尾崎豊1stアルバム『十七歳の地図』レビュー
表題の通り、尾崎豊のアルバムをレビューする。私は、音楽の専門家でもなければ、尾崎と同じ世代を生きてもいない。それゆえ、むしろ尾崎後期のアルバムに思い入れがあったりする。レビュアーのバックボーンは、殊尾崎を語るにおいては重要である。
私は現在大学3年生の21歳で、小学生の頃にいじめや体罰を受け、中学校は3年間ほぼ丸々不登校であった。高校も通信制に進学し、今は偏差値52.5の「ふつう」の大学に所属している。私のレビューが、不登校や社会の矛盾に苦しむ少年少女の支えとなれば、この上ない幸せである。
さて、前置きが長くなったが、尾崎豊のデビューアルバムとなる『十七歳の地図』のレビューをする。なお、評価点を1から5でつけるが、それは私の人生への寄与度という主観的要素を多分に含むので、おもしろ要素程度に考えていただきたい。
1. 街の風景 ★★★
アルバム一曲目は『街の風景』である。尾崎豊はここから始まったと言っても過言ではない。一曲目にふさわしいどこか明るいメロディーで、しかしどこか秋のような哀愁を漂わす。「街の風」という尾崎らしいワードから、「虚像」「空しさ」という直接的な表現までが、メロディーとの異化効果によって心に染みる。
このフレーズが、この後の尾崎を示唆しているし、尾崎豊ユーザーの生き方を示している。キラーフレーズには欠けるが、良い曲である。
2. はじまりさえ歌えない ★☆
私は尾崎豊の69+2曲をすべてカラオケレベルには歌えるが、この曲を歌いたくなったことはあまりない。それゆえ、あまり深いレビューはできないのだが、「愛の光を灯し続けたい」という彼の気持ちは、死ぬまで変わっていなかったように思う。その意味では、彼は本曲において、終わりすらも歌っていたと言えるのではないだろうか。
3. I LOVE YOU ★★★★☆
言わずとしれた、尾崎豊の最大ヒット曲である。ほどよく抽象的な歌詞が普遍性を持たせ、恋愛をする人々みなに響く歌となっている。現実逃避と言ってしまえばそれまでなのだが、恋というものは多くの人にとって、現実逃避の手段でもあるのだ。
カラオケで歌うときは少し恥ずかしいが、現代にいう「ちんちんバンド」の言うことすらも、上品にカバーしている。いやらしさを感じさせないのは、必然的な悲しさがこの歌には隠れているからである。
4. ハイスクール Rock'n'Roll ★★★☆
尾崎豊はロックである。それが「ハイスクール」という親しみやすい場所をテーマに歌われている。
「腐らずに手を伸ばせば自由はあと少しさ」という言葉が、打たれ強く生きていくべきだという行動指針となる。ライブ映えもし、歌っていて楽しい良曲である。
5. 15の夜 ★★★★★
噂話ではあるが、尾崎がこの曲を作ったのは14歳の頃らしい。私も、13歳の頃に尾崎に出逢い、『15の夜』をリピートした。
少し自分語にはなるが、不登校であった私は「殻」に籠っていた。正確にいえば、社会に求められてきたように生きてきたはずなのに、不登校になってレールから外れてしまった。
そんな中、この歌詞が抑圧された衝動を見事に言い表した。大人たちは、「子どもだから」「反抗期だから」と、子どもの言うことの内容を精査しない。心の一つも解り合えないのは当然であるし、実際私も「一生こいつらとは解り合えねぇわ」と思っていた「大人」と今は少しは解り合えている。なぜなら、僕はもう21歳になってしまって、「一人の大人」として社会が接してくれるからである。自分勝手な「大人」の仲間入りとは、なんて不名誉なことだろう。
大人たちは、この曲を「「盗んだバイク」など、犯罪を助長している!」と批判し、この曲の本質から目を背ける。彼は、そのような大人に嫌気が差して、盗んだバイクで走り出したというのに。自由に「なれた気がした」というのは、人間が社会的動物であるのにも関わらず、社会的交流に直面していないから、本来的に自由ではないという意味と解釈する。「自由」は、次作となる『回帰線』においてもテーマとなるから、ここでのレビューはこれに留める。
6. 十七歳の地図 ★★☆
アルバム表題曲である。おそらく、この曲が一番好きだという人も多いだろうが、私には残念ながらあまり刺さらなかった。
「十七歳の地図」という名の通り、十七歳になったらこの曲が行動指針となるかと考えていたが、風情描写が多くあまりメッセージ性は強くない。
しかし、「隅から隅這いつくばり強く生きなきゃと思うんだ」という歌詞は、聞いた人多くを魅了したのではないだろうか。
7. 愛の消えた街 ★★★
どこかで、この曲が同性愛者をテーマにしているという意見を目にしたことがある。私が初めて聞いたときはそのようなことは考えにも及ばなかったから、もしテーマがそうであるとしても、それを意識することなく耐えれる曲である。
尾崎は真実の「愛」を探し続けていたはずである。それがここでは、「愛とは何か誰にもわからない」と歌っている。
ところで、
という歌詞は、「誰にもわからないはずの愛」を、若さゆえにあたりまえと言えないとしている。だから、やはり彼はこの時点でも、愛を探し続けて悩んでいたのだ。他人に目をやる余裕すらない社会と自分を横目にして。
8. OH MY LITTLE GIRL ★★★★★
こちらもまた、尾崎豊のラブソングとして名が高い。I LOVE YOUよりかは具体的な「君」を対象としているが、普遍性のあるストーリーが聞く人を共感させる。
個人的には、
の部分が、風を言い訳にした愛をイメージできて好きである。
尾崎ファンはみな、この曲を「オーマイリルグール」と読んでしまう。それだけ愛された曲だ。
9. 傷つけた人々へ ★★★★
尾崎ファンの間で人気のある隠れた名曲。キラーフレーズこそないが、落ち着いた曲調が心を安らげる。
きっと誰しもが人を傷つけたことがあるはずである。もっとも、傷つけるべき場面も存在する。しかし、傷つけた人々への懺悔というのはみなするはずである。
私も、いじめや体罰で「被害者」側になったと思えば、それをいいわけにするわけではないが、居場所のなさから(いじめや体罰ではないが)「加害者」側として、人を傷つけたことがある。そしてそれは、多くの読者も同じだろう。刹那に追われている現代人にこそ聞いてほしい名曲である。
10. 僕が僕であるために ★★★★★
文句なしの★5である。正直、どこの歌詞を引用すべきかすら見当がつかない。それくらい、すべての歌詞が響いてくる。
海外に行ってすべてを捨てることなどはできないし、もし海外に行ったとしても、その土地のルールに縛られる。結局、人間は生を受けた時点で社会的に制約を受けるさだめにある。「この街」というのは、そういった「社会」という概念の言い換えである。
そういって「社会」に溶け込む中、前曲で口にしたように人を傷つけることもある。それゆえ、私たちは傷つけることを恐れ、「優しさ」を口にする。しかし、そのような「優しさ」はかりそめのものに過ぎない。本質から目を背けた結果として「優しさ」があることに気づき、人は「優しさ」によって傷ついてしまう。
だから、「僕」は勝ち続けなければならない。「正しいもの」が、本質なのか、本質を探し続けることなのか、かりそめの「優しさ」なのか。それがわかるまで、とりあえずは探し続けなければならない。勝ち続けるというのは、着地点がわからない「正しいもの」を探す旅を続けるということである。
2番では、歌詞が「恋人」にシフトする。これから彼らはサヨナラをする。「こんなに愛していた」と過去形になっているが、「確かめておきたい」と言っているあたり、まだその未練は断ち切れていない。
2番のBメロはこれである。少し言い換えをしているだけで、内容は1番とそう変わりない。「優しさ」という「馴れ合い」が、「人」たる「君」を傷つけてしまうのだ。
ところで、2番のAメロでは「もう一度確かめておきたい」と言っている。これを馴れ合いと言わずして何という。「馴れ合い」には一定の妥当性があるからこそ、私たちは馴れ合いをしてしまう。しかし、そこに未来の成長はない。
「好きだよ」「私も」と言っているだけでは、時間が徒過するだけである。そのままでいては、彼らは無精髭が生えたり、月経が止まったりしてもなお「馴れ合い」を続けているだけであろう。2024年も、そのように暮らしている人はたくさんいるし、そのまま結婚して家庭を築いている人もたくさんいる。それはそれで一概に間違いであるとは言えないが、少なくとも尾崎とこの曲が好きな私たちは、そのような「馴れ合い」を真実としてしまうのは、いささかロマンを欠く気がする。
そのように「勝ち続けよう」という彼の考えは一面で正しいが、彼女にとって容易に受け入れられるとは考え難い。むしろ、彼女にとっては彼の「わがまま」ゆえに、別れ際になっているとすらも考えられる。
であるからして、彼のわがままである「勝ち続ける」という信念は、正しくないかもしれない。それゆえ、正しいものが何かわかるまでという解除条件をつけているのである。「君」に「勝ち続けなきゃならない」と押し付けるのは、彼のわがままである。
サビの最後はこの言葉で〆括られる。私たちは、「社会」という街に飲み込まれることを避けられない。そして、真実を求め続けていない「馴れ合い」の日々を送っている人たちの存在すらも容認し、「街」に心を許す。歌い続けるのは、正しさを探し続けるため他ならない。
尾崎が晩年、この曲を楽しそうに歌っているのは、彼が街に心を許しすぎたのであろう。心を許しすぎることが良いことなのか悪いことなのかは別にして、彼は自己矛盾に苦しみながら曲を書くことになる。それはそれで、音楽家の苦悩なのであるが、残念ながらその苦悩は共感され難い。それゆえ、「尾崎は前期」と言われてしまうのだ。
総括
アルバム『十七歳の地図』のレビューと題しておきながら、かなりの文量を僕々に割いてしまった。後期作や誰クラのように観念的な言葉が並んでいるわけではないから、その分歌詞が伝わりやすく、尾崎豊をまず聴くなら『十七歳の地図』で間違いない。一作目に相応しいし、初心者キラーのアルバムである。
レビューを書いていて、なんだか情けない気持ちになると同時に、生きることへの活力をもらえた。彼は約30年前、26歳の若さで死んでしまった。彼に救いを求めるが、新しい言葉は生まれてこない。せいぜい、レコード会社が出し渋っているライブ音源が出てくるくらいである。しかし、このようにレビューや考察を書くことで、何かしら新しく人を救うことができたかもしれない。そんなこんなで今日もまた、軋むベッドの上で「優しさ」を持ち寄るのだけれど。
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