怒りの指輪購入

怒りを覚えたので指輪を買った。

今日ならまちに行った。憧れの靴屋さんの靴が限定革で出たのも試したかったし、天然石アクセサリーのお店で指輪も見たかったし。

ならまちは高校生の時から度々訪れていた。手作りのアクセサリーや服が多くて、見るだけでワクワクしたし、大学生になってからは少しは買い物をしていたのだ。

高校時代から憧れていた靴屋さん。自問自答講座を受けて最初の1足を買うのにもちろん試着したが「何か違うな」と思って、結局別の雑貨屋さんでショセのローファーを買ったのだ。

そして今日、限定革で発売すると聞いて試着しに行ったが、試着してはじめに感じたのは圧倒的違和感だった。鏡で見てさらに確信を持った。

「今の私の靴じゃない!」

試着したのは細身のTストラップのメリージェーン。高校生や大学生の時はさすがにお高くて触ることも出来ず、大人になってもなかなか勇気が出ず、自問自答ガールズになってやっと試着できたのだ。

自問自答ガールズになって約1年。昔より靴を試着し服もまあまあ揃い。バッグで演歌を歌ったし。アクセサリーも着けるようになって自分の輪郭もはっきりしてきた気がしていたけど。昔憧れていた靴がここまで合わないとは!

1回目の試着の比ではない違和感。そもそも1回目の試着とは素材が違うとはいえ、こんなに合わないものなのか?厳密には姿に合ってないわけではないが、今の自分を乗せるにはあまりにも優等生。あまりにショックで1足の試着で店を後にした。

店を後にした時、私は怒りを自覚した。品物に対してではなく、試着したい時に試着しなかった過去の自分に対してである。

もし高校生のときに勇気を出して試着していたら。もしかしたらその靴にふさわしい自分になっていたのではないか?靴に合わせて私服を整えて、今の自分とは全く違う自分になっていたかもしれない。

逆に当時も全く似合わなくて笑ってしまったかもしれない。それはそれでひとつの経験値となり、今の自分の一部になってくれていただろう。

もちろん今の自分が嫌いなわけではないけれど、今の自分が試着したのでは意味が無い。過去の、あの靴をかわいいと思った自分が試着しなかったから、自分を構成する要素にさえできなかった。

本当に悔しい。あの靴に心を動かしたくせに手を伸ばさなかった自分が本当に腹立たしい。貯金を崩せば買える金額だったのに、何を恐れていたのか。ましてや試着だけならタダなのに。

激情を抱えて天然石アクセサリーショップへ。
ここの天然石イヤリングは透明感がある上にデザインはひとひねりあって、学生時代から好きだった。しかしやはりお値段的に敷居が高く、試着すらできていなかったのだが。

今回は指輪を探しに行った。そして綺麗な色石が着いた指輪を色々試したのだけど。

これがまあ似合わないのなんのって!!

私の指には既に自分で選んだ指輪が2つ。これがアンティークと強さが全面に出ているせいで、並大抵の石は霞む。透明感があって綺麗な石がアンティークに負ける。石は好きなのに、もう私のものではないんだなと思うと悲しくなってきた。

高校生の自分が試着したならもしかしたらこれからの糧にできたかもしれないのに、今はそれもできない。

店を出ようかとも考えたが、この店で二度と買えないのは悲しいなと思って、店員さんに存在感のある指輪を探してて...という話をしたところ、案内してもらった指輪が逆転ホームラン!クリティカルヒット!

バロックパールの指輪。奇妙な形で縁どりも独特。パールだから少し上品。それが今の指輪ラインナップにピッタリだった。

ポエムもあまり流れない。普段から言葉が脳内で溢れている私にとって、言葉が止まるのが運命の合図。アクセサリーに関してだけ言うと、皮膚から離したくない!と理屈抜きで思えたらGOサインだとなんとなくわかってきた。意味は後から着いてくる。

今回はそれプラス、少しでも気になったものは試着しないと自分の地層が積み上がらないと体感したので、それを忘れないためには今買うしかない。

そんな訳でお買い上げ!今はサイズをお直ししてもらってるので手元にはないのだけど、あの指輪を身につけて試着の旅に出たら少しでも気になれば絶対試着すると思う。後悔はしたくないしそれを忘れないためのお守りのようなものだ。

あきやさんの講演会を聞いてDが足りないなと思ったから試着するぞ!的な感想noteを書こうとした矢先の出来事だったからある意味運命。試着は大事だよ…!(講演会の感想はまた別で書きたいな…と思ってます)

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