天外塾インナーチャイルドのワーク
2023年の7〜9月は、天外塾のインナーチャイルドのワークに通いました。昨日が最終講だったので、気づいたことや感じたこと、そこで得たものと手放したものについて、備忘録代わりに書いていきます。
天外塾のインナーチャイルドワークとは
天外塾は「行動(doing)のマネジメントから存在(being)のマネジメントへ」という言葉を掲げ、個人と組織の自己変容を促す経営塾です。
私は昨年度後半に天外塾に通っていたのですが、当時よく出てきていたのが「〜しなきゃ」「〜せねば」という責任感のオバケみたいなもの。
これってなんだろう?いつからだろう?と考えると、クラス委員や生徒会的なものに立候補し続けていた小学生の頃にはすでに私の中に存在していて。
きっとその前に何かあったんだろうなと思うと、なんだか小さい頃の自分に寄り添ってあげたほうがいいような気がして、実は半年以上前から今回のインナーチャイルドワークを受講しようと決めていました。
このインナーチャイルドワークは全3回。
第1講で幼少期の楽しかった体験・つらかった体験の瞑想をして、第2講では身体の違和感に注目する「フォーカシング瞑想」を、そして最後の第3講でインナーチャイルドに会いに行く瞑想をします。
全3回を通して気づいたこと
今回のワークで、私の中の「責任感のオバケ」の正体と、今の状態が少しわかったような気がします。
実は第2講の「フォーカシング瞑想」のとき、私の体の違和感として出てきたのは、こぶし大の石。両手にその石を持つイメージをすると、どんどん熱く燃えてきて、最後には真っ赤になりました。
そこから感じたのは「こんなにがんばらせておいて、もういらないって言うの?」という怒りのエネルギーです。なんとなくこの「石」が責任感のオバケの正体なんだろうなぁというのがそのときの感覚で、それを残したままの第3講。
第3講で出会ったのは、2歳くらいの小さな私。最初は少し離れたところから、上目遣いで「この人はどんな人?ワガママ言って平気?」と考えているような感じでしたが、少し経つと地団駄を踏みながら大泣きを始めました。そこから感じたのは「私は私のままだとダメなの?!」という怒りと悲しみでした。
インナーチャイルドの声
まだ上の弟が生まれる前。私が1〜3歳くらいのころ、私は滋賀県の八日市市(現・東近江市)というところに住んでいました。ご近所には同い年くらいの男の子と女の子がいて、女の子は「ナオちゃん」という名前でした。ナオちゃんは自己主張が強くてアクティブな性格。体も大きかったように思います。早生まれの私は当時は体も小さく、人見知りで引っ込み思案でおとなしい子どもでした。それに対して押しの強いナオちゃんは私にとってはしんどい相手。今考えると2歳児なりにすごく苦手意識があったように思います。
同い年の3人はよく一緒に遊んでいたのですが、その日はたまたま私とナオちゃんの2人が遊んでいて、その横で母親同士がおしゃべりをしていたようです。そのとき、うちの母が、「ナオちゃんはしっかりしてて、積極的で、うらやましい。うちの子は引っ込み思案で心配…。」と話していたこと。これが、インナーチャイルドの私の怒りと悲しみの源泉のようでした。
私はナオちゃんが好きじゃないのに、お母さんは私にナオちゃんのようになってほしいの?!私は私のままでいたらダメなの?私みたいな子は心配されちゃうの?ダメな子なの?もっともっとしっかりして、積極的にならないといけないの?
2歳の私は、体全体で悲しみと怒りを表して、しばらくの間ずっと泣いていました。泣き止んでからは、親指を口に咥えて指しゃぶりをしながら、ちらちら私の方を上目遣いで見ています。
「どうしたい?」と聞くと、そのまま少しこちらに近寄ってきますが、うまくリクエストはできないようでした。しっかりしなきゃダメなのに、抱っこしてなんて言えない!みたいな葛藤があったのかもしれません。
私も恐る恐る近づいて、2歳の私をぎゅーっと抱きしめます。一瞬体がこわばりますが、すぐに安心できたのか、力を抜いてくれました。
「どこに行きたい?」と聞くと「森のおじいちゃん・おばあちゃんのところ」(森は母の旧姓)と言います。どんなにダメでも、泣き虫で弱虫でも、「そのままでいい」と無条件に愛して認めてくれる祖父母の元で安心したい。そんな想いが伝わってきました。
インナーチャイルドと守る存在
私の中にいたインナーチャイルドは、Tagiru.で再発見した私ともよく似ています。
悲しいとすぐに泣いちゃうし、イヤなものや怖いものから逃げちゃう弱虫。苦手なのは押しの強さと、意地の悪さと、怒りのエネルギー。自然(風と緑と水)やきれいなものが大好きで、気ままで活動量は多いけど、心穏やかに心地よくいられることも大事で、臆病だけど好奇心は旺盛で、人が好きで単純で、騙されやすくてまわりからの影響も受けやすい。でも実は我が強くて「自分らしさ」を大事にしたいと願っている。
本来の私はそんなふうに、やわやわでよわよわな薄い衣に包まれた、とっても小さくてユラユラしてるけど、でも実は頑固に形を変えようとしない石の粒みたいな存在なんだと思います。
そして「こんな私じゃダメ!」と「私を守る存在」として現れたのが、責任感オバケの私。
人前に立つことが好きで、責任感が強くて、テキパキしていて、意見もはっきり言えて、5分前行動ができて、誰とでも仲が良くて、優秀で有能で、誰からも頼られる存在でないといけない。そんな価値観を拠り所にして、一生懸命「しっかりものの綾野ちゃん」を演じ続けていたのが、この子です。
書いているうちに「責任感オバケ」なんていうのはかわいそうだなぁと思えてきたので、「社会で闘うがんばりやさん」という名前にしようと思います。
思えば小学生の頃から「社会で闘うがんばりやさん」にずーっとがんばってもらってきました。本来の私の前に立ちはだかって、矢面に立ち続けてくれたこの子。本当はそんなこと得意でもないのに「やらなきゃダメだ」って使命感でがんばりつづけてきてくれたことを思うと、なんだか愛しさと申し訳なさが入り混じったような気持ちです。
さあ、どうしようか
私のインナーチャイルドには出逢いました。守る存在としての「社会で闘うがんばりやさん」の存在にも気づきました。それをこれからどうするか、となると、これまた難しい問題だなぁと思います。
天外塾ではこれから1年間の宿題が出ました。それに取り組むうちに見えてくるものはありそうですが、それ以外にもやれることがありそうです。
まずは「社会で闘うがんばりやさん」にこれまでのお礼と感謝を伝えること。そして「社会は私たちが思ってたより怖くなくて、闘わなくても大丈夫みたい」という今の私の価値観をシェアすること。「闘うための武器も守るための武器も今は置いても大丈夫。力を合わせて何か楽しいことをしない?」とリクエストをすること。
そしてインナーチャイルドには「そのまま出てきて大丈夫だよ」と伝えること。素の自分、弱い自分を、いつでもそのまま舞台にあげてしまうこと。失敗しても、うまくいかなくても、それでも大丈夫だという経験を重ねていくこと。
まずはそんなところから始められるといいのかなと思います。
さまざまなつながり
なんかふと気づいたのですが、私のインナーチャイルドってVataっぽくて、「社会で闘うがんばりやさん」はPittaっぽいのかも。Vata-Pittaの私の性質は、こういうことか…!となんだかすごく納得です。
2022年に苦しかったこと、天外塾に行ったこと、インナーチャイルドのワークを受講したこと、第2講と第3講の間にTagiru.に行ったこと、今の心の動きと身体の状態。
なんかこういうことが全てつながっているんじゃないかなという気がします。たぶんそれは、会社の仕事にも、もちろんHUG for ALLにもつながることで。そういう「ふしぎ」を楽しみながら、自分の変化と向き合っていきたいなと思います。