日記(80日目)
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コンスタントに500文字以上は書くと決めておいて、最近は4○○ぐらいで終わっているのでしっかり書こう。
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「人として正しいか」を少しでも言語化する。
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就活をしていて、「人生観」について考えることがあった。
今までは「人として正しいか」どうかという心の軸で物事を判断したり行動したりしてきたけど抽象的過ぎた。
まず、どうしてそんな考え方を持った方がいいかと考えたときに、哲学というのは後天的であり、先天的に授かった性格や容姿を利他に使うことで磨き上げた魂を来世へ受け継ぐためではないかと考える。
とても宗教的だが、真我はきっとそこにある。
人からもらったものを独占することなく、
また他の人さまのために使う。
現に社会とはこういうものだ。利己的になれば犯罪を犯したり誹謗中傷で殺したり。
誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれないが、それを最小限に抑えようとしているか。全力を尽くしているか。
ここまで書いたのは当たり前のこと。
「人として正しいか」は、「当たり前」ということ。
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美徳な言葉の「素直」と「謙虚」の本質は…
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「人として正しいか」、すなわち「当たり前」の中には「素直と謙虚」は含まれていない。ととらえても仕方がない。
なぜかというと、特に日本ではそういった考え方を言い張る人を軽蔑するイヤーな文化が少なからずあるからだ。
しかしそれは、「当たり前」。
「素直」というのは、右を向けと言われたら何も考えずにただ右を向くことではなくて、自分の至らなさを認め、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のこと。
「謙虚」とは、自分の才を第一に公に使い、第二に自分のために使うこと。これが謙虚という美徳の本質である。
「素直と謙虚」はこの先も大切にする言葉。
これを読んだあなたも少し考えてみてください。
偉そうに書いてますが、稲盛和夫さんの著書「生き方」をめちゃくちゃ参考にしています。これがすべてです。笑