これからのコンセプトについて 〜過去との再会〜

人生は旅のようなものだと思っている。
小さい頃はテストや進学などの目標に向かって一直線。大学頃からは「なりたい自分」へ向かってぼちぼちと。その旅は死ぬまで終わらないだろう。

なぜいきなりこのようなことを言い始めたかと言うと、自問自答ファッション講座で言うところのコンセプトに少し追加したくなったから。旅の要素を入れてもいいかもと思えたからだ。

コンセプト(自問自答講座前)

学生時代から自問自答講座以前のコンセプトは以下のnoteに書いている。

私は自分であることに強いこだわりがあるようで、自分らしくないことはしたくないと思っている。しかしそれでは視野が狭くなるから、1回やってみてどこが嫌なのか、どこが好きなのかを確認して、常に自分をアップデートしたいと思っている。自分であり続けるために色々考えて生きていきたい。(これって自問自答っていう言葉自体にも繋がりそう…!)

読み返して全然変わってなくて笑った。

「レトロ・エスニック・トラベラー」と「自由自在な舞踏家〜スタイリッシュとエスニックを添えて〜」。方向性はこの辺りで既に言語化されていた。

自問自答ファッション講座後

いただいたコンセプトは基本的には自分の考えてたものと変わらないが、少しだけ本質に近づいた感じで決めてくださった。服を選ぶ精度は上がったし、装いの威力がわかった気がするから受講して本当に良かった。徹底的に自分でいられてる気がする。傲慢にならず卑下せず自己憐憫に浸らずありのままを受け入れることができそうな気がした。
(決めてもらったコンセプトは公表しない。自分のnoteでは自分の思考の過程を書いているからというのもあるし、講座の中身は自分の中だけで持っておきたいというのもある)

そして驚くべきことに、未来を信じられるようになってきた。(というか今まで信じてなかったことに驚いた。)何故なのかは上手く言葉にできないけど、貰ったコンセプトと一緒なら延々と続く旅路も悪くないと思えたのかな?

そしてこれまた驚くべきことに、髪を伸ばしている。今まで過去を切り捨てるイメージで基本ショートにしてたのだけど、過去を持ったままの未来も悪くないので、わざわざ切らなくてもいいかなと最近は思っている。

もう少し本質に近づいてみる

舞踏家というコンセプトに旅人要素を入れたくなったのはおそらくもう少し本質に近づけても大丈夫だと思ったから。
幼い頃からイメージとしてずっと持っていた、どこかに辿り着くために生きているという気持ち。言葉にしないことで守ってきた世界をより強固にするために言語化してもいいかなと思える今日この頃。

旅をするのはあくまで自分の心の中。砂漠のような道無き道を歩く。周りに人はいない。

旅路の中で誰かと出逢う。しかし必ず別れが来る。彼らは私ではないので、全く同じ行先はありえない。

向かうのは自分の向かいたい場所。自分の心が羅針盤。外側の世界にどう心が反応するかを注意深く観察する。

目指すのは地平線。しかし絶対に辿り着けない。辿り着いてもそこはもう「地平線」ではない。また新たな地平線に向けて旅を続けるだけ。

神の視点から見たら地平線など存在せず、地面が広がるだけ。しかし私は神ではない。所詮星の影を闇と勘違いできるほどの小さな存在。その程度の矮小な存在であることが嬉しい。

自分の行先は自分の頭で決めろ。自分の頭を使うのを放棄した時、「私」としての人生は終わったものだと思え。

しかし旅するだけが人生ではない。それだけだとおそらく何かが足りない。楽しく進むため、何かと繋がるため、自分とより深く繋がるため。そのために踊るのだ。

(ちなみに私は現実世界では旅行や旅はそこまで好きではない。私には世界は広すぎるし、自分の心が旅を通じて変化するのに肉体の外の環境まで変わるのは耐えられない!
あと、体育の授業でいやいや踊るぐらいしか踊る経験もない。両方あくまで概念の話だ。)

自由自在に踊る旅人

これをこれからのコンセプトとしよう。一見するとよく分からないが、「旅人」や「踊る」へ辞書的な意味以上の意味を持たせることでより自分に近いコンセプトになった気がする。一般的な単語に仮託して表現するぐらいが想像力を働かせることができていいなと思う。
個人的には一番始めのコンセプトの「トラベラー」が帰ってきて、過去と上手く繋がれた気がして嬉しい。

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