「聞きたい声しか聞かないよ?だってここは私の国だから」


こちらの記事を読んで「自分とコンセプト」について書きたくなったので書いてみようと思う。(完全な自分語りになります。すみません。全然意見や感想になってないけど書くの楽しかったです。)

「本当の自分」なんてない

neuさんのnoteを読んで真っ先に思ったのは、「自分」って難しいよね〜!ということ。ぬくぬくいたいのも自分だしモードに憧れるのも自分。穏やかに生活したいのも自分だけどチャレンジして変わりたいと思う自分も間違いなくいるわけで…。ああ、十二国記の華胥華朶(自分の理想を夢で見せてくれる宝)が欲しい…と何度思ったことか…。

学生時代から本の虫で内省型だった自分は哲学的なことを考えるのが好きだった。人はなぜ生きるかとか死んだらどうなるかとか。その中に「本当の自分」とはなんだろう?というのもあった。

今のところの結論は、「本当の自分なんてない。自分の中に存在する気持ちや概念は全て自分だし、その中から任意のものを選んで自分を創り上げるのだ」というあたりに落ち着いている。
そう思ってから、自分の中に起こった感情は一旦否定せずに受け入れるようにしている。未来の自分の一部になるかもしれないから。(これが一番痛い作業なんだよな、でもこの段階を飛ばすと人の意見に呑まれてしまうから、あるんだな〜というぐらいは認識するようにしている)

逆に人から何か言われた時、それを反映させるかどうかも自分の自由だと思っている。ただ、一旦は聞くようにはする。聞き入れるかどうかは別として。(全く聞かなくなったらなったで「人」としての形を失ってしまう気がするので)

この辺を一言で言うと「聞きたい声しか聞かないよ?だってここは私の国だから」になる。
自分という国をどの方向に延ばしていくかは、人生で唯一にして最大の、自分に許された自由だからスリリングで楽しいよねぇ〜。
(余談だけど、自問自答ガールズは自分でいることのプロフェッショナルだなあと思って楽しく見させてもらってます。遠慮なくいいねを押していくスタイル)

コンセプトと自分

そんな自分なので、ある意味自分のコンセプトは「私!」。私でいられるなら極論他の要素は要らない…という究極の自分至上主義。だから何かを強制される環境には全力で反発します、自分の人生には他人の考えで変える要素なんて一欠片もないんだからね!!(だから体育会系の環境はノーサンキュー。せめて納得させてもらわないと動く気にならないね)
自分=「私」だけど、それでは普段認識するには深すぎるし広すぎるから、せめて手で触れるように一部を取り出したものが、自問自答ガールズのコンセプトだよねと思ってる。
(ここまで書いて、私にとって私がYAZAWAなだけでは…?と思ったが、私が私で居続けることは私の人生のテーマであるので「私」がコンセプトであるというのも間違いではない…多分)

例えばお金が沢山あったらどのように暮らすか?という自問自答ファッション講座の質問に具体的なことが答えられなかったのだけど、それは今思えば結局、今「自分」として生きていてそれに満足しているから。ある意味お金が増えたところでその時の自分に使い方を決めてもらいたいし、少なくとも今、「自分」であることを妨げられない環境に身を置けているからオールオッケー。他の要素は副産物なんだよなと思った。

最近コンセプトが深化して文面がコロコロ変わっているが、(恐らく言葉を用いて概念を闇から取り出して蒐集する感じになるかな?と思っている。)自分さえ見失わなければ大丈夫。本質は本当に全然変わってないから。
今回のnoteを書いて「自分王国の国王」もアリではないか?と思った。まだ掘っていく必要はあるけれど、こうやって自分を深掘りしていけるのは本当に楽しいことだなあ!

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