尾崎5thアルバム『誕生』レビュー【前編】
尾崎豊5作品目となるアルバム『誕生』は、前作から2年振り、ソニー復帰後初のアルバムである。DISC IとDISC IIの2枚組となっており、全20曲の超大作だ。
当時も相当話題になったようで、オリコンチャートでは週間1位を獲得している。もっとも、話題先行的であり、社会反抗的な歌詞も控えめだから、曲それぞれについて語られることは少ない。それでも、元EXILEの清木場俊介が『LONELY ROSE』をライブでカバーしているなど、尾崎ファンが聞いても、曲単位で聞いても良い曲が集まっている。
DISC I
1. LOVE WAY ★★★☆
前作『街路樹』同様、問題児は一曲目に配置しておけの姿勢。先行シングルとしてリリースされたが、そのB面も『COLD JAIL NIGHT』ととても一般受けする曲ではなく、それでよくこのアルバムでオリコン1位が取れたと思うくらいだ。エレキギターのイントロとノリは一曲目に相応しい。
正直、私も歌詞のすべてを理解していない。それゆえ、文字通りの意味として解釈しているが、歌詞と歌詞の繋がりはあまり見えてこない。
吉本隆明の『共同幻想論』という本があるらしい。その本を私は読んでいないから、どの程度影響を受けたものかはわかりかねるが、それでもこの歌詞の意味は解釈できる。つまり、この世で「正しい」とされていることは、人それぞれが共通認識としてもつことによって規範化されているに過ぎず、たとえその規範を守ることが社会にとって合理的であるとしても、個人にとって正しいとは限らない。だから、「言葉も感じるままにやがて意味を変える」のだ。
人間は生きるために、自分や他人に嘘を付く。それを愛しいと歌う。愛なんてものも、結局社会によって決定された概念に過ぎないもの。それなのに、私たちは愛を歌ってしまうのだ。
2. KISS ★★★☆
さて、難解な一曲目を終えて、二曲目は時代を反映した社会風刺。カラオケで歌うと意外と高く難しい。
「まともになりたいのにまともにじゃないことに縛られる」。尾崎は「まともになりたい」らしい。この世はまともな設計ではないけれど。
3. 黄昏ゆく街で ★★★★☆
クラシックギターが黄昏を醸し出す。尾崎豊が友人の結婚式で歌った曲の一つだが、なぜこんな哀愁漂う曲を歌ったのだろうか。
語らうことがなくなったのか、傷付いてしまったがゆえか、寂れた噴水に二人で腰かけているのに、見るのは君ではなく無名路上ミュージシャンの音楽。物理的距離は近くとも、心の距離は随分遠くにある。
いつものように同じベッドで就寝する。しかし居心地は良くないのだろう。形式的に髪を撫でてキスしても、気持ちが伴っていないことは彼女にはわかっている。離れることが悲しいから、あるいは諦めたくないからという惰性でカタチだけの愛を育む。「これでいいの」と問われると、見つめ合って茶を濁すことしかできない。
1番の歌詞で、二人の愛は雨風のように楽なものではなかったと語っている。だからこそ、愛が乾いた風のようになった今でも、恵みの雨さえ降ってくれればやり直せると、惰性の愛を続けているのかもしれない。しかし、それにしても結婚式で歌う曲ではないな(再確認)。
4. ロザーナ ★★★★☆
尾崎の女性人名タイトルといえば「シェリー」が有名だが、ロザーナもまた名曲である。尾崎の不倫スキャンダルもあり不倫の曲という先入観を持っている人も多いと思うが、一度ニュートラルに聞いてもらいたい。
嘘で取り繕った「優しさ」は本物ではないとしても、ときに必要とされることがある。それは涙を伴うけれど。
不倫の曲として解釈すれば、罪とは「不倫」となる。しかし私はそう解釈していない。そもそも、尾崎豊は原罪思想を持っている。生まれながらにもった罪、その償いが歌うことなのか何をすることなのかは人によって異なるが、その罪を償還することが人生の意味なのである。もちろん、不倫の曲や単純に成就せぬ愛の曲として聞いても名曲だけどね。
5. RED SHOES STORY ★★★
事務所とのイザコザを歌った曲。普通に良い曲なのだけれど、解釈の余地はあまりないから語ることがない。人に裏切られたときとかは良く聞いていたかな。
6. 銃声の証明 ★★★★★
テロリスト(2世)が主人公の曲。
親の愛も知らずにというのは、親がいないか、あるいは親が子供に無関心かというところだが、そこはどちらでもよい。愛に飢え心は渇き、そうとなれば悪いグループに染まるのも仕方ないことである。
そんな悪に生きてきた主人公は、一面の顔としては売春を斡旋したり、薬を売ったりしている。けれどそれは「仮の姿」で、シノギに過ぎない。
なぜなら、彼の本当の姿はテロリストだからである。麻薬密売や売春斡旋ではなく、人を殺すのが本当の仕事だ。
そうしてヤツ(政治家)をヘッドショットした。しかし、テロリストを生かしておけば足がつくし、捜査機関からも狙われるから、自分の命も安全ではない。
政治家を殺したが、山上容疑者のそれのように政治に恨みがあったわけではない。世間知らずでまともな教育を受けてこなかった主人公は、テロリスト以外の職があることも知らず、またその職につく能力もない。だからこれが生きる術なのだ。
テロリストに育てられというのは、テロリストになるように養成されたという意味でも、テロリストが主人公を教育したという意味でも解釈できる。しかし、どちらにせよ、主人公が言われた通りに生きないのは困難だろう。なぜなら、愛もなく人をテロリストに育てた人間に歯向かえば、自分の命がないことは容易に想像がつくからだ。政治家の頭をぶち抜けるテクニックの持ち主だが、銃を持ったのは十六歳と意外と遅い。いや、テロリストが初めて銃持つ年齢の相場しらんけど。
主人公には「友人」や「恋人」といった概念はなく、味方か、それ以外(=敵)かだ。ときには人を裏切ることもあるし、裏切ったからテロリストの仕事にありつけているわけで、同様にまた他人に裏切られることもある不安定な職業だ。裏切りなしでは生きていけない。
テロリストに育てられた主人公は、権力を潰すことだけを教えられてきた。主人公もまた、テログループという権力のコマにすぎない。親の愛もなしに子供の頃から路頭に彷徨えば、流れ着く先がテロリストだとしても順当である。テロリストになるために生まれてきたと言っても過言ではない。
反体制派の革命だ。市民の一人一人は軽々しく自己責任論を語るが、そうであるならば、この革命という現実も一人一人の責任をもって命を共にしなければならない。
主人公は「テロリスト」という仕事に生まれながらにしてなることが決まっていたようなものである。幼い主人公がテロリストになろうとしていることを止めなかったのは社会であり、主人公は理非の分別はついても、明日の飯を食べるためにはテロリストになるしかなかった。
それにもかかわらず、街の人はテロリストを好き勝手罵倒し、私には無関係だと暮らしている。子供の頃に特別苦労することなく生きて、子供の頃の経験が将来の職に繋がるでもなく自由に生きている。生きることについての罪の意識などは全くない。
そうやって市民はテロリストの存在を「非人道的で狂気的」と評価する。そしてその評価に留まり、テロリストと関わりを持とうとは一切しない。主人公のように、テロリストに生きるしかなかった人間もいるにもかかわらずだ。であるからして、主人公に救いの手を差し伸べなかったのは誰かといえば、彼をイカれたテロリストとして見なかったことにした社会、市民一人一人だ。市民が臭い物には蓋をせよと隅に追いやった結果、主人公はテロリストとして育った。
それゆえ、この歌詞における「おまえ」は、曲を聞いている市民たる我々を名宛人としている。我々が目を背けた結果として彼のようなテロリストが育っているのだから、我々はこの世のテロリストであり、主人公を育てたテロリストなのである。それにもかかわらず、やっぱりヘビーな曲だからといってこの曲をサラッと流してしまう人々がいる。自分自身がテロリストだという罪の意識を持たずして、いや、そんなことを考えたくもないから臭い物(=この曲)に蓋をして、自分こそは善人だと強く信じる人々が。
7. LONELY ROSE ★★★★☆
雨の日に聞きたい曲No.1。好きな曲だけどこういう風に解釈となると難しいので、いつかまた記事書くか加筆します。
8. 置き去りの愛 ★★★☆
演歌チックで歌詞も短い。離れてしまった君との未練を歌う。こういった曲も作れるのが尾崎なのだが、残念ながら次のアルバムで亡くなってしまうので、尾崎豊全曲の中ではわりと浮いた存在だ。歌詞はそのままの意味で捉えることが難しくないので私が語ることもない。
9. COOKIE ★★★★
このアルバムの中で屈指の人気曲ではないだろうか?家庭と社会というミクロとマクロを対比させ風刺する。
生き急いでいる現代人に聞いてほしい。もっとも、尾崎もこのアルバムが生前最後となるのだから、結果的に急ぎ過ぎたわけだが。
10. 永遠の胸 ★★★★★
DISC Iの最終曲。
誰に理解されるではなく、嘘をつかず誠実に生きることが、心汚れなき証である。心が汚れないのであれば、一人の寂しさには意味がある。
人と心をかよわせるとき、ときに戸惑い、自分とは何かがわからなくなる。人間は、他人の目にどう映るかによって、自己を客観視する。けれど、自分が自分を見失っているときは、他人も自分のことを輪郭を鮮明に見えないし、それゆえ自分自身も自分自身を客観視できないという負のスパイラルに陥る。
等身大の嘘偽りない自分はちっぽけなものである。見栄を張るでもなく誠実に生きてしまった結果そうなるのであれば、悲しみの意味を探すことが人生といえるだろう。
そう考えれば、偽りが一概に悪いとは言えない。しかし、いつかの答えを安楽に探し続けるためには、誠実に生き続けるしかない。
さて、これ以降の歌詞はしばらく文字通りが続くから、ラスサビまで中略する。中略した部分の歌詞が好きだったりするのだが。
尾崎が歌う理由だろう。そして、私たちが尾崎を聞く理由もこれだ。人前で熱く尾崎をカラオケする理由もこれだ。限りなく幸せを求めてきた生き様を歌うことで、先人の道として意味になる。
生き様を共有し、等身大の自分をさらけ出す。尾崎にとっての方法は歌である。こうして後世に我々は尾崎を語らうが、我々がこうしているというのが意味の証左だ。だから尾崎を信じる。人を猜疑しても自分さえ信じることができなくなるだけだし、誠実に生きるから意味を見つけることができるから、人の誠実さを信じて受け止める。それが愛だ。
尾崎が生前最後に発売したアルバム。そのDISC Iの最終曲がこれである。死ぬことを知っていたのではないかとすら思える歌詞であり、尾崎ファンには死んだ後も尾崎の曲がここにある。尾崎がいないという現実や、個人的な悩みに打ちのめされたとき、我々が尾崎を再生する理由が詰まっている。私がレビューを書く意味も同様である。
さて、いつもは総括にしているが、誕生は2枚組アルバムということで、後編に続きそちらで総括とする。また来週も尾崎を語らい合おう。