新宿駅に直行、バスに乗り込んだ。
朝あけの奈良は静かだった。降り立ったのはJR奈良駅だったが、時間があったので近鉄奈良駅まで向かおうと思い、とりあえず街中を進んだ。ただ歩いているだけでも「寺」という文字が目に入ってきて、生活に馴染んでいる深度が違うと思った。住宅があり、駅があり、山が見え、寺院がある。特別な場所ではなく、等しく存在している。
近鉄奈良駅に着いて、まず出会ったのは行基菩薩像。山なりの噴水、その頂点に、行基さんが少し気難しそうな表情を浮かべながら、威厳ある姿ですっくと立っていた。なじみのない私からすれば「噴水と行基さん」は結びつくことのない異質な組み合わせだが、地元の人は「行基さん前、13時集合ね」などと当たり前に話すのだろうか。日常会話でその名が出てくるシーンを想像するだけでも、なんとなく愉しくなる。
駅前のバス停で時刻表を確認したあと、一旦マックへ向かった。東京でもあまり食べない朝マックを、はじめての奈良で食した。マフィンとハッシュポテトとカフェラテ。ひとつひとつは美味しかったが、謎メンツに胃も驚くばかり。その後は目的の寺院についてホームページで予習をし、時間をつぶした。外へ出ると、人通りが増えていた。
9時過ぎ、忍辱山へと向かうため、バスに乗り込んだ。容赦なく山へ山へと入っていく。窓の外は、地元の景色と似ていた。懐かしさを覚える。覚えながら、初めて訪れた土地なのに、見慣れた景色を重ね合わせ、ただ郷愁に浸るしかない自分が乏しくもあった。
忍辱山に着き、料金を払う列に並んでいると、前にいたおばあちゃんがこちらを振り返りながら「あら若いのに……」と呟いた。咄嗟に、すみません、と謝ってしまった。
①円成寺
いちばんの目的は、ここ円成寺だった。仏像に興味をもったきっかけの、あの姿を、今度は博物館ではなく、寺院で拝観したい。ほとんど衝動であった。
はじめは、ご本尊の阿弥陀如来坐像が安置されている本堂へと入る。木造の香りにひと息ついたのも束の間、目の前の光景にはっとした。須弥壇の上、阿弥陀如来坐像がこちらを見つめている。うすぐらく、多少の距離があるため、はっきりと視線までは分からないはずの空間で、私は確かに、目が合った。思わずいちど顔を伏せて、それから改めて中央にそびえるご本尊を仰いだ。静かな気迫に圧倒される。奈良の地を、忍辱山を、そこに訪れる人々を、ずっと見守り続けているのだ。威厳が違う。重厚な風格があった。
本堂を出てから、境内をぐるりと散策。秋口だったこともあり、緑色のなかに暖色の葉が点在していた。
それから、大日如来坐像が安置されている相應殿へ向かう。もとは多宝塔に安置されていたが、新設の相應殿に移られたとのこと。本堂とは少し離れた場所に位置していた。歩きながら、脳内で記憶をたどってみる。どれくらいの背丈だったか、どんな表情をしていたか。実際の姿を見たのは一度しかなかった。しかし写真では、何度も、繰り返し目にしていたので、はっきりと思い浮かべることができた。
受付の横を通り過ぎ、相應殿へと足を踏み入れる。入り口が非常にきれいで、モダンな様式に意表を突かれつつ、ようやく拝観できることに胸が高鳴る。
進む。奥に見える窓からは、陽光が差していた。木の葉がてらてらと揺れている。まだ、姿は見えない。
室内に入った。右を向く。写真で何度も何度も見て、脳裏に焼き付けていた姿と、答え合わせをする。
比にならなかった。明確に、生きていた。血が通っていた。目が合うと、動けなくなった。
平日だったこともあって、ほかに拝観している人はおらず、私と大日如来坐像と、たったふたりの静かな空間だった。大きすぎる存在に包まれる心地よさと緊張とがないまぜになって、その矛盾のなかに在ると、次第に何かが昇華されていく気がした。
しばらく、正面で正座をしていた。たまに意識を戻して、そばに置いてあった資料を眺めては閉じ、また向き合って、資料を眺めては閉じ、また向き合ってを繰り返し、気付くと1時間が過ぎていた。
②法隆寺
円成寺を後にし、バスに乗ってJR奈良駅へと向かった。電車に乗り換え、法隆寺駅へ。まだ大日如来坐像に心寄せながら、電車に揺られた。
駅名にもなっている通り、あちこちに法隆寺に関するシルエットや文字列を目にした。途中、空腹に耐えられなくなり、ラーメン屋さんへ入った。
満腹になり、再び法隆寺へと足を進める。法隆寺駅と名がついていたが、駅から法隆寺まではそれなりに距離があった。
松の木がずらりと並んだ道を歩く。ときおり立ち止まっては松を眺めた。静かに、けれど力強く、四方向に枝がほとばしっていた。
松並木を進んでいると、遠くからぼォんンと鐘の音が聞こえた。ラーメン食へば鐘が鳴るなり法隆寺。さらに歩いていくと、南大門に辿り着いた。大きさに圧倒されながらくぐり、また進んでいくと中門が現れる。奥には五重塔が突き抜けて見えていた。拝観者入り口から中へ入っていく。間近で、塔の全貌を仰いだ。どっしりと安定感がありながら、無駄がなく洗練されている。完璧な佇まいだった。
その後は、あまりに広すぎる境内を、ぐるぐるぐるぐると散歩した。もうどこを歩き、どこを通ったのかよく分からなくなったが、「分からないまま歩く」ことが楽しく、そんな「分からないまま」を楽しいと感じられる自分の精神状態さえも嬉しかった。時間を決めず、自分に制約を与えず。複数の好ましい条件がぴたりと一致した、閃光のような至福。
法隆寺にて目的としていた仏像は、大宝蔵院のなかに在った。和辻哲郎の『古寺巡礼』で知り、気になっていた百済観音。画像でしか目にしたことがなかったので、背丈まではあまりイメージしていなかった。やさしそうで麗しく、不気味な表情が、ただただ印象に残っていた。
大宝蔵院の中を進み、中心部に位置する百済観音堂に足を踏み入れる。そこには、ス……と立ち尽くす存在がいた。見上げるほどの大きさ。しかし、背丈ではなく「存在感」に対して明確な恐れを覚えた。異様。別世界に迷い込んだ錯覚に陥る。ここでは百済観音を中心に時間が流れている。
なめらかで、流れるように伸びている指先。存在感の強さとは裏腹に、重量を感じさせないほど軽やかでふわりとした立姿。わからない。その造形が、存在が、どれも初めての感覚で呆然と見つめてしまった。無意識に自分の記憶の中から似ているものと結びつけて「〜らしい」と感想をもつことは多くあるが、何とも結びつかない。百済観音は、百済観音として在った。
大宝蔵院を出てからも境内をまわりながら、時折ベンチに腰掛け、ぼうとし、またぐるぐるとまわった。ぼんやり百済観音を思いながら、まわった。体が疲れてきたので、そろそろ宿泊先に向かおうと思い、法隆寺駅を目指して歩き始める。歩きつつも百済観音の姿を何度もなぞってしまう。時折、外に意識を戻す。もはや、百済観音のことを考えている合間に歩く、そんな感覚だった。
そして、しばらくしてから、あれ、と思う。
出口が分からない。
境内が広すぎるのもあるが、それらしい道が四方にあって、どう進めば境内から出られるのか、駅に向かえるのか、全然分からない。境内迷子。さらにぐるぐるまわって、それっぽい方向に歩を進めてみたが、どうも「ここもまだ境内では?」と思えるような景色が続いて、途方に暮れた。今ならマップに頼るか、近くの人に訊けばいいのに、と普通に思うのだが、冷静さに欠けていた。阿呆だった。
とにかく進めば、境内からは出られるだろうと安易に考えながら、歩き続けた。
気付くと私は法隆寺駅にいた。
③東大寺
格安のゲストハウスに泊まり、翌朝、近鉄奈良駅から歩いて東大寺へ向かった。県内の主要な駅から、徒歩圏内に古刹があるって、すごい環境だなあと感慨に浸っていると、そこら中にシカ氏がいるわいるわ、いることは知っていたけど、こんなにもあたりまえに隣を歩いてくれるなんて……近い……。
あまりにもいるので、すぐにその光景にもなれてしまい、シカ氏を颯爽と通りすぎながら東大寺へ。霧雨が降り始め、なかなかの寒さに凍えつつ到着。
東大寺の別称、大華厳寺の文字。すべてが大きくて見上げるばかり。サイズも歴史もスケールが違って、思わず嘆声をもらしそうになる。
彫りが細やかな八角燈籠。心奪われる。横笛を吹く表情とその立ち姿は優美さが際立っていた。それにしても、燈籠も見上げるほどの高さで驚く。
それから、いよいよ大仏殿に足を踏み入れた。
はじめに左の手のひらが目に入った。それから、お顔。やさしさと厳しさとが調和した表情。光背の化仏。そして、蓮弁にまで絵図が彫られている。尻込みするほどの規模と、気が遠くなるほどの緻密さ。マクロにみてもミクロにみても、圧巻だった。
緊張か興奮か、ずっとどきどきしていた。この大きすぎる存在を、みなが拝観できるよう尽力し築きあげた、当時の人々の熱意に、畏敬の念を覚える。純な信心。一体感。ここまで気迫ある大きな姿を、多勢で生み出すことは、現代では難しいかもしれないと思った。
その後はのんびり東大寺を見てまわり、近くでお昼ご飯(クリームソーダ追加)を食べた。
東大寺を後にし、その日は、奈良国立博物館と興福寺へ足を運んだ。奈良国立博物館はトーハクと異なり、仏像が集結した「なら仏像館」なるものが常設としてあった。もっとも印象的だったのが、何も衣を纏っていない阿弥陀如来立像で、実際は衣服をつけた状態で礼拝されるとのことだが、初めて目にする姿だったので驚いた。
そして興福寺にも寄った。中金堂は拝観できなかったが、よく写真で目にしていた少年顔の阿修羅像を近くで見ることができた。次は、中金堂が拝観できるタイミングで訪れたい。
帰りは新幹線で、柿の葉寿司を食べ、奈良のひとり旅を終えた。あまりに弾丸ではあったが、弾丸だったからこその計画の粗さにより、羽を伸ばすことができた。ひとり旅の醍醐味はここにあるのだなあと思った。
東京についてから、ふと気になり、法隆寺の境内図を見直した。しかし、自分が一体どこから出たのか、さっぱりだった。法隆寺から出たという実感を得られないまま、帰宅。実はまだ出られておらず「ここも法隆寺ですよ」と言われたら、信じそうだ。おかげさまで脳裏には、百済観音の微笑むお顔が、くっきりと焼きついたままである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?