【過ぎたるは何とやら】溢れかえる情報のもたらした深刻な事態。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」のことわざ通り、何事も度を過ぎるのはよろしくない。金持ちも行き過ぎると金のありがたみがなくなり、目の前に食べきれないほどの料理が並ぶとかえって食欲をなくす。大都会では1日に何千人という人とすれ違うが、そこには会話は生まれない。モノとすれ違うのと同じである。田舎でたった1人の人とすれ違う方がよほど人間に出会った実感がある。
ベルリンの壁が崩壊したとき、旧東ドイツの人たちはモノがあふれるように並ぶ旧西ドイツの豊かな暮らしに驚き、何でも選べる自由を喜んだ。しかしそれも束の間、すぐにあまりにも豊富な選択肢から選ばなければならないことを煩わしく感じ始め、「何かにつけ選べ選べ選べとくる!こんなに四六時中選ぶことを強いられるぐらいなら社会主義のときの方が良かった」と嘆くことになった、という逸話を聞いたことがある。適度な選択の自由は大事だが、選択肢が膨大になると人は選択という作業に疲れるということだと思う。
インターネットの登場から30年近く経ち、世界には情報が溢れかえっている。そこから自分で情報を選ぶというのはまさに疲労困憊する作業である。だから人は活字やニュースに対して渇望感を抱くことがなくなり、「X」のような短い文章やインスタグラムのような画像でのコミュニケーションなど、少しでも単純化された情報を選択するようになったのだろう。活字離れは「過ぎたる」活字によってもたらされたのかもしれない。
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