靴磨きをしたら「理性」が帰ってきた件(2022年自問自答振り返り)
2022年ベストバイ
2021年12月に自問自答ファッション講座を受けて、2022年は人生未だかつてないほどファッションにお金を使った年になった。チャイナボタンのレザージャケットやカーキのロングコート、リネンシャツ、演歌バッグ…試行錯誤しながら購入した。アクセサリーも本格的に買いはじめたのも印象深い。
ただ、その中からベストバイを選ぶと、ショセのエナメルローファーとハルタのスポックシューズだと思う。話せば長くなるが、記録に残しておきたい。
ショセのエナメルローファー(2022年1月購入)
自問自答ファッション講座が終わってから初めて買った靴は、ショセのエナメルローファーだった。正直コンセプトとファッションとはまだ結びついてなかった気がするが、その日履いた中で一番好きだったので清水の舞台から飛び降りる勢いで買った。
買ってしばらくは部屋に飾って愛でていたが、3ヶ月ぐらい経って休日に履くようになった。気に入った靴を履いて出かけると楽しい!服を格上げしてくれてる気がするし。
ハルタのスポックシューズ(2022年8月購入)
そんなこんなで日々を過ごしてるなかで、「一年3セットの服で生きる」出版記念講演のアーカイブを聴いた。
その中で「一番よく履く靴の良いバージョンを試すべし」という話があった。
当時の私が一番履く靴は会社に履いて行く用のサンダルだったが、つっかけとほぼイコールでどう見てもテンションが上がるものではない。
車通勤+すぐ室内履きに履き替える+度々外に出る必要があるという環境なので、よく言えば機能性特化で最適化していた。しかし、ショセのローファーでテンションが上がる休日を過ごしている自分とのテンションの落差で耳がキーンとなるなぁ…と思ってたので、今回は会社用の靴を新調しようと思った。
ローファーは脱ぎ履きが億劫なので却下。かかとが踏める靴はなんだかだらしなく見えたので却下。脱ぎやすい革靴ということでハルタのスポックシューズを購入。黒のガラスレザーで雨の日にも気にせず履ける。職場でのコンセプト「我の強い黒子」にピッタリなシンプルさ。仕事着にも馴染んでとてもよい。なんとなくつっかけを履いて出勤していた時より気が引き締まるというか、ハリが出るというか。QOLが上がった買い物ならナンバーワンかもしれない。
靴磨きの習慣
平日はスポックシューズ、休日はローファーでルンルン暮らしているが、履いていると愛着が湧いてくるもので、もっと手をかけたくなったのは秋頃だったと思う。
辞書で面倒くさがりを引いたら見本として出てきそうなぐらい面倒くさがりな私がほぼ毎週末靴磨きをしている。スポックシューズはガラスレザーであまり手入れはいらないと聞いてるが、ブラシでホコリを払ってラナパーを塗って休みの日だけシューキーパーを入れている。エナメルローファーは基本ホコリを拭き取るぐらいだが、たまにエナメル用クリーム(?)で磨いてピカピカにしている。裏貼りをしてもらったのもこの頃だったかな?滑りにくくなって少し歩きやすくなった気がする。
週に1回靴磨きをすると、ちょっといいなと思う靴を見つけても「手入れをしたくなるほどか?」と思って立ち止まることができるのでとても良い。
おかえり「理性」
靴磨きをしながら、思考を走らせるのが好きだ。ファッションについて考えることが多いのだが。
あきやさん講演会のアーカイブでいうところのPが全然まとまらなくて、ふわふわ思考を走らせていたときのことだ。妄想の自分がもし現実にいたらどんな服を着るか?理想のコーデを考えようという宿題が全然できない。
そもそも妄想の自分が服を着ていない。目玉だけあって自由に空を飛べてたまにスタバとか飲んで人間観察してる毛玉なので服を着る余地がない。(どこから飲むんだ?)そもそも「いっぱいいて、どこにでもいる」という素粒子のような振る舞いをしてるので1匹とも限らない。
これを現実に落とし込むと、とりあえず目をモチーフにしたアクセサリーは身につけると思う…え、でもまず人間の肉体を身につけた覚えがないんですけど…となって現実でも何を着ていいかわからない。コーデどころじゃない…。オワタ…
ファッション誌を見てもいまいち自分が身につけるイメージが湧かなくて、全然宿題すすまないじゃんワロタ…。
そんなことを考えながら靴磨きをしていると、ふと理解した。「理性」を置き去りにしていたな?と。
いきなり何かという話だが、「狂気」と「理性」の両立はある意味私の人生のテーマである。気を抜けば俗世から突っ走ってどっかに行こうとしている自分を「理性」の自分が手綱を握っているイメージだった。
そしてこの1年、「狂気」に任せて突っ走ってばかりじゃない?と気づいたのだ。
(「狂気」と「理性」の共存については昔このnoteに書きました)
「狂気」をぶっ放しなのが妄想の中の毛玉(あだ名は狂気のきょーちゃん)で、これを抑えるなりコントロールする「理性」が迷子だったなと。(あだ名は理性のりーさん)
上記noteで挙げた曲の歌詞に、
とあるのだが、「理性」の自分をおざなりにしていたと気づいたとき、この歌詞が思い浮かんだ。「なんかボロボロになって倒れてる人おるなー?」と思って覗いたら自分自身だ…となってひやっとして、それが今まで放っておいた「理性」だと気づいて肝が冷えた。
「理性」が手綱を握るだのコントロールするだののイメージを持っていたことから、ただの安全装置のようなものではないかと軽めに見ていたのは否定できない。
しかし、靴を磨いている時に、私にとって「靴」は「理性」だと思った。だから私は「理性」も大事にしなければならないのだ。あるいは「狂気」が精神だとしたら「理性」は肉体。両方合わせて私なのだから、それを忘れないようにしたいな。
私に必要なのはD!
今はズタボロの理性のりーさんのケアをしながら服を探している。自分の肉体への解像度が低すぎるので、この服を着ればどう感じるか…ということがわからない。今わかるのは毎週磨いている靴が最高の靴ということだけだ。
分からなくなりすぎて昔好きだったテイストで今も好きなカジュアルとミリタリー要素をメインで試着している。ミリタリーど真ん中は似合わないが、キレイめテイストが混ざれば似合うのはわかった。
少しでも琴線に触れたものは試着しよう。いいなと思ったものは買って普段から着てみよう。そしてどう感じるか記録しよう。
多分試着するだけで電流が走るほどの経験値はないと思うから、普段着に組み込んでDを重ねていこう。
来年用に買った3年手帳が未確認生物の観察日記のようになりそうだが、2023年は狂気のきょーちゃんだけでなく理性のりーさんも交えて私服の制服化を進めていきたい。
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