見出し画像

尾崎豊6thアルバム『放熱への証』レビュー

 尾崎豊の最終正式アルバム。尾崎豊が亡くなったのが4月25日。本アルバムがリリースされたのが5月10日だから正確には死後のアルバムだが、生前には既に完成したため、死亡特需で無理矢理生産されたわけではない。 
 「死んだ尾崎のアルバム」ゆえ、2週連続でオリコン1位を獲得するが、色眼鏡付きで語られるのは言うまでもない。というか、このアルバムは「死んだ人」のアルバムなので、語られるのも憚られる。誰も語らない。
 後期尾崎のアルバムはこんなのばっかりだ。『街路樹』は「逮捕後初のアルバム」。『誕生』は「事務所と喧嘩別れしてソニーに復帰したアルバム」。そして『放熱への証』は「死んだ尾崎のアルバム」。こんなふうに肩書が先行して語られ、その内実については語られない。マジョリティの人間は、物事を俯瞰して見ることができない視野狭窄の堕落した人間なのである。


1. 汚れた絆 ★★★☆

 アルバム発売と同時にシングル『汚れた絆』として発売(B面は「優しい陽射し」)。不倫が発覚した時期ということもあり、これまた「不倫の曲」として色眼鏡を通して見られる。しかし一度歌詞にもっと目を通して頂きたい。普遍的な腐れ縁を語った曲で、これを不倫と解するかは自由として、そうでないと解しても何ら矛盾はない。ちなみに英題は「BOND」。

俺たちは街の流れに すれ違う人混みの中で
まるで運命に選ばれるように出会った
時が幾ら流れても 信じて見つめるものは
いつでも同じだと誓い合うように語り明かした

尾崎豊『汚れた絆』より

 Hey彼女と声をかけ、出会った日は運命を感じる。そしてあくるベッドの中、共同幻想を語る。しかし、「街路樹」では、「別々の答えが同じに見えただけ」と歌っていた。この曲でも、2番以降では二人の共同幻想には翳りが見える。

俺たちは気付かぬふりをした 別々の人生の意味が
いつか二人を引き裂いてしまうことを
嘘だけは決して付かないと 約束したときから
裏切りはやがて訪れた

ふと気付けば 互いは互いを演じ
見つめ合うことすらできぬ Oh

尾崎豊『汚れた絆』より

 「別々の答え」から目を背けた。だから二人は共同幻想を信じることができた。「嘘はつかないでおこう」と言えば、目を背けた自分と矛盾する。しかし、嘘をつかなければ、彼らは相手が求めるものを提供できない。馴れ合いの優しさだ。

なぁ覚えてるかい 俺たちの笑顔
今日またその意味が静かに流れてく
失うことばかりが やけに多すぎると
心庇う奴らにすがるように泣くのか

誰もがみな 一人じゃいられず
二人で分け合うことすらできない oh

尾崎豊『汚れた絆』より

 彼は「なぁ覚えてるかい」と語りかける。別々の答から目を背けている馴れ合いだから、それに気付いてしまえば、その悲しい現実に涙を流す。彼らの「分け合い」は馴れ合いに違いないが、彼らは彼ら自信を「運命」と思考ロックしていたいので、「誰もがみな」と言い聞かせる。
 別れるべきなのに別れることができない相手がいるときはこの曲を聞くべきに違いない。

2. 自由への扉 ★★★☆

 イントロなしのポップソング。メロディの明るさだけなら『壊れた扉から』の2曲目「失くした1/2」と同じだ。

裏切られても信じることから
奪われても与えることから
寂しくても分け合うことから
悲しくても微笑むことから

君なしじゃ僕のままでいられやしない
誰もがみな自由に生きてゆくこと
許し合えればいいのさ

今夜素敵な夢描いて 自由への扉を開いてみるのさ
きっとそこに信じていた 全ての姿があるはずさ

尾崎豊『自由への扉』より

 裏切られても信じることからとポジティブシンキングを貫く。このポジティブ連呼は、むしろシェリーのネガティブ連呼のような狂気さえ覚える。しかし私のような若年層尾崎ファンにはこれらは行動指針となる。
 人が自由に生きることを許容できない人間を見たことはないだろうか。他人に害を与えるわけでもないのに、自分が自由に生きることができていない劣等感で嫉妬し、人を追い詰める。許し合えばいいのに。
 だから「自由への扉を開け」という。しかし、全ての姿がある「はず」と言い切れないのは、少し病みとそれゆえの狂気を感じるよね。

3. Get it down ★★

 ロックスターとしての尾崎を歌った曲。歌詞に難しいところはなく、楽しい曲として享受できる。しかし、どこか虚像のような悲しさを感じるのは私だけだろうか。

4. 優しい陽射し ★★★★★

 「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう。」尾崎豊はこのアルバムに想いを乗せた。

何も悲しまないと 暮らしを彩れば
きっといつか答えは 育むものだと気付く

尾崎豊『優しい陽射し』より

 答えを探し続ける旅をしていた尾崎。そして尾崎ファン。そこで答えは「育むもの」と結論づける。答えを探し続けることを諦めたわけではなく、君とともに答えをつくることを答えとした。尾崎全曲の中でもトップクラスに好きな曲。

5. 贖罪 ★★★

 今でさえ湊かなえの『贖罪』が知られているが、当時はみんな読めたのだろうか?大人なメロディが暗い言葉を紡ぐ。個人的に好きだが、放熱への証の中では地味な印象が拭えない。

6. ふたつの心 ★★★☆

 そんな曲の次には、比喩の少ないラブソングが似合う。

ふたつの心 ふたつの生き方を重ね合うから
君は時々涙を 僕はため息を零すけど

尾崎豊『ふたつの心』より

 誠実に心を重ね合えばそれゆえの苦労があるものだ。実直にそれを表現した見事な表現である。

7. 原色の孤独 ★★★★

 巷ではこの曲がこのアルバムで一番難解と言われている。個人的には人生はギャンブルであるということを言いたいのだと考えている。

約束とは常識を 隠すためのメッセージ
破られた常識にボロを出す 人間の弱さ
恍惚と罪を犯す それが全てなんだぜ
本当のことを 俺がほら言っているんだぜ
孤独さ ありきたりの矛盾に身を任せなよ
そいつを 卑しむことなどないんだぜ

尾崎豊『原色の孤独』より

サイコロは振られたぜ
命まるごと賭けろよ
生きている奴らはみな
イカサマな賭博師さ

尾崎豊『原色の孤独』

 ラスサビの一回しだけでお釣りが来る歌詞。あたりまえのことながら、まず、我々に明日があるかはわからない。今隣で寝ている恋人も、朝目が覚めると心臓が止まっているかもしれない。加えて、人生が良いものか悪いものかもわからない。
 それでも賽は投げられた。賽は自分で振り直すこともあれば、勝手に振られることもある。6面ダイスであれば、1から6のいずれかの選択肢に辿り着くだけであるが、何個ダイスを振り、何回振る/振らないかという選択肢があれば組み合わせは無限となる。
 生きることが有意義なものであるとする理由や、死ぬことに意味がないとする理由は何だろう。もし、生きる理由が死にたくないからという消極的な理由ならば、その人は知らぬ間に生きることに賭けている。自殺に救済を求める人間もまた、死ぬことに賭博したギャンブラーだ。
 もし出目をコントロールできるなら、イカサマな賭博師として名を馳せることができるかもしれない。たしかに、計画された偶発性理論の考え方からいえば、賽の出目をある程度コントロールすることは可能であろう。もしくは、人生もマーチンゲール法のように、金銭の余裕と試行回数の余裕があれば、必ず成功するかもしれない。
 しかし、勝つ保証はどこにもない。歌で真実を語る彼は賭博師として成功はしているが、薄っぺらい賭博師に収まってはならない。生きるというギャンブルをしていることをあたりまえにしているのは、死人に口なしという常識論に過ぎないのである。

8. 太陽の瞳 ★★★★★

 英題は『Last Christmas』。どこにクリスマス要素があるのかは甚だ疑問だが、尾崎豊ファンであればクリスマスの時期になるとこれを想起してしまうのは致し方ない。

何も失わぬようにと
だからこんなに疲れている
僕はたった一人だ
僕は誰も知らない
誰も知らない僕がいる

尾崎豊『太陽の瞳』より

 たとえ自分が疲れたとしても、誰かを傷つけたり、誰かに嫌われたりしないために自分を繕う。それゆえ、「僕が認識する僕」と「他人が認識する僕」が乖離する。前者の僕は誰かを知る(=理解する)ことはできない。なぜなら、「僕が認識する僕」は、(自分自身以外)誰も知らない、空想上の僕だからだ。

こんな仕事は早く終わらせてしまいたい
まるで僕を殺すために働くようだ
それでなければ自由を求める
籠の中に閉じ込められてる

尾崎豊『太陽の瞳』より

 こんな仕事というのは、今まさにしているアルバム制作だろう。尾崎豊に求められているのは「若者の代弁者」である。それに応じるためには、代弁者として自分の言葉ではない言葉を話さなければならない。そして、メディアは代弁者として語った言葉フィーチャーし、勝手に批判されたり、勝手に期待されたりする。
 「自由を求める籠」というのは、尾崎豊自身が自由を歌ってきたゆえに、「自由を求めることを求められている状況」に陥ってしまったことを表現している。彼は自由がとても素晴らしいんだと歌ってきたはずが、皮肉にも、自分の歌によって自分の歌の幅を狭めてしまった。今作はセルフプロデュース第1作ということもあり、特に成功が求められる。それゆえ、「自由」を歌わなければならない。歌わなければならないからといって歌われる「自由」は自由なものではない。そういった矛盾を味わったままレコーディングを迎えることとなる。

夢も現実も消えてしまえばいい
僕はたった一人だ
見知らぬ人々が
僕の知らない僕を見てる

尾崎豊『太陽の瞳』より

 メディアやファンに期待されている「尾崎豊」は、尾崎豊そのものを映し出したものではない。彼の人気のない曲だって、味わい深いものがあるのに、みんなこぞって『I LOVE YOU』だ『卒業』だ。
 勝手に尾崎豊のレビューを書いて、勝手に尾崎豊に救いを求めるファンもいる。正鵠を失当した考察をして、僕の知らない歌詞解釈を書く人もいるだろう。そうやって勝手に盛り上がって、尾崎豊の知らないところで「尾崎豊」が形成される。
 私は世間知らずのバカなので、後先を考えずに尾崎豊レビューを書く。等身大に生きる方が楽だしそれが誠心だと思っているから。

9. Monday Morning ★★★★☆

 ということで難解な曲とダーティーな曲が続いたから、ポップな本曲が助かる。個人的には受験期によく聞いた。

Jungle City 踏み外したら
ポップコーンのように弾けてしまう
砂漠の中のエリートコース
騙されるようにあてがわれる

尾崎豊『Monday Morning』より

 人生というものは、一度踏み外すと大変なものである。もしそれがエリートだとすればなおさら、オアシスのない厳しい戦いを強いられる。

このまま生き延びることだけのHappy Ending
だけどこの戦いは いつまでも追いかけてくる
逃げ場所はない

Rambling Tambling 戦友は
勝利の名に引き裂かれ
Rambling Tambling 笑顔だけ
歪んだ今日の真実

尾崎豊『Monday Morning』より

 水のない場所を歩き続けなければハッピーエンドはない。なぜなら、エリートコースを外れた時点でハッピーエンドとはなり得ないからだ。しかし、大学受験をしても就職競争が襲いかかるし、良い企業に就職しても出世競争は続く。
 一緒にエリートコースを歩んできたはずの戦友も、私が出世したら引き裂かれる。あるいは戦友の出世のために、私を捨てて行く。受験戦争もそうであるし、きっと大学卒業後もそうなのだろう。あまり語られることのない曲だが、とても好きな曲の一つだ。

10. 闇の告白 ★★★☆

この世に生を受けたときから
人は誰もが
罪を背負い いつしかやがて
銃の引き金を弾く

尾崎豊『闇の告白』より

 尾崎豊の原罪思想だ。生まれたときから親の期待(ネグレクトの場合は生まれてきたことへの罪)を背負い生きていく。そして社会で暮らし続ける中で、自分が犯した罪を償い、贖罪とすることを求められる。抑えきれない衝動は、人差し指を動かすことに繋がるのだ。

11. Mama, say good-bye

 尾崎が亡くなった自分の母親に向けて書いた曲。この曲が尾崎の最期の曲となるとは思いもしていなかったであろう。レクイエムを評価するというのは野暮なので、この曲には星はつけないでおきたい。

総括

 6作品、7回に渡るレビューも今回で終わりである。最後まで読んでいただいた読者には感謝したい。
 今回レビューを書くにあたって、再び曲を聞き直すと新たな発見があって楽しかった。ぜひ、みなさまもレビューを書いてみてほしい。きっと新たな発見があるはずだ。
 また時間をあけて、書きたいことがあれば随時加筆修正を加えるつもりだ(答えは育むものなので)。次はまったく異なるジャンルの記事も書こうと思っているから、尾崎豊レビュー以外も読んでくださる方は引き続きフォローして頂けると嬉しい。また来週も楽しみに。それでは。

いいなと思ったら応援しよう!